毒見少女、走る Ⅴ
その後母との夕食の間も、ウィロットの言葉は俺の脳裏を反響し収まることはなかった。
言ってしまえば魔力の目を持たないというのは俺個人の問題であり、それを周りがどうこう言う問題ではないと言えなくもない。
しかしそれは、俺の生まれが許さないだろう。
王家に生まれたからには、果たさなくてはいけない責任がある。そんなこと俺には関係ない!……と、突っぱねることはできるだろうか?
いや、それは不可能だ。
なぜなら俺は、王子であることの利益をたっぷりと享受しているからである。
城に住み、税金で暮らす限りは王族としての責任からは逃げられない。
俺の場合はさらに、「王族であるのに魔力の目を持たない」という誹りを受けることすら課せられた義務なのだ。
もし俺が平民の家に生まれていたら、この年まで真っ当に生きてはいなかっただろう。
この世界では、命を繋ぐことにも多くの魔法が関わっている。その中でこの年まで魔法に頼らず無事に生きてこれたのは、王族がもたらす金と権力のおかげなのだ。
魔法の明かりを使わずに毎日高価な油を使い明かりを灯し、怪我をすれば癒しの奇跡に頼らずに高価な薬草を惜しげもなく使う。
それを可能にしているのは、俺の王子だという立場なのである。
そうでなければ、早々に売りに出される運命だろう。
ウィロットも過去に、冬支度のために農奴として売られたという過去がある。
それ自体は決して珍しいことではないのだが、だからこそ尚更彼女も十分に理解しているはずだ。
彼女は今、衣装を替えるために部屋から離れている。毒見を済ませた後、衣装替えを行うと言った母の侍従に連れ去られてしまったのだ。
どうやら母は、彼女のためにドレスを用意していたらしい。
この時代において、ドレスというものは全てオーダーメイドであり、数日で作れるようなものではない。
ということは、もっと前からウィロットのドレスを準備していたということだろうか?
この世界のドレスは、前世のように上から被って下から履いてという単純なものではない。
部分的に体に当ててからそれを縫い付けるという、着るというよりパーツを組み合わせて作ると言った方が近いくらい非常に手間かかるものなのだ。おそらく身にまとうだけで半刻はかかるだろう。
俺もまさかそんなものが用意されているとは知らず、着慣れない彼女が何か失敗をしないか気が気でない。
もっとも、本来であれば彼女の衣装に関しても俺が気を使うべき事だった。
たとえエセ錬金術師だったとしても、遠方から招かれた客に対してメイド服姿の者が芸を披露するべきではない。
アセリアがいてくれたらきっと彼女が段取りを組んでくれただろうが、居なくなってみて俺がいかに彼女に頼っていたかがはっきりとわかる。
「ユケイ、どうしましたか?何か考え事ですか?」
母の声に思考が寸断される。
ふと見ると、母だけでなくカインまでが心配そうな視線を俺に向けている。
「あ、はい、申し訳ありません、お母様。えっと、エナお兄様から褒美を頂けるということなのですが、それが思い浮かばなくて……」
「ああ、そうだったのですね。前みたいなことを言って、エナ様を困らせないようにしなさい?アセリアがいないのですから」
そう言って母はにっこりと微笑む。
前みたいなことというのは、おそらくエナに母の里帰りを申し出たことだろう。
どうやらアセリアの信頼は母にも厚いらしい。
彼女は俺の知らないところで離宮内の様々な仕事をしているらしいが、母との親交も深いのだろう。
トントン……
不意に部屋の扉が、軽やかにノックされる。
「失礼します……」
ゆっくりと開かれた扉の先にいたのは、先ほどウィロットを連れ去った侍従。そして真っ赤なドレスを身に纏ったウィロットだった。
「まあ……!」
母が感嘆の声をあげる。
俺も見慣れない彼女の姿に、思わず見惚れて息をのむ。
「ユケイ様……。あんまりじろじろ見ないで下さい……。恥ずかしいです……」
彼女の白い頬が微かに赤く染まっているのは、頬紅のせいだろうか。
ドレスは厚手のベルベットで仕立てられており、彼女の赤みがかった髪と合わせたような深みのあるワインのような赤色だ。
それはウィロットの白い肌を、よりいっそう綺麗に引き立てる。
長くて緩やかに広がるスカートは金色のレースが幾重にも編み込まれ、裾にも金糸によるの刺繍が施されていた。
細く絞られた腰から胸にかけては幼いラインが浮き出るも、袖口や首元には花のようなフリルがあつらわれ、少女らしい彼女の愛らしさを引き立てていた。
「……ウィロット、とてもよく似合っているよ」
それは無意識に出た言葉だった。
「あ……、ありがとうございます……」
そう答えると、彼女の顔はドレスのように耳まで真っ赤に染まっていった。
「ほんと、とても良く似合ってるわ!どこかの国のお姫様みたい」
「あ、あの、シスターシャ様、素敵なドレスをありがとうございます……」
それだけを口にすると、彼女はうつむいて何やらもごもごと口篭ってしまった。
容姿について褒められることに慣れていないのか、いつもは元気で底抜けに明るい彼女の、こんな姿を目にしたのは初めてだ。
「どう?ウィロット。ドレスの着心地はいかが?」
「えっと、あの、コルセットがとても苦しいです……」
照れ隠しなのか、ウィロットははにかんで答える。
「ふふふ、そうね。それがドレスの着心地よ。覚えてらっしゃい」
母は楽しそうに微笑んだ。
「シスターシャ様もコルセットをしているのですか?」
「ええ、もちろん。リュートセレンでは、城の女性は9才の誕生日に母からコルセットをもらうのよ。わたしは8才の頃からつけていたわ。貴族だけじゃなくって、女性であれば城の誰もがコルセットをつけているのよ」
「えっ?メイドもコルセットをつけなきゃいけないのですか!?」
「ふふふ、そうよ。アルナーグではあまりコルセットを重要視する風習はないですけどね」
ウィロットは信じられないという表情を、隠そうともせずに浮かべる。
母の侍従が向ける冷たい視線も、全く意に介さないようだ。
「……それなのに、シスターシャ様は今でもコルセットをつけているのですか?」
「ええ。わたしはもうコルセットを付けていても辛くないの。小さい時からずっとつけていたから、体がその形になってしまっているのよ。長く押さえつけられるとね、コルセットをとっても体は元に戻らないのよ。それは人の考え方も同じね……」
母の笑顔に、ほんの少し影がさしたように見えた。
「シスターシャ様?」
「いいえ、なんでもないわ。それじゃあそろそろお部屋を移りましょう?ウィロット、わたしはね、錬金術師が見せてくれるものよりもあなたが何を見せてくれるのかが楽しみで仕方がないの。よろしくね」
母はすぐにいつもの笑顔を取り戻し、ウィロットに笑いかける。
「はい、シスターシャ様!わたしがんばります!」
そう答えるウィロットは、着慣れないドレスのことなどすっかり忘れたかのような、いつも通りの花が溢れるような笑顔を振り撒いた。
その大輪の笑顔は、真っ赤な薔薇のようなドレスと比べても、少しも引けを取らないほどに可憐だと思う。