毒見少女、走る Ⅹ
「それはもちろん駄目です。何があっても許可できません」
自らウィロットを探しに行くという俺の言葉に対し、アゼルは冷ややかな視線と言葉を向ける。
「何故だ!」
「何故?聡明なユケイ様でしたらわたしが答えなくても理由はお分かりではないのですか?」
「……ああ、分かっているよ!それでも俺は探しに行く。お兄様に掛け合ってくる」
「それではわたしがエナ王子に話を通しに行きます。それまでここでお待ち下さい」
「そんな悠長なことを言ってられない!俺が自分でお兄様の所へ行く!」
アゼルはやれやれと言わんばかりに首を振る。
「ユケイ様が離宮から出られないというのは、所詮ノキア王子との口約束です。貴方が何かの法を犯したとか、罰を与えられているわけではありません。ですから貴方がここから出ても誰も貴方を罰することはないでしょう。しかし……、貴方の代わりに罰せられるのは交換条件になっているカインです。それで良いというなら離宮からお出になればいいでしょう」
「そ……!それは……」
確かにそうだ。
俺が離宮に留まる理由、それはカインの免罪を求めたから。その件がどう処理されているのかは分からないが、俺にまだ強い恨みをノキアが持っているとしたらその矛先がカインに向く可能性は十分ある。
「それでもユケイ様が出られるのは城内までです。貴方を城外へ出せば、次に責任を問われるのはわたしとアセリアでしょう。それでもよければウィロットを探しに行かれるとよいでしょう。わたし達は王子であるユケイ様を止めることはできませんので」
そうだ。アゼルの言うことは全てその通りである。
俺の行いに関しての咎は、全て周りの者に降りかかる。それは俺が王子だからであり、封建社会のこの国で俺を罰せれるのは父オダウ・アルナーグのみなのだ。
俺が勝手に城から飛び出せば、俺を危険な目に遭わせたということでアゼルが罰せられるのことになるだろう。
「じゃあどうすればいいんだ!ウィロットは俺のせいで誘拐されたんだ!俺が錬金術の真似事なんかをさせたから……」
「少なくとも早々にウィロットの身に危険が及ぶことはないとおっしゃったのはユケイ様です。であれば、ユケイ様がするべきなのはこんな無意味な問答ではないはずです」
「俺がするべきこと……」
アゼルの瞳が俺をじっと見据える。
彼だってウィロットを救いたいという思いは同じのはず。一刻でも早くこの部屋を出て、彼女の捜索に向かいたいはずだ……。
そう。俺がすべきこと、そして俺ができること……、それは考えることだ。
俺がアゼル達と一緒に街を走り回っても、おそらくなんの役にもたたないだろう。俺が同行することによって、アゼルはウィロットの捜索ではなく俺の護衛に全力を注がなければならない。
もし運良く賊を追い詰めたとしても、自分で身を守ることができない俺の護衛をしながらでは、ウィロットを救い出す行動を取ることもできないだろう。
であれば足手纏いの俺は同行するのではなく、ここで頭を使った方がいい。
「カイン、ウィロットの持ち物はわかるか?」
「はい。腐り塩を挽いた粉は襲われた場所にはなかったのでウィロットが持っているはずです。あと彼女は裁縫道具と、少量ですが油を常に持ち歩いていました。護身用のナイフも持っているはずですが……」
「ナイフと裁縫道具と油……」
裁縫道具は側仕えの女性はほとんどが常に持ち歩いているものだ。ただそれは軽度の修繕用なので、僅かばかりの糸と針、そして小さな糸切り鋏程度のものである。
彼女が油を持ち歩いているのは、離宮の明かりを絶やさない為なのだろう。
離宮の明かりはほとんど全てが灯明で賄われている。
ナイフは当然取り上げられるだろうし、もしそうでなくても彼女の戦闘力には当然期待できない。むしろ危険を犯さない為に取り上げて欲しいくらいだ。
「わかった。街の門が閉まってどれくらい経つ?」
「はい、一刻ほどです」
「一刻か……」
前世でいえば午後6時ごろだろう。
秋の深まりと共に日は早く落ち、外は街灯の灯りがなければ歩く事も儘ならないほどの暗さだ。
明日の朝、街の門が開けばアルカンスが街の外へ逃げてしまう可能性もある。
「明日の朝、開門を遅らせたり検問をすることは可能だろうか?」
「残念ですがウィロットは平民です。城の働き手とはいえ、平民の為にそのようなことをするのは不可能でしょう」
それはそうだろう。
門が開かなければ多くの賠償金が発生するだろうし、検問をするにも多くの人と金がいる。
アルナーグには当然法があり誘拐は重罪だ。しかし、前世とは違い身分差があるこの世界で、平民に割ける資材は多くないのだ。
であれば、明日の開門の前までにウィロットを救出しなければならない。
「アルカンスは北方の国から来ていると言っていた。錬金術の道具も運ばなければならないから、おそらく荷馬車を使っているはずだ。ある程度金がある異国から来た人間が泊まれる宿、そして馬宿が併設されている場所はそう多くない。先ずはそこを洗ってくれ」
「なるほど、かしこまりました。それはわたしが指揮を取りましょう」
「いや、おそらくそこにウィロットはいない」
「何故ですか?」
「それなりの宿にはそれなりの人の目がある。錬金術興行を行うには多くの道具がいるし仕掛けを準備するための場所も必要になる。だからその問題を解決するために倉庫も借りているはずだ。カイン達が粉挽きを行ったのは城から最寄りの水車小屋だな?」
「はい、そうです」
「水車小屋の周りには倉庫が多く並んでいる。錬金術興行は城で行うわけだから、わざわざ城から離れた倉庫を借りるとも思えない。アゼルは水車小屋付近の倉庫をあたってくれ。予想だがそんなに大きな倉庫を借りているとは思えない」
「ユケイ様……」
ふと、アゼルとカインが俺を不思議そうな目で見ているのに気づく。
「どうした?」
「い、いえ。ユケイ様の聡明さに少し言葉を失いました」
「そんなこと言っている場合じゃ無い!ウィロットを確保する時は当然戦闘になるだろう。その時は決して憲兵に手を出させるな。憲兵の目的は犯罪者の確保であってウィロットの救出じゃない。憲兵に任せたら平民のウィロットは見捨てられるかも知れない。アゼルがしっかりと確保するんだ」
「はい、わかりました……」
「あとは……」
俺は最近のウィロットを思い返す。
彼女はここ数日、錬金術の練習を繰り返し行っていた。
そして、持ち物は重曹、裁縫道具、油、そして護身用の小さなナイフだ。
彼女は魔法自体はあまり多くの種類を扱えないが、着火の魔法は実に器用に使っている。そして彼女が今までに工房で学んだ技術……。
藁に縋る想いだが、微かな可能性が思い浮かぶ。
「……炎の下にウィロットがいるかも知れない。特に明るい鮮やかな橙色の炎は彼女の証だと思っていい」
「それはどういう……」
「えっと、それは……、いや、説明している時間は無い。アゼルは信頼できる者を連れてすぐに向かってくれ。カインは引き留めてすまなかった。すぐに治療に向かい、俺からの命令があるまで休んでいてくれ」
「ユケイ様はどうされるのですか?」
「俺はお母様に協力をお願いしに行く。離宮からは決して出ないと誓う……。だからアゼル、俺の代わりにウィロットを頼む……!」
アゼルとカインはそれぞれ短く返事をし、部屋を後にした。
人が居なくなった室内を見回す。
普段そこには、ウィロット、アセリア、カイン、アゼルの誰かが必ずいた。
ここに1人でいるというのは、もしかしたら離宮ができてから初めてのことかもしれない。
普段と変わらないはずの部屋はやたらと広く感じ、静寂が耳鳴りとなって襲って来るようだ。
身震いをする程に感じる冷気は、冬を迎えつつある秋の寒さのせいだけでは無いだろう。
「人を失うっていうのはこういうことか……」
冗談では無い。アセリアが戻ってきた時、誰一人かけることなく彼女を迎えなければならないのだ。
俺は母の元へ向かう為、無人になった部屋を後にする。
「ウィロット……」
大丈夫、彼女はただ守られるだけの女の子ではない。
廊下に響く足音は、まるで俺を追い立てるかのように冷たく響いた。