毒見少女の間奏曲 Ⅰ
「ここは……どこ?」
目を覚ますとあたりは真っ暗だった。高い天井に作られた採光窓がぼんやりと見える。どうやら硬い石畳に転がっているようだ。体の節々が痛い。
小さい窓からの星明かりを頼りに、周囲を見渡す。ここがどこだかさっぱりわからない。
「カイン様?いますか?」
恐る恐る声を出してみるも返事はない。声の響きからそこそこ広い室内にわたしは一人きりらしい。
カイン様もいないし、わたしの声に反応する人もいない……。
「……少し状況を整理してみましょう」
時々ユケイ様が使うセリフ、いつかはわたしも使ってみたいと思っていたんだ。
水舎小屋の帰り道、わたしとカイン様は誰かに襲われた。
頭の上から大きな袋を被せられ、すぐに意識を失ったのは魔法をかけられたのかもしれない。カイン様が近くにいないことを考えると、きっと違う部屋に捕まっているはず。
持っていた腐り塩を挽いたものが見つからない。……いえ、正確に言うと、挽いてもらったばかりのパンケーキ用の腐り塩は無くなっているけど、ユケイ様に言われて錬金術用にさらに細かく挽いた腐り塩は腰の袋に残っている。裁縫道具や油も無事だ。あとは……足にベルトで付けてあった鞘から、護身用の短剣がなくなっている。
「カイン様……、ほんとうにいませんか……?」
……やはりカイン様はいないようだ。
どうしよう……?
相手はわたしのような少女のスカートに手を入れて短剣を抜き取るようなヤツだ。きっとロクなヤツじゃない。そもそも何でわたしはこんな所に連れてこられたんだろう?
「……それは考えるまでもないわね。パンケーキの粉が無くなっているんだから、きっとパンケーキの秘密を探ってるヤツに違いないわ……」
わたしを拐う時に聞いた声、思い出せないけど何処かで聞いたような気がする。わたしの場合、そんなにあちこちに出かけるわけじゃないから、きっとその声を聞いたのは城でしょう。
こんなことをしなくてもユケイ様はお優しいのだから、ちゃんとお願いをすればパンケーキの作り方なんて教えてくれるのに。それが出来ないってことは、きっとユケイ様にずっと嫌がらせをしている第二王子ノキア様の仲間だと思う。
腐り塩は挽いただけではパンケーキの粉にはならない。そこから一度水に溶かして、パンケーキの粉だけを取り出すお仕事が必要だ。
「もしかしてわたしが連れてこられたのは、その秘密を聞き出すためかしら?それじゃあカイン様はもしかして……」
一瞬わたしの頭の中を残酷な想像が通り過ぎる……
「……まぁ、カイン様ならだいじょうぶでしょうね。彼はとっても丈夫ですから」
さて、犯人はわかった。ユケイ様はわたしとカイン様が戻ってこないことにすぐ気づいてくれるはず。
少し待てば、ユケイ様やアゼル様が助けに来てくれるでしょう。ユケイ様がわたしを見捨てるはずはありません。それはぜんぜん心配はしていないけど、この場所をすぐに見つけてくれるでしょうか?
ノキア様が犯人だから、もしかしたらお城の中でわたし達を探してしまうかもしれない。ここはお城の中じゃないのに……あれ?ここは本当にお城の中じゃないの?もしかしたらわたしが気を失っている間に、お城の中に運ばれているのかも知れない。もしかしたら街の外に連れ出されているのかも……。
「どうしよう……。あ、そうだ!」
わたしは油袋の中から油を一滴だけ床に垂らす。
「えっと……『悠久に続く火の連なり、生みて焦がす炎の王の眷属、炎に使えし四枝の精霊よ、我が命の力をもって汝の力を分け与えたまえ……』」
少しの間をおいて、床に垂らした油から小さな炎が立ちのぼった。しかし油の量が少なかったため、それは数秒で消えてしまう。それでも暗闇に慣れた目には、一瞬でも目が眩むほどの光に思えた。
「えっと……、魔法を使ってすぐに火が出たっていうことは、『止まぬ風』の効果が効いているってこと。アルナーグの街から出てしまえば『止まぬ風』の力は借りれないから、アルナーグからは出ていないっていうことね。けど、お城の中ほど力を借りれている感じはしないから、街の何処かってことかしら?」
例えばオルバート領で同じ魔法を使った場合、火を点けるまでにもっと沢山時間がかかる。魔法を使ったのに体力もあまり使っていないという所から考えても、街の中ということは間違いはなさそうだ。
「さて、どうしようかしら?このままユケイ様が助けに来てくれるのを待っててもいいけど、それだとカイン様がちょっと心配です。ユケイ様だったらどうするかな?……いえ、ユケイ様だったらわたしにどうして欲しいって思うかな……」
多分、わたしが自分でここから逃げ出すということをユケイ様はお望みにならないような気がする。ユケイ様はわたしが危険なことをしたり、怪我をするようなことをしたらきっと悲しむと思う。いえ、怒るかもしれない。
わたしはユケイ様に怒られたくないし、ずっと褒めてもらいたい。
「とりあえず、部屋の中を調べてみようかしら?窓はないけど扉は何処かにあるはずだし」
室内は思ったより広く、どうやらそこは倉庫のようだった。多分工房ほどの広さはある。扉は一つで、おそるおそる開いてみようとしたけど、どうやら外から閂がかけられているようだ。
少し扉を揺らしてみたけど、外からは何も反応がなかった。部屋の外に誰もいないのか、わたしがゴソゴソしているのをわかった上で無視しているのかはわからない。
天井はとても高く、工房の倍くらいはあるようだ。天井の真ん中には窓……というか、光を取り入れるための穴が開いていて、その下には滑車のついた井戸が作られている。
部屋の中にはたくさんの麻袋が積み重ねられており、どれも挽いた小麦で満たされていた。その他にも机や椅子、探せばランプも見つかり、いろいろと使えそうなものもあるようだ。
「そういえば昔、オルバートのお屋敷でも倉庫に閉じ込められたことがあったっけ。あの時はユケイ様が助けてくれて、アセリア様が扉を開けてくださいました……。アセリア様も今頃星を見ているのかしら……」
天井を見上げると、小さな四角い窓の向こうにはたくさんの星が瞬いているのが分かる。それはとても小さな窓だけど、その向こうには広い空が広がっていることがわかった。
「そう言えば、前に走馬灯を回した時、ユケイ様がそのようなこと仰ってた気がします……」
天窓の下には外から冷気が流れ込んでくる。
「ユケイ様、アセリア様……、早くお会いしたいです……」
わたしは手を組み肩を窄め、寒さに身震いする体を抱きしめた。
……さて、それはそれ。
井戸、天窓、机、ランプ、井戸の滑車……、これを上手く組み合わせればこの倉庫から脱出できるような気がする。
しかしそれなりに危険だし、そんなことをしたらユケイ様に絶対怒られる気がする。
「それにわたしだけ脱出するわけにはいきません!カイン様も助けなきゃ!」
それなら第二プランでいきましょう!
だいじょうぶ!一生懸命したらユケイ様はきっと褒めてくれるはずだから!