毒見少女、走る Ⅳ
その日の昼食後、俺とウィロットとカインは工房にいた。
錬金術師が離宮に訪れるのは夕食後であり、それに向けての準備を行っていたのだ。
「ユケイ様、錬金術ってすごいですね!わたし魔術師になったみたいです!」
「うん、そうだね……。もしかしたら、魔術師に一番近いのは錬金術師なのかも知れない」
「そうなんですね!」
この場合のウィロットの「そうなんですね」は、理解できない時に出る考えるのを放棄した同意だ。
実際に錬金術と魔術の門には非常に共通点が多いと思ってはいるが、魔術の門に関することを俺が語ることは難しいだろう。
「原理はともかく、やり方はだいたい覚えただろう?大丈夫そうか?」
「はい、任せてくださいユケイ様!しっかりユケイ様の代わりを勤めて見せますよ!」
「うん、頼むね。火とか薬品も使うから、気をつけてやるんだよ」
「はい!」
彼女は上機嫌だ。
こんな面倒なことを押し付けて申し訳ないという気もあるが、彼女のノリノリな様子を見ると少し安心できる。
もしかしたら俺に気を使ってそのような態度をとっているのかも知れないのだが。
不意に工房の扉がノックされた。
「誰だろう?アゼルかな?」
「アゼル様は今日はこちらには来られないと聞いています」
カインはそう答えると扉に手をかけ、その来訪者の顔を見ると一瞬で青ざめる。
「エ、エナ王子……!」
扉の向こうにいたのは、護衛を連れたアルナーグの第一王子、エナ・アルナーグだった。
カインは慌てて礼をすると、俺の傍まで戻り控える。
「お兄様……!こんなところまで……!」
「いや、よい。急に訪ねてすまぬ」
「いえ、とんでもないです。ここにはソファもありませんので、お部屋まで……」
「ここで良い。時間もないからな」
「は、はい……。それで、本日はいったい……」
確かエナはこの工房に立ち入ったのは初めてだったはずである。
エナは何かを探すかのように、室内をぐるりと見回した。
しかし室内を見回すも、さして興味を引くような物はなかったらしい。
「また何やら奇妙なことをしているようだが、まあいい。ユケイ、コレアナの件の褒美をなぜいつまでも申し出ない?」
コレアナの件、それは先日起きた食中毒騒ぎのことだ。
あの時エナは俺に褒美を与えると言ったが、俺はそのことに対する返事を保留にしたままだった。
特に欲しい物が思い浮かばなかったというのもあるが、その後すぐに処刑されたと聞いたコレアナのことを思うと、そんな気分になれなかったというのもある。
「申し訳ありません、今褒美で頂きたい物が思い浮かばないので……」
「今のお前に望みがないなどと……。まあよい。ユケイよ、褒美を受け取らぬというのは決して美徳ではない。褒美とはお前に対する投資だ。それを要らぬというのは、自分が認められたくもないし、期待されたくもないと言っているのに等しい」
「そんなことは決してありません……!」
口では否定したが、エナの言葉は俺の言語化されていない胸の内を正確に言い当てたような気がして、ハッと息を飲んだ。
「ならば良い。では、俺からの期待を受け取るために、オルバートから来た文官と相談して数日の内に褒美を決めよ」
その言葉を聞いて、ウィロットが目をぱちぱちと瞬かせる。
いや、それはアセリアのことであって決してウィロットを指して言っているのではない。
「アセリアは商隊に同行してリュートセレンに向かっており、しばらく不在になります」
「商隊に同行?なんと、武装商隊の話は聞いていたが、女性の文官を商隊につけたということか?」
「はい……。彼女自身からの申し出もありまして……」
「目付役は当然必要だが、女性の身には厳しい旅だろうに。ふむ……」
そう言うとエナは何か考える素振りを見せる。
「まあよい。褒美の件は一刻も早く返答をするように」
それだけ言い残すと、彼は工房を後にした。
エナの気配が消えてたっぷりと10を数えた頃、カインが「ふぅー」と大きく息を吐くのが聞こえた。
「この国の王子様を初めて目にしました……。やはり王族の方は迫力がありますね……」
いや……、俺もノキアも王子なんだが……。
まあそんなことはどうでもいい。
「お兄様は褒美のことをわざわざ言いに来たってことなのかな?」
「うーん、アセリア様を探していたような気がしますけど?」
ウィロットが何事もなかったのように答える。
「アセリアを?なんでそう思ったの?」
「えっ?なんでって言われると困りますけど……。なんとなくそう思いました」
「なんとなく……か」
それはもちろんなんの根拠もないことなのだが、エナが室内に入ってきた時の様子などを思い返してみるとウィロットの言うことはあながち間違いではないような気がしてくる。
「ウィロットは意外といろいろ見てるんだな」
「意外とは失礼ですよ、ユケイ様」
「失礼はお前だぞ」
カインが根気強く横槍を入れる。
「けど、だとしたらアセリアに用事ってなんだろう?」
「なんでしょうね?えっと、お見合いとか?」
「いやいや、そんなことは……無いとは言えないのか?」
「そうですよ。もう結婚して子供がいてもおかしくないお年ですから」
「そうか……。確かにそうだよね」
アセリアは今年で23才になったはずだ。
貴族の娘である彼女は、とっくに結婚をしていてもおかしくはない。しかし、彼女の立場での結婚とは、個人同士の話ではなく家と家の結びつきだ。
本来なら彼女の両親が率先して彼女の夫探しを行うのだろうが、母はすでにこの世から旅立ち、父も長く病に伏せっていた。
社交にも顔を出していない彼女には、今までそのような機会がなかったのだろう。
「アセリア様はまだ結婚しないっておっしゃってましたよ。沢山お仕事をしたいそうです」
「そうなんだ……」
この世界では、女性の地位は男性のそれと比べれば明らかに低い。
多くの女性に望まれるのは、子を産み母としてそれを育てることだ。アセリアのような貴族の娘にしてみれば尚更である。彼女自身の本当の思いはどうなのだろうか?
父の元を離れてこのアルナーグで働いているということが、彼女を結婚から遠ざける結果になっているのかも知れない。しかし、このアルナーグに来ることは彼女自身が望んだことだと聞いている。
もしかしたら、結婚を逃れるために此処に来たなんてこともあり得るのだろうか?
「ユケイ様は結婚されないんですか?」
「俺が……、結婚なんてできるわけないだろ……?」
「え?なんでですか?」
ウィロットは不思議そうに俺を見る。彼女にすれば、単純に理解できない疑問なのだろう。
「そりゃあ俺には魔力の目がない。俺の子供にも魔力の目がないかもしれない。そんな人間をこれ以上王族から出すわけにはいかないから……」
「そうなんですか?」
「そりゃあそうだろ……」
「わたしはユケイ様が誰かに迷惑をかけているところを見たことないですけど」
「それは……、そんなことないよ。例えばお母様が離宮に閉じ込められているのは俺のせいだし、ノキア兄様を苦しめたのも俺だ……」
ウィロットは両手を組んで、「うーん……」と唸りながら考え込む。
「それは違うと思います。シスターシャ様を閉じ込めたのはユケイ様が悪いんじゃなくって閉じ込めた人が悪いと思います。それに、ノキア様は苦しんでなんかいないんじゃないですか?苦しんでるとしても、それはノキア様が勝手に苦しんでるだけでユケイ様には関係ないんじゃないでしょうか?」
そう言いながら彼女は、相変わらずの心底不思議そうな表情のまま小首を傾げた。
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