毒見少女、走る Ⅺ
「わかりました。わたくしもできる限り人を出します。エナ王子にもお話を通しておきましょう」
「はい、お母様。ありがとうございます……」
「いいえ、元々はわたくしが錬金術を披露して欲しいなどとわがままを言ったのがきっかけ。貴方の大切な使用人のためです。力を貸さない理由などありません」
母はそばに控えるメイドを呼び寄せると、その者に二言三言耳打ちをする。何かを言われたメイドは深く頭を下げると、部屋から出ていった。
「アセリアがいると頼もしいのですけど。彼女はエナ王子の扱いが上手ですから」
「アセリアが?」
「ええ。彼女はとても優秀ですよ」
確かにそうだ。もしアセリアがこの場にいれば、きっと俺よりも上手く場をまとめてくれていただろう。いや、そもそもこんな事態にはなっていなかったのではないだろうか。
彼女がいればあんな時間にウィロットを使いに出すなんてことはしなかっただろう。それ以前に、錬金術を披露するということ自体、うまく収めてくれていたかもしれない。
普段俺たちが、どれだけアセリアの力に頼っていたのかがよくわかる。
「ユケイ、貴方の使用人は全て出払っているのですね?では落ち着くまでここにいると良いでしょう」
「はい、ありがとうございます……」
「大丈夫、ウィロットはとても機転のきく人です。きっと無事に帰ってきますよ?さあ、お茶でも飲んで知らせを……、あら?」
不意に母が、奇妙な声をあげた。
「どうされました?お母様」
「あれは何かしら?」
母が指差した先、それは部屋の窓のさらに向こうであった。
俺の執務室は2階にあり、母の部屋は3階にあるが、城の敷地の中にあるこの離宮から街を見渡すことは城壁に阻まれてできない。それでも一階分高所にあるため、空はより広く見渡せる。
「あれ……ですか?」
母の指先を辿ると、そこには夜の闇と多くの星が瞬いていた。
いや、その中で一つ、奇妙な動きをする星が……。目を凝らすとそれは、揺らめく炎のようにゆっくりと風に煽られるように上昇しているように見える。
「あれは……天灯だ!」
天灯。前世では孔明灯と呼ばれたりスカイランタンと呼ばれたりするそれは、小さな熱気球の一種である。
火で熱した軽い空気を袋に溜めるだけで作れるそれは、昔から通信手段としても使われることがあった。
そしてそれは、俺が以前作った走馬灯と同じ原理で動く。
「あら?またかしら?」
再び母が指差すと、そこには二つ目の天灯が城壁の影から姿を現した。
「え……?あ、あれも!?」
二つ目の天灯が上がったかと思うと、その数はみるみるうちに増えて無数の光の気球が夜空に列をなすように登って行くではないか。
冬の空に揺らめく暖かいオレンジ色の光は、まるで蛍がゆらゆらと遊び飛ぶ様子を思い起こさせる。
「まあ、素敵!あれはいったい何かしら?ウィロットもどこかであれを見ているのかしら……」
城壁に阻まれその出本を見ることはできないが、記憶によればおそらく以前ノキアと行った水車小屋の方に思える。
つまりそこは、カインが襲われウィロットが行方不明になった場所ということだ。
そういえば、天灯の光はそれぞれ微かに色が違っており、距離があるのではっきり言えないがところどころ強くオレンジがかった光を放つものがあるように見える。
「あの色はもしかして、重曹の炎色反応か……?」
重曹は火に焚べると鮮やかなオレンジ色の炎色反応を示す。そしてそれは、ウィロットが先日披露した錬金術の中にも取り入れられていたものだ。
「あれはきっとウィロットからの合図……」
どういう状況であの天灯をあげているのかはわからないが、ウィロットが持っているという裁縫道具と油、そして幾許かの材料があれば簡単に作ることができる。
彼女に機転が利けば、それを使って現在位置を知らせようとする可能性は十分あり得る。
「あれだけ目印があれば、アゼル達もきっと気づいてくれるはずだ!……はずだが、ウィロットが作ってるんならあんなに大量に作るだけの材料をどうやって用意しているんだ?」
少量の油と、外側を覆う幌があれば天灯は作ることができる。
一つを作るだけなら、手持ちの油とメイド服のエプロンや布地を加工すれば十分に材料は確保できるだろう。火は魔法で点けられるから、それは問題はない。
ウィロットが天灯を使って合図を出してくる可能性は考えていたが、あれだけ大量に上がっているのを見ると何か別のイベントが起こっているのではと思ってしまう。
「あれはウィロットの合図じゃ無いのか?」
それともたまたま監禁された所に、天灯の材料になり得るものがたくさんあったと言うのだろうか?
「天灯の方向から見ても、あれが上がっているのは倉庫街の方で間違いないだろう……。だったら、ウィロットからの合図だっていう可能性は十分にある。倉庫の中だったらいろいろ材料はありそうだけど、今の時期に倉庫に大量にあって、天灯の形にすぐ作りかえれるものってなんだ……?」
俺は考えを巡らす。
季節は秋、間も無く冬だ。オルバート領とは違い完全な冬籠りとはいかなくても、冬に備えて大量の物資を蓄えなければいけないのはアルナーグでも同じ。蓄えなければいけない物資はたくさんあるが、まず必要になるのは食糧だろう。
「食料……?あ……、ま、まさか……、アレか……?」
俺は一つの可能性に辿り着く。
この時期の倉庫に大量にあり、天灯の幌に簡単に加工できる布製で袋状の物体……。
俺は自分の血の気が、サーっと引いていく音を聞いた気がした。そしてその音が聞こえていたのか、それともみるみる蒼白になっていく俺の表情を見たのか、母にも伝わったらしい。
「ユケイ、どうしたのですか?顔色が優れませんよ?」
そう、俺が思いついた可能性、それは小麦粉の袋だ。
この時期の倉庫には、製粉された小麦が大量に保管してある。小麦は製粉されて布製の袋に詰められており、その袋を切り開いて簡単に縫い止めれば簡単に天灯は作れるはずだ。
それはいい。
問題は袋から取り出された小麦の方だ。
この時期は気温が低く、それに伴い湿度が下がるために空気は乾燥している。そしてその何で小麦の袋を開いたらどうなるだろうか?
切り開いて中を取り出すと言っても、わざわざ乱暴にぶち撒ける訳ではない。それでも数多く袋を開いていけば、当然幾分かの小麦は乾いた空気に乗って室内を漂うことになるだろう。一つ、二つでは問題ない。しかし、それを大量に繰り返せば室内に漂う小麦の濃度は上がっていき、そしてある一定量を超えた時に……。
「お母様!誰かをすぐにあの登る光の元へ向かわせて下さい!」
その瞬間、背後から発せられた明るい光が、濃い影を伴って室内を上から下へと駆け抜ける。
そして一呼吸のうちに空気を引き裂く破裂音が窓を叩き、ついで大砲を放ったかのような衝撃が窓を叩いた。
俺は後ろを振り返る。
そこはすでに静寂を取り戻しているが、衝撃に煽られてバランスを崩した天灯が、その身を真っ赤に燃やしながら落下していくのが見えた。




