毒見少女、走る Ⅷ
次の日、ウィロットは朝からご機嫌な様子だった。いや、だいたい彼女は機嫌が良いのだが、今日は輪をかけてご機嫌だ。
ぱたぱたと室内を動き回る彼女の足音も、今日ばかりはぴよぴよといった不思議な音が聞こえてきそうなぐらいの上機嫌に思える。
それは午後になっても続いており、時折鼻歌まで聞こえてくるほどだった。
「ウィロット、今日は機嫌がいいね」
そう声をかけると彼女はピタリと足を止め小首を傾げる。
「そうでしょうか?」
「うん。そう見えるけど」
「うーん……。ユケイ様にそう見えるのでしたらそうなのかも知れません」
「昨日が楽しかったのかな?」
「そうですね、とっても楽しかったです!錬金術って素敵ですね!シスターシャ様に喜んでもらえたのも嬉しかったですし、素敵なドレスを着させていただいたのも嬉しかったです」
そういいながら彼女はメイド服のスカートをちょこんと摘み、くるりとその場で回ってみせた。
スカートの裾がふわりと広がる。
「けど、着心地はこの服の方がいいですね。1人で着れない服なんてとても不便ですし、コルセットもファージンゲールもとても窮屈で、もうつけたくありません。あれじゃあご飯も少ししか食べられないから毒見もできませんし、屈めませんからお掃除もできないです」
昨日の真っ赤なドレスは、正直に言えば見惚れるくらいウィロットに似合っていたと思うが、やはりそれなりに苦労がいるものだったのだろう。
とはいえ、ドレスよりもメイド服がいいと言われることには複雑な思いを抱くのだが……。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、なんでもないよ。そう言えば、アセリアは普段はコルセットとかはしているのかい?」
「……ユケイ様。女性のそういうことについて尋ねるのは、いけないことだと思います」
ウィロットのじっとりとした視線が俺を捉える。
「いや、ウィロットがその話題を振ってきたんだろう!?」と反論しかけるが、彼女の言うことが余りにも正論なので俺は口をつむぐしかない。
「ウィロット、お前が言い出したことだろうが……」
困っている俺を見て察してくれたのか、カインが助け舟を出してくれた。
「……確かにそうですね。今回は許してあげます」
ウィロットはそう言いながら、ふふふと笑った。
「そう言えばユケイ様、シスターシャ様は素敵なドレスをくださいました。わたしユケイ様からもご褒美をいただきたいです!せっかくユケイ様の代わりに頑張ったのですから!」
「あ、ああ、そうだね。ありがとうウィロット。そうだな……、何がいいかな?何か欲しい物はあるのかい?」
「そうですね……あ、そうだ!パンケーキをお腹いっぱい食べたいです!メープルシロップとバターをたっぷり塗って!」
「え、パンケーキ?そんなのでいいの?」
「はい!」
「パンケーキか……。それなら、もっとちゃんとした褒美を俺が考えるよ。もちろんパンケーキもたくさん食べれるように用意する。……あ、けど錬金術で重曹をいっぱい使ってしまったから残りがもう少なかったかもしれない」
そうだ。炎色反応を見せるためや水酸化ナトリウムを作るために、重曹のほとんどを使い切ってしまった。
原料のトロナ鉱石は残っているが、それも残り少ない。
しかし、手持ちのトロナ鉱石は全て重曹にしてしまえばベーキングパウダー分くらいの重曹は作れるだろう。
武装商隊が戻ればおそらくそれは大量に手に入るだろうが、それはまだ2月以上先の話だ。
「錬金術のご褒美は置いといて、パンケーキだったら好きなだけ用意するよ。けど昨日使ってしまったから、腐り塩を挽いてこないといけない」
「あ、はい。わたし行ってきます」
「今から?」
「はい。まだ明るいから大丈夫ですよ」
そうはいっても、秋も深まり日の入りがだいぶ早くなってきている。
粉を挽くだけでも半刻はかかるだろうから、帰る頃にはすっかり暗くなっているだろう。
しかしウィロットは一刻も早くパンケーキを食べたいのか、居ても立っても居られない様子だ。
「じゃあ、カインと2人で行ってきてくれ。寒いからちゃんと外套をつけて暖かくして行くんだよ」
「大丈夫ですよ。わたしはとても寒いオルバートで育ちましたから!」
「知ってるよ。それでもちゃんと暖かくして行くんだ。カインも頼んだよ」
「はい、ユケイ様」
ウィロットはお守りを付けられたことに不満そうな顔を見せるが、特に何も口には出さずに2人連れ立って部屋を後にした。
「ご褒美をいただきたいです……か」
2人が出て行った扉を眺め、無意識に口から言葉が出た。
先日エナから言われた言葉が頭を過ぎる。
「褒美を受け取らないと言うのは、認められたくも期待されたくもない証拠……」
ウィロットの態度を見ていると、エナの言葉に重みが出てくる。
彼女は何か物が欲しいのではなく、俺に褒めて欲しいからご褒美が欲しいと言っているのだろう。
その内容はともかくとして、彼女は真っ直ぐに俺からの評価を受け、そして次もその評価を求めて俺の期待に応えようとするだろう。
「俺はお兄様に、何を求めればいいんだろう……」
先日兄が言いかけた言葉、それはなんとなく分かっている。
「今のお前に望みがないなどと……」
その言葉の続きは、おそらく「なぜノキアを説得して離宮からの解放を望まないのか?」だろう。
しかし、それを望んでも兄が首を縦に振ってくれるとは限らず、俺が解放されればノキアと真っ向から対立をすることになる。
俺はそれを恐れているのだろうか?
それとも、兄に解放を望んで断られることを恐れているのだろうか……
「俺は何も大それたことは望んでいない……。王位なんていらないから、のんびりと暮らしていければいいだけなんだけどな……」
いっそのこと、そんなスローライフをエナに望んでみようか?
しかしそれは、彼が言う期待に応えるという望みからは最もかけ離れた物なのだろうが……。
そんな愚にもつかないことを悶々と考え、幾許かの時が過ぎる。
「そう言えば……、ウィロットたち帰りが遅いな?水車が混んでるんだろうか?」
ふと窓の外を見ると城壁に夕陽がかかる頃だ。
彼女たちが部屋をでて間も無く1刻は経つだろうか、普段であればもう帰っていてもいいはず。
もう街の門も閉められているだろう、だいたいそれを合図に多くの店は商いを終える。
当然水車の粉挽きも、仕事を終えているだろう。
「どうしたんだろう……。何かあったのかな?」
粉挽きに行っただけであれば流石に帰りが遅い。
ついでに何か用事があったのかもしれないが、夕食の準備もあるだろうからもう帰っていなければおかしい頃だ。
不安が頭の中を過ぎる。
すると、部屋の外が俄かに騒がしくなったかと思えば荒々しくノックされ、返事を待たずにバンと大きな音をたてながら扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、眉間に深い皺を寄せたアゼルと……
「カイン!どうしたんだ!?」
頭を布で大雑把に止血をした、服を赤い血で染めたカインだった。
「ユケイ様……申し訳ありません……。ウィロットが拐われました……」