毒見少女、走る Ⅶ
「それではシスターシャ様、こちらをご覧ください。ごく普通の小銅貨ですね?」
そう言いながらウィロットは母に銅貨を手渡す。
「ごめんなさい、わたくし小銅貨を見たことないの。これが本物かどうか判らないわ」
……まあ、母ならそれもあり得るだろう。
「そ……、それでは錬金術師さまは小銅貨をご覧になられたことはありますか?」
「も、もちろんです」
いや、母が特殊なだけで普通の人にそれを確認する必要はないだろう……。
案の定アルカンスは銅貨を確認しつつも、笑いを我慢しているのか肩を小刻みに震わせている。
「おほん。それではこちらをご覧下さい……。こちらは全ての神薬の父、メルクリウス・エリクシル。別名『賢者の石』でございます……」
ウィロットはそう言いながら机の上に被せてあった布を捲ると、中には燭台に掛けられたガラス製のカップ。そしてその中には、透明な液体が入っていた。
母は「まぁ!」と感嘆の声を上げたが、おそらくウィロットのいう賢者の石が何かは当然分かっていないだろう。
アルカンスは当然賢者の石は知っているだろうが、彼の表情を盗み見るとそれを鼻で笑うような態度を見せ、ウィロットの言葉を信じていそうな気配はない。
それもそうだろう。
賢者の石、それは錬金術の究極の目標と言われるもので、人間を不老不死へと導く何かだ。
そしてそれは、全ての金属を金に変える力を持つと言われているが、この世界においてもすでに伝説上の物体だと言われ始めているものなのだ。
なぜ「何か」という表現になるのか?それは賢者の石という名前ではあるが、それがどういう状態の物かは誰も知らないからである。
一説には青く輝く宝石とも言われ、また赤く輝く水銀だとも言われ、そして無色透明な液体だとも言われる。
呼び名も賢者の石やメルクリウス・エリクシルと言われたり、その他にも多くの呼び名を持つという。
ウィロットはモゴモゴと小さく魔法の詠唱をすると燭台に火をつけ、後に銅貨を液体の入ったカップの中に沈めた。
コンという小さな音を立てて銅貨は沈むと、しばらく待った後にスプーンでそれを掻き回した。
「あら?」
最初に異変に気がついたのは母だった。
そしてその声に疑問を持ったアルカンスが、目を凝らして銅貨を見つめる。
「……お?おお!な、なんとそれは……!」
アルカンスは身を乗り出す勢いで声を上げる。
「どうぞ、シスターシャ様。手にとってご覧下さい」
ウィロットは銅貨をカップから取り出し水で洗うと、それについた液体を拭き取り母に手渡した。
「これは……、小銀貨かしら?」
母は小銀貨も見たことがなかったのだろう。しかし、手の中のそれが茶色の金属から、きらきらと輝く銀色の金属に変わったということは理解している。
銅貨と銀貨では打たれている刻印が当然違う。
母の手の中にある貨幣の刻印は銅貨のものだ。しかし、その色や輝きは紛れもなく銀貨のそれに見える。
「刻印はさっきと変わっておりません。つまり、銅が銀になったのです」
「そ、そんな馬鹿な……!そんなことありえない……」
アルカンスがこぼした言葉に、アゼルはムッとした表情を浮かべる。
「王妃様がお連れした錬金術師に何か異議があると申すか?」
アゼルはそう言いながら、ギロリとアルカンスを睨む。
「も、申し訳ありません。決してそのようなことは……。しかし、それが賢者の石であるなら出来上がるのは銀ではなく金のはずです……」
「ご安心ください、錬金術師さま……」
ウィロットはにっこりとアルカンスに笑いかけると、母から銀色に変わった銅貨を受け取り、菜箸で挟んでそれを燭台の炎に晒した。
「錬金の秘術はこれからですよ」
炎に炙られた銀色の銅貨は、一同の目の前でみるみると色を変えていく。
「そ……、そんな!そんなことが!!」
アルカンスはアゼルが睨んでいることも気付かず、目の前で起こっている光景に目を奪われていた。
ほんの数秒のうちに、銀色の銅貨は鮮やかな光沢を放つ金色の金属にその姿を変えていった。
「お……、おお……!」
ウィロットは天秤ばかりを取り出し、一方の皿に普通の小銅貨を置き、その逆に金色になった小銅貨を置いた。
天秤はゆっくりと金色の小銅貨の方へ傾きを見せる。
「まあ、すごいわウィロット!」
母はパチンと手を叩き、アルカンスは金色の硬貨を見て絶句しているようだ。
さて、これはもちろん本当に銅貨が金貨になったわけではない。
これは要するに、真鍮の生成反応だ。
簡単に言えば、重曹を加熱して作った炭酸カルシウムと、海藻から生成した水酸化カルシウムを反応させて水酸化ナトリウムを作る。そして、水酸化ナトリウムを使って銅に亜鉛のメッキを施す。
つまりあの液体は亜鉛の粉末が入った水酸化ナトリウムなのだ。
これが銅貨が銀色に変わったことの種明かしだ。
そしてそれを熱することにより、銅とメッキされた亜鉛が溶けて混ざり黄銅、つまり金色の真鍮が生成されるのである。
重量が増えたのも、単純に亜鉛メッキの分質量が増えただけなのだ。
ウィロットはもちろんこの現象の詳細を理解しているわけではない。
しかし、何度も練習したその振る舞いと現場のノリに当てられたのか過剰なものの言い回しは、本物の錬金術師のようだ。
「そ、そんなことはありえない!こんな小娘が錬金術の深淵に辿り着くなど!イカサマだ!イカサマに決まっている!」
アルカンスが椅子から立ち上がり、声を震わせながらウィロットを指差す。
おいおい、自分たちがやっていたことを棚に置いてよくそんなことが言えるな……。
確かに金を作ったという点では嘘ではあるが、お前たちが見せた手品に比べれば、よっぽど錬金術だ。
しかしまあ、彼がかつて本当に錬金術の深淵を目指していたのであれば、信じられないと思うのも無理はない。
とは言え、自分のやっていることを顧みればよくそんなことが言えたものだ。
「そうだ!もともと硬貨は3枚あったんだ!色の違う硬貨をすり替えたんだ!」
「あら、ウィロットの硬貨はわたくしたちの目の前で色が変わりましたわ」
俺やウィロットに変わり、母がアルカンスに反論する。
「そ……、そんなことは……、あ、ありえない……。彼女はこの城の錬金術師なのですか?そもそも女が錬金術をするなど、許されるのですか!?」
「彼女はこの城で働くメイドです。それより、女性が錬金術をしていったい何がいけないというのですか?」
「メ、メイド……?メイドが錬金術を?そんな……、馬鹿な……」
アルカンスは興奮で息が上がり、まるで死霊のように両手を伸ばしてフラフラとウィロットの方に歩こうとする。
彼女の顔がこわばるのが見える。
「アルカンス!いい加減にしろ!」
俺は思わず声を上げ、ウィロットの前に立ちはだかろうとする。
しかし、それよりも早く動く影があった。
「控えろ!王妃様の御前だぞ!」
アゼルはそう一喝すると、ウィロットに掴み掛からんとするアルカンスを殴り飛ばした。
派手な音をさせながらアルカンスは地面へと倒れ込み、その場で直ぐに城から退場するように命ぜられた。
俺は退室させられるアルカンスを横目に、ウィロットの元へと駆け寄る。
「ウィロット、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます、ユケイ様。守ってくださって……」
「い、いや、そんなことはないよ。守ったのはアゼルだ」
「いいえ、そんなことありません。ユケイ様も守ってくださいましたよ」
そう言いながら、彼女は両手でそっと俺の腕を取った。
彼女の手は氷のように冷たく、気丈な態度とは裏腹に細かく震えているのが分かった。
「すまない。こんなことウィロットにやらせるべきじゃなかった……」
「そんなことありません。シスターシャ様の喜ぶ顔が見れました。それだけでわたしは満足です」
そう言いながら、ウィロットは母に向かってにっこりと笑った。
「ウィロット、ごめんなさい無理を言って。けど、あなたが見せてくれた錬金術はどれもとても楽しかったわ」
「ありがとうございます、シスターシャ様。楽しんでいただけましたか?」
「ええ、もちろんです。とても素晴らしい錬金術だったわ」
そして2人は微笑み合い、その場はなんとか和やかに解散することができた。
しかし、事件が起きたのはその翌日のことだった……。