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才の無い貴族と毒見少女の憂鬱  作者: そんたく
魔術師と錬金術
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毒見少女、走る Ⅻ

 アルナーグ城の離宮、母の部屋で空に立ち上る天灯と炎を目撃した所まで時は遡る。

 ああ、やっぱり俺が自分で行くべきだったのか……


 城壁の向こうで(のぼ)った炎はまるで龍の咆哮のようだったが、夜空は一瞬で元の静寂を取り戻す。

 しかしあの冷たく連なる城壁の向こうで、ウィロットの体が炎に巻かれているのかも知れないと思うと、体の衝動を抑えることはできなかった。


「ウィロット……!!」


 その叫びは声の形をとっていなかったのかも知れないが、俺はそれと同時に母の部屋から飛び出そうとする。


「まて。何処へ行こうというのだ?」


 不意な呼びかけ……、いつのまにか扉の前に立っていた人影に、俺は静止を余儀なくされた。


「ユケイ、あれが何か其方は説明できるのか?」


 声の主に視線を向けると、そこには見慣れた人影が二つ並んでいた。

 一つは兄であるエナ第一王子、そしてもう一つは部屋を出て怪我の治療にあたっているはずのカインだった。


「カイン……。なぜお前もここにいるんだ?」

「お叱りの言葉は後で頂きます。しかし……」


 カインが何か言葉を発しようとするが、エナがそれを手で制した。


「話が見えぬ。その侍従が処罰も(いと)わぬというから付いてきたのだ。先ずは状況を説明せよ」

「……申し訳ありません。時間がありません……」

「何処へ行く?そう思うならなおさら状況を説明せねばならぬことを、聡い其方ならわかるだろう」


 一刻も早く此処を出たい。しかし、その為にはエナが言う通り、彼の理解を得なければならないと言うのも確かだ。

 なぜなら、俺の言葉では城門は開くことはないのだから。


 俺はエナにウィロットの件をかい摘んで報告した。


 どうやら彼は兵から空に浮かぶ天灯の報告を受け、それを確認しようと中庭に出たところ、治療に向かうカインと遭遇したらしい。折良くエナに使いを出した母の従者もその場に居合わせた。


「……なるほど。ということはあの空を飛ぶ明かりは、拉致された其方のメイドが飛ばしているということか?」

「おそらくは……」

「ずいぶんと人騒がせではあるが、確かにこの上ない目印だな。……わかった。首都アルナーグでの誘拐を見過ごすことはできない。すぐに兵を向かわせよう。……で、其方自身も離宮を出て向かうと言うのか?そのカインという侍従の減刑と引き換えに、其方は離宮から出ないとノキアに誓ったと聞いているが?」


 エナの視線が、スッと冷たいものに変わるのを感じる。


「そ、それは……。あの、コレアナの件で不問にしてもらうことは……」

「……それはわたしを最も失望させる願いになるぞ?そしてノキアもお前を見損なうだろう。お前が求める褒美というのは、ノキアとのいざこざをわたしに仲裁しろということか?それとも約束を反故にしろという意味か?どちらにせよ、その従者は再び牢へ送られることになる。それでも良いのか?」

「それは……」

「ユケイ、部屋へ戻れ。お前が身の回りの者を大切にしていることは知っている。しかし、身分を超えるにも限度はある。そもそも其方が出向いたところで何も変わらぬだろう?お前が周りの者を大切なように、わたしもお前が大切なのだ。メイド1人の為に、わたしとその従者を失うようなことは止めろ」


 エナの問いに言葉が詰まる。


 エナの言うことは正しい。

 確かに俺が出向いても何も変わらないかも知れない。もしかしたら、このまま何事もなかったかのようにウィロットが帰ってきて、いつも通り間の抜けたことを言い出すのかも知れない。

 しかし……、もしかしたら今現在ウィロットは大怪我をしているかも知れないし、俺が行かなければ助けられない何かが起きる可能性も存在するのだ。

 とはいえ、俺が離宮を出ればカインが……


「ユケイ様、行きましょう。何も悩む必要はございません。わたしが牢に戻れば良いだけのことです。元々ユケイ様に救っていただいたこの身、それをお返しするだけです」


 俺の心を見過ごしたのか、カインは迷いのない目を俺に向けてそう言った。


「カイン……!それではお前が……」

「構いません。ユケイ様、お考え下さい。牢は非常に窮屈な場所であります。しかし広い世界をお持ちのユケイ様にとって、離宮はわたしの牢以上に窮屈な場所ではないのですか?従者であるわたしの代わりに、主であるユケイ様が離宮に閉じ込められるなど、それが間違っていたのです」

「それは違う!元々わたしには行動の自由はない!それが多少狭まったくらいの話で、カインが投獄されるということと比較できる話ではない!」

「ではどうなさると言うのですか?平民に生まれた以上、多少の理不尽は承知の上です。そもそも彼女が誘拐されたのは護衛を仰せつかったわたしの責任です。わたしはいつかまた救い出して頂ければ構いません。その代わり、ウィロットを必ずお救い下さい!」

「待て、話を勝手に進めるな。それをどう解釈しようが其方らの勝手だが、離宮から出ると言うことはノキアは其方が敵対したと解釈するぞ?そしてわたしはノキアの兄だ。それがどういう意味かわかるだろう」

「……わたしはノキア様と敵対する気は一切ありません。ノキア様はわたしの兄であり、エナ様もわたしの兄です……。そう仰って下さったのはお兄様ではありませんか?」

「それはその通りだ……。お前もノキアも、掛け替えの無いわたしの弟だ。だからこそ行くなと言っている。わたしは兄弟が争う姿を見たく無い……」


 部屋が静まり返る。

 しかし俺は長々とそれに浸っている時間はない。じわりと額に汗が浮く。

 そんな膠着した場を動かしたのは、意外な言葉だった。


「エナ王子、よろしいでしょうか?」

「もちろんです。シスターシャ様」

「ありがとうございます」


 母シスターシャはうやうやしく頭を下げると、おおよそ場の緊張感に相応しくない雰囲気で言葉を続けた。


「そもそもユケイ様とノキア様の約束は反故にするべきではありません。ユケイ様の従者が牢に戻るということは、ユケイ様は自由の身になるということ。ノキア様はそれを望まぬのでは無いですか?」

「……確かにその通りです」


 確かに母の言う通りだ。カインが牢に戻れば俺は離宮に留まる理由はない。

 そうなった時、それを最も嫌がるのはノキアではないだろうか?

 母は飄々と話を続ける。


「ご理解いただきありがとうございます。ユケイ様にはお時間が無い様子でございます。ウィロットはわたくしのお気に入りの従者、その救出をユケイ様にお願いいたします。エナ王子とのお話は、ウィロットを救い出してお戻りになった後にゆっくりとされればよろしいのではないですか?」

「そんな馬鹿な……」

「エナ王子、ユケイ様を親身に心配していただきありがとうございます。しかし今ここでウィロットを失えば、()()ユケイ様は失われることになるでしょう。エナ王子がわたくしのことを王妃とお認めになるのであれば、どうかこの場はわたくしにお譲り下さいませ」


 母はそう言うと、舞踏会場でするような華やかな笑顔を見せた。


「そのような子供の理屈が通りますか……」


 エナは眉間に皺を寄せて首を左右に振る。

 そうだ。確かに母の言うことは無茶苦茶だ。母は俺に命令をする立場にはなく、母が俺のメイドを探すのを俺に命じる……、いや、お願いをしているだけといえばそうなのだが……。

 しかしなんとなくではあるが、俺はエナが話の落とし所を俺が望む形に近いところで探してくれていたような気がしていた。


「……シスターシャ様、ユケイ王子を危険に晒すことになりますよ?」

「心強い従者がついておりますわ。それに、ユケイ様は母の……、いえ、人の望みは叶えてくれる子です。それはエナ王子もご存知ではないですか?」

「それは……。まあ、理解できなくもない。しかしわたしが望むことは違う」

「ですから、先ほど申したとおりこの場はわたくしにお譲り下さいませ。リュートセレンの貴族を代表して、お礼は必ずいたします」


 そう言うと母は再び頭を下げ、いつも通りの柔らかい笑顔で、しかし視線はまっすぐとエナを見据えた。


「わたしの味方につくとおっしゃるのか?……いいえ、わたしは貴女から礼を受け取るような立場にいません。……まったく、其方たちの話は難しくてたまらぬ。ユケイ、褒美の件はこれで相殺だ……」


 エナは根負けしたと言わんばかりに、大きなため息をついて頭を振った。


「お兄様!それでは……」

「わたしが許すのはこれが最初で最後だ。夜の内に必ず離宮へ戻ること。あと、その侍従だけでは心もとない。わたしの兵も連れて行け。そのメイドの代わりに傷つくなど絶対に許さぬ。心せよ」

「ありがとうございます……!!」


 そして俺はノキアに城門を抜ける許可証となる印を受け取ると、カインを連れて母の部屋を後にした。

 本来なら負傷しているカインはこの場に置いていくべきなのだろうが、彼は決してそれを受け入れないだろう。正直付いてきてもらった方が助かると思っているのだから、俺は本当に勝手だ。

 馬を駆る彼の背中にしがみつく。夜の街を馬で駆けるというのは初めての経験だ。こんな状態でも久しぶりに見るアルナーグの街を異国のように感じるのは、前世の記憶のせいだろうか。

 俺はこの時、カインの乗馬技術が意外に高いことを知る。そして、馬が走れるよう石畳がない道筋を的確に選びながら馬を操る彼を見て、カインの助けも借りず自分でなんとかできるのではと考えていたことを恥じた。


「カイン、すまない……。俺は結局お前を利用するだけの人間だ」

「ユケイ様、我々にとってユケイ様は奇跡そのものであり、希望そのものです。必要あればわたしを捨て石にでもお使い下さい。それがわたしの為になるのです」

「意味がわからないよ……」


 カインはそれ以上何も言わず、ハァ!と短く馬に気合を入れた。

 そして川沿いの倉庫に差し掛かった時、俺は絶望に取り憑かれた表情で大男に手を引かれる、見慣れた少女の影を目撃した。



 


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