毒見少女の間奏曲 Ⅲ
秋の風は冷たくて、切れるように硬い。そんなことを思った。
扉から入った風は部屋の中を隅々まで走り、霧のように舞った小麦粉が天井の窓から飛んでいく様子は、白い蛇が暴れまわっているようだ。
ああ、これはやばいな……。
ユケイ様にあれだけ火に気をつけるように言われたのに。わたしのお仕事はお片付けでもあるけど、普段から綺麗好きというわけではないのだ。お母さんにもよく散らかすなと叱られていた。
扉の外からは灯りを持った男が、部屋の中に入ってこようとしている。
魔法の明かりじゃない。灯明だ。
「あぶない!入ってきちゃダメ!」
わたしの声は当然のように無視され、男は火の灯りを持ったまま倉庫の中に入ってくる。
大変だ。爆発する。
こういう時、どうすればいいかユケイ様に言われて知っていた。
わたしは部屋の隅に向かって走り、その角にピッタリとくっついてまるまり虫のように小さく固く丸くなる。そして両手で耳を塞ぎ、目をギュッと閉じて息を止める。
その時、耳を塞いだ手を通してもわかる「ボン!!」という爆発音、そして体全体が火で炙られたかのような熱を感じた。
固く閉じたまぶた越しでも、外が赤く光っているのが分かった。
次の瞬間、耳を引き裂くような、そして鼓膜にべっとりと張り付くような男の悲鳴が届いた。それは耳を塞いだ手をものともせず、先程の爆発音と比べるととても小さいはずなのにとても鮮明に聞こえる。
ユケイ様の話だと、小麦粉の爆発は見た目は派手に火が登るがその威力は強くないらしい。それでも炎を吸い込んで咽を焼いたり、目や耳を炎で直接炙られれば大きな怪我をするということだ。
声の方を向くと、そこには両手で目を押さえて口をぱくぱくと魚のように開いたり閉じたりする男の姿が見えた。
不運にも、炎に驚いて灯明の油を体にかけてしまったのか、顔を押さえる両手には蛇のように真っ赤な炎が絡みついていた。
「伏せて!早く!」
わたしの声が聞こえたのか偶然なのかはわからないけど、男は地面に転がり体をくねらせて火を消そうとする。
わたしは汲んであった井戸の水を床に転がる男の頭にぶっかけ、男がどうなったかを見る暇もなく開いた扉から部屋の外へと駆け出した。
部屋の外は廊下になっており、天窓のあった先ほどの部屋よりさらに暗い。
廊下にそって扉がいくつかあるが、当然それがどこに繋がっているかも分からない。
男の人のことはとてもかわいそうだと思うけど、そもそもわたしを閉じ込めるからいけないのだ。こんなことしなくても、もっと上手に脅かしてくれればパンケーキの秘密なんて話したのに。ユケイ様には申し訳ないけど。そんなことで閉じ込めたり怪我をしたり、本当にバカバカしいと思う。
「カイン様!いますか!?」
カイン様からの返事はない。その代わり聞こえてきたのは暗闇の奥の扉が開く音。そして、そこから出て来た大柄の人影はこう言った。
「おい!錬金術師が逃げ出しているぞ!捕まえろ!」
錬金術師?わたしやカイン様の他にも誰かが捕まっているのだろうか?
助けてあげたいけど、今はわたしとカイン様だけで精一杯だ。とはいっても、暗くてよく見えないが相手は男が数人いるようだ。
どうしよう?無茶なことをして怪我とかしたくないし、ユケイ様もそれはきっと悲しむはずだ。
そのあとわたしは元いた倉庫に逃げ込んだけど、追い詰められあっという間に捕まってしまった……。
暗闇の中から男がわたしに話しかける。声の位置からすると、たぶんとても背が高い男のように思える。
そういえばこの声……、どこかで聞いたことがあるような気もするけど……
「全く手間をかけさせやがって……。あの空を飛ぶ灯りとかさっきの炎とか、一体どうやっているんだ……」
「ここはどこですか?わたしたちを捕まえてどうするつもりですか?」
「おまけにずいぶんと度胸もあるようだ。小娘でもさすが本物の錬金術師ということか」
「乱暴なことはやめて下さい。痛いのはイヤです。わたしの知っている秘密は全部話しますので、カイン様を解放してくださ……、錬金術師?」
「もちろん全て話してもらうさ。痛い目にあいたく無ければ、賢者の石の秘密を全て話して……、カイン様?」
一瞬室内に沈黙が広がる。
あ、そうか。この声は昨日シスターシャ様の所であった錬金術師だ。
どうやらわたしのことを本当の錬金術師だと思っているらしい。しかし、他の国の有名な錬金術師でさえパンケーキの秘密を……
「賢者の石……?」
賢者の石ってなんだっけ?いや、賢者の石っていう単語は知ってる。ユケイ様がいろいろ説明してくれたから。けど、それが何なのかはさっぱりわからなかった。
思うにユケイ様は人に物を教えるのがあまり上手じゃない。その点ではアセリア様の方がよっぽど素晴らしい。
「とりあえずこの場所は移動するぞ!その……カインに危害を加えられたくなければ黙って大人しく付いて来い」
やっぱりカイン様も捕まっているらしい。
そう言いながら大男……、確かアルカンスという名前だったか、わたしのメイド服の襟首を乱暴に引っ張った。
確かにカイン様は大切だが、だからといってわたしがこんな扱いをされるのは違うと思う。けど、カイン様に何かがあればユケイ様は絶対に悲しむ。だから、これはこれでカイン様に一つ貸しということにしておいて、とりあえず大人しく従っておくことにしましょう。
「自分で歩きます。乱暴はやめて下さい」
そう言ってわたしはアルカンスを睨んでやる。
彼は何か言いたげな顔をするが、最終的には「黙ってついて来い」とだけ口にした。
アルカンスの仲間は四人いるらしく、その中で小麦粉の炎に巻かれた男はこの場に置いていかれるらしい。炎を吸い込んで、喉を焼かれてしまったようだ。かわいそうだけど自業自得だと思う。
たぶん、誰かが助けに来てくれるでしょう。その後で捕まるのだろうけど。
わたしは言われるがままに進み、ある扉の前まで来た。その扉は外につながっているのだろうか、扉の外からは何かザワザワとした気配が伝わってくる。
それもそうでしょう。あれだけ天灯を飛ばしたり、最後は天窓から炎まで吹き出したのだ。それをみて人は集まって来ているだろうし、ユケイ様じゃなくても兵士や自警団も来ているだろう。
このまま外に出れば、当然わたしたちは注目の的だ。
「いいか?喋るんじゃないぞ?何があっても喋るな。一言でも喋ればお前の命はない。わかったな?」
「……」
わたしは黙ってうなずく。
けど、この状態から本気で逃げれると思っているんだろうか?
そう思った時、アルカンスはわたしの心を見透かしたかのようにニヤリと笑った。
「しかし、アルナーグの『止まぬ風』の力。話には聞いていたが本当に素晴らしいな……!」
あ、やばそう。何か魔法を使うつもりだ。
アルカンスは仲間の男に合図を出したかと思うと、その男は懐から小さな杖を取り出した。
そして、何か聞きなれない魔法の詠唱を始める。
いいえ、これは魔法の詠唱じゃない。魔術の門だ……。
魔術の門、それは魔法より高度なもので、効果も魔法と比べれば様々な力を発揮するという。
そしてそれが使える人間は、あまり多くないという……。
魔術の門を学べる場所は少なく、いつかユケイ様もその研究をしに地の国の賢者の塔へ行きたいと言っていた。
ああ、やっぱりなんかやばい気がする……。
不意にわたしは手首を掴まれた。
そこに目を向けても何も見えない。
あれ?どういうこと?
しかしわたしのすぐ耳元、何も見えない場所から声が聞こえる。
「喋るなよ、黙ってついて来い……」
それはとても小さな声だったが、わたしには地獄の底から呼ばれたような声に聞こえた。
それと同時に、目の前の扉がバン!と開く。
「ウィロット!いるか!!」
扉を開けて中に入って来た聞きなれた声、それはアゼル様だ。
アゼル様!!
しかし……、アゼル様はすぐ横にいるわたしに気づくことなく、建物の奥に駆けて行ってしまった。
声は出せなくても、わたしの姿は目に入ったはず……。
そうか、今はわたしの姿が見えていないんだ……。実際、今わたしの手を引っ張っているはずのアルカンスの手も見えない。
そういえばユケイ様が、アルカンスがシスターシャ様に見せた錬金術にも魔法が使われていたと言っていた。本当は魔術の門だったけど。
幻術っていうのか、きっとアルカンスの仲間にそういう魔術の門を使える人がいるのだろう。
わたしの手が乱暴に引っ張られる。
手がとても強く握られている。痛くて怖い。
わたしは引かれるがまま建物を出た。そこには沢山の人がいたけど、誰もわたしに気づかない。
涙が出てくる。
ユケイ様……。
本当はわかっていたのだ。ユケイ様は離宮から出られないし、もちろんお城だって出られない。
ユケイ様は王子様で、わたしは平民の娘。
ユケイ様は助けに来てくれない……、いいえ、ユケイ様は助けに来られないのだ……。
「ユケイ様……」
喋るなと言われていたけど、つい声が出てしまう。怒られるかもしれないけど……、もういいや。
涙が落ちたのがわかった。外の空気が寒い。
ユケイ様……!
その瞬間、アルカンスが掴む反対の手が、何かにギュッと掴まれた。
それはとても温かい手で、わたしを力一杯引き寄せる。
「カイン!アゼル!こっちだ!!」
今まで何度も聞いたその声……。
わたしがずっと聞きたいと思っていたその声……!
「ユケイ様!!」
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