毒見少女の憂鬱 Ⅶ
「フン……。こんな油くさいところでよく作業できるものだ」
厨房に入るやいなやついたその悪態は、俺に向けられたものだろうか。
「ネヴィル様、お砂糖を駄目にして申し訳ありませんでした。けど、王子様のお知恵でスープからお砂糖を取り出すことができました!お返しします!」
ウィロットはネヴィルに砂糖が入った瓶を手渡そうとする。しかし彼はそれを受取ろうとはせず、冷ややかに瓶の中を一瞥するとこう言った。
「……足りないな。もっとたくさん砂糖は入っていたはずだ」
「えっ?」
ウィロットは一瞬何を言われたのかわからないといった表情を浮かべる。
「間違いない!砂糖はもっとたくさんあったはずだ!これでは全ての砂糖を返したとはいえない!」
「いや、待て、ネヴィル!これは砂糖が結晶化しているから少なく見えるのであって、元のように粉末状にすれば量はほとんど変わらないはずだ!」
「ユケイ様、そういうことを言ってるのではありません。ユケイ様はこの農奴がスープを入れる前の砂糖の量を見たのですか?」
「いや、それは見ていないが……」
「農奴の女!お前は砂糖を見たか?」
「いえ、見てません……」
見かねたアセリアが口を挟む。
「ネヴィル!いい加減にしなさい!」
「お姉様は黙っていてください。お姉様も砂糖の量を見ていたわけではありませんね?」
「それはそうですが……」
「よろしい。これでは間違いなく砂糖は足りていない。どうせバレないと思って途中でつまみ食いでもしたのだろう。……しかしまあ、一部の砂糖は返したということは認めてやろう。女の家に砂糖代を請求するのは勘弁してやる。残りの砂糖代は、お前が一生この屋敷に尽くし、その給金で賄うといい!」
「そんな馬鹿な話があるか!」
俺は思わずネヴィルに向けて声を荒げた。
彼は一瞬怯んだが、フンと鼻息を吐くと俺に向き直った。
「ユケイ様、貴方もこんな農奴の戯言に付き合うのはお止め下さい。こんな錬金術まがいのことばかりしているから、いつまでたっても魔法が使えぬのです。こんな所にいるより、いっそ魔法を習いに賢者の塔にでも行った方が……」
「そんなことはありません!!」
ネヴィルの声を遮ったのはウィロットだった。
「王子様は魔法が使えなくても、いっぱい勉強していて何でもできます!魔法が使えても何にもできない人より、王子様の方が絶対に立派です!!」
一瞬室内に沈黙が訪れる。しかし、それを破ったのは顔を真っ赤にしたネヴィルだった。
「何もできないとは誰のことだ!そもそも農奴が貴族に対してそんな態度をとるなど、許されると思っているのか!!」
彼はウィロットに歩み寄ると、彼女の胸倉に手を伸ばそうとする。
「ネヴィル!」
アセリアの声と同時に、彼女の平手がネヴィルの頬を叩く音が響き渡る。
「……お姉様?」
「いい加減にしなさい。態度を改めるべきなのはあなたです」
「お姉様……!なんでいつもユケイの味方ばかりするのですか!ぼくだって……、ぼくだって!」
ネヴィルの瞳から涙が零れ落ちた。
「そういうことを言っているのではありません。ウィロットの態度にも問題はありますが、それはわたしが注意をします。あなたは部屋へ戻りなさい……」
ネヴィルは小さく震えながら拳を握りしめるが、俺の方をキッと睨むとそのまま厨房を後にした。
俺はそんなネヴィルの背中を黙って見送る。
おそらく今回ネヴィルがつけてきた言いがかりは、慕う姉を俺に取られたことによる嫉妬から来ているのだろう。俺自身がアセリアを傍に置くことを望んだわけではないが、それに関しては申し訳なくも思う。
だとしても、その腹いせにウィロットを犠牲にするということはどうしても納得いかない。
しかし、この世界ではむしろネヴィルの感覚の方が正中なのかもしれない。貴族と農奴では立場も何もかもが違うのだ。そして、その感覚はアセリアの中にもある。おそらく彼女はこれ以上、農奴であるウィロットのために実の弟と対立しようとはしないだろう……。
部屋の中に重苦しい空気が残る。
そんな中、ウィロットが1人深いため息を吐き、そして予想外にさっぱりした声で俺に話しかけた。
「王子様、ありがとうございます。これで家族が飢えることはなくなったと思います。わたしはもうそれで十分です……」
そう言いながら彼女は、蔦の葉のような形のペンダントをぐっと握りしめた。そのペンダントは、いつの間にか赤色に着色がされている。
「しかし、それではウィロットが……」
「いいんです。王子様の元に行けないのは残念ですが、しかたありません。せめて王子様がここにいる間だけでも、王子様の食事が冷めないように急いで毒見をするようにしますね」
ウィロットはそう言うと、淋しそうにニコリと笑った。
「ユケイ様……、不出来な弟をお許し下さい……。早くに母を亡くし、父に甘やかされて育ってしまいました。その上、父もずっと病気で伏せていますから……」
であればなおさらだろう。おそらくネヴィルにとって、アセリアは母のような存在だったにちがいない。
これ以上はどうしようもないのかもしれない。確かに誰も元の砂糖の量を見ていないのであれば、異議を申し立てても確認のしようがない。実際、元あった砂糖を1粒残らず抽出するのは不可能なのだ。厨房の下働きに証言を求めることはできるが、彼らは今後もここで働いていかなければならない。その責任を負わせるのは酷だろう。
「……もういいよ。ネヴィルはウィロットに固執しているわけじゃないんだろ?これはもう俺の負けでいい。そのうち自分で稼いで、瓶一杯の砂糖でウィロットの身請けをするよ。それならアセリアも文句ないだろ?」
「王子様……、ありがとうございます……」
「その、王子様っていうのはちょっとやめてくれないかな?みんなと同じようにユケイって呼んでくれていいよ」
「はい、わかりました!ユケイ!」
ウィロットの声を聞いた瞬間、アセリアの顔が真っ青になる。
「ウィロット!!王子様を呼び捨てでいいわけがないでしょう!様をつけなさい!様を!」
「ご、ごめんなさい!ユケイ様!」
アセリアが思わず手を振り上げ、ウィロットは両手で頭をかばう。
首から下げたペンダントが大きく揺れた。