毒見少女、走る Ⅰ
毒見少女、走る
「アセリア様、今ごろどちらにいるんでしょうね」
ウィロットは工房の棚を整理しながらぽつりと呟く。
アセリアを連れた武装商隊がアルナーグを出発して5日が経った。
彼女の口からは同様の意味の言葉が形を変えて何度も飛び出す。それはおそらく無意識のうちに口から出ているのだろう。
「そうだね。英雄の街道を使っているから、もうリセッシュにはついているかな」
ウィロットはアセリアが居なくても特に不安そうな様子は見えない。
それでも頻繁にアセリアのことを気にかけるのは、どうやら寂しいということらしい。
リセッシュは風の国アルナーグと地の国ヴィンストラルドを結ぶ国境の街だ。
両国が同盟を結ぶ前、そこは関所と砦があっただけの場所だった。その後リセッシュの砦は宿場町となり、今では交通の要としての街へと発展したのだった。
アルナーグとリセッシュをつなぐ街道は2本あり、一つは今回アセリアが行く英雄の街道。そしてもう一つは春を寿ぐ街道だ。
英雄の街道はアルナーグとリセッシュをほぼ真っ直ぐにつなぐ街道ではあるが、途中で何箇所か森の中を進まなければいけない。
森は妖魔のテリトリーだ。
今回のように強固な護衛がなければ決して簡単に進める道ではない。
秋という時期を考えれば尚更だ。
一方、春を寿ぐ街道を行けば比較的安全に進める。しかし英雄の街道に比べれば大きく迂回をすることになってしまう。
「リセッシュからヴィンストラルドまではどれくらいかかるんですか?」
「俺も行ったことは無いからはっきりわからないけど、多分5日くらいじゃないかな?」
「ユケイ様もいつか行けるといいですね。ヴィンストラルドって、魔術師がいっぱいいるんですよね?」
「それはね。やっぱり賢者の塔があるからね」
地の国ヴィンストラルドには、伝承の龍の亡骸から手に入れたたと言われている「魔術の門」というものがある。それはアルナーグに伝わる「止まぬ風」と同じで、具体的にどういうものなのかを知る者は極わずかだろう。
この世界に多数存在する魔法の系統のうち、最も多くの人に関わるといわれているものを3大魔法と言われている。
一つは最も使う者が多い「精霊の加護」
そして、聖職者達が使い、神事や癒しの奇跡を授ける「神の奇跡」
最後に、魔術師と呼ばれる者たちが使う魔法、「魔術の門」だ。
当然龍の亡骸から手に入れたという「魔術の門」と呼び名が一緒であることは偶然ではないだろう。
ヴィンストラルドには賢者の塔と呼ばれる場所があり、多くの魔術師達が魔術の研究を行う研究機関のような場所だった。
そこには魔術の深淵を求める多くの人が集う。
「ユケイ様も賢者の塔に入りたいんですか?」
「うーん……。昔ほどじゃないけどね。入れるのなら入りたいっていうのが正直なところかな」
「やっぱり今でも魔法は使いたいですか?」
「それはもちろんそうだけど、それ以外にも賢者の塔でどんな研究をしているのか知りたいし、俺の力も研究に活かせるんじゃないかなって思うんだ」
「それはユケイ様は頭がいいですからね。賢者の塔の人も来て欲しいっていうと思いますよ」
まあ、実際はそんなことはないだろう。
そもそも賢者の塔は誰でも入れる場所ではない。
それなりの身分、それなりの才能がなければ、塔の扉は決して開くことがないのだ。
「魔法と魔術って、どう違うんですか?」
「魔法と魔術……って、精霊の加護と魔術の門って意味?」
「えっと、たぶんそうです」
「魔法と魔術か。まあ、確かにそう言いたくなるのもわかるけどね。俺たちが普段から魔法って言ってるけど、それは正確には精霊の加護っていう種類の魔法を指すんだ。一言でいえば、精霊の力を借りて一つの現象を起こすのが精霊の加護。そして、精霊の力を組み合わせて複雑な現象を起こすのが魔術の門だ」
「それはアセリア様に教わって勉強したから知ってます。けど、意味はわからないです」
ウィロットの返答に、彼女の勉強を見るアセリアの苦労が目に浮かぶようだ。
「例えば、ウィロットは火をつける魔法が得意だろ?」
「はい。便利ですから!」
「そうだね。じゃあ、この空中に火を出すことはできるかい?」
そう言いながら、俺は何もない空中を指差した。
「何もないところにですか?そんなことはできません。蝋燭を持ってくればできますけど」
「うん、そうだね。じゃあ、この銀の匙に火を付けることはできるかい?」
「できません。銀は燃えないです」
「つまり精霊の加護っていうのは火を出しているんじゃなくって、精霊の力を借りて燃える物を燃やしているっていうことなんだ」
さらに正確に言えば、一般的に可燃物と言われる物には発火温度、すなわち発火点というものが存在する。
それが何度なのかは木であったり紙であったり物質によってまちまちなのだが、一定の温度まで加熱してやればその物体には火がつく。
つまり精霊の加護で火を着けるというのは、精霊の力を借りて物体を一定の温度まで急激に温めるということなのである。
例えば精霊の加護で光を呼び出しあたりを照らすことはできるが、精霊の加護で物を冷やすことはできても氷を呼び出すことはできない。
もっとも、物を冷やすというのは火を着けることと比べると非常に複雑な現象だ。
よっぽど魔法の才能がなければ、それを行うことは難しい。
「じゃあ、魔術だったら空中に炎を出したり、氷を出したりできるっていうことですか?」
「まあ、簡単にいえばそういうことだね」
厳密に言えば複雑な手順があるのだろうが、そういう理解でいいのだろう。
実際昔の文献によれば、伝承の龍と戦った魔法使いは星の世界から隕石を召喚したとも言われている。
「……なるほど、よくわかりました!」
そう言いながら、ウィロットは満面の笑みを浮かべた。
まあ、これで理解できたのならアセリアも苦労しないだろう。
しかし、俺に向かって堂々と魔法の話題を振ってくるのはウィロットだけだろう。
他の人は誰もが魔法が使えない俺に気を使って、俺の前で魔法の話をしようとはしないし、俺の前で魔法を使おうともしない。
使うにしても申し訳なさそうに、俺に断りを入れることがほとんどだ。
実際俺とウィロットの会話を聞いているはずのカインは、気まずそうに視線を逸らしたりウィロットにそれ以上言うな的な視線を送っている。
しかし、ウィロットだけはお構いなしである。
俺の目の前で気兼ねなく魔法も使うし、先ほどの様に魔法の質問も容赦なく俺にぶつける。
俺はそんなことは全く気にしないのだが、カインに言わせればそれも不敬ということなのだろう。
「それよりウィロット、今晩のお母様との夕食はほんとうに1人で大丈夫なのかい?毒見もして給仕もしてだと流石に大変だと思うんだけど……」
「大丈夫です!わたしはユケイ様の毒見を他の人にお任せする気はありませんし、給仕もちゃんとできます!アセリア様と約束しましたから!」
アセリアとどんな約束をしたのか知らないが、彼女も決してそういう意味で言ったのではないと思うのだが。
それでもせっかく張り切っているところに水を差すのも申し訳ないし、母はどうやらウィロットのことを気に入っているようだ。
多少の失敗をするにはむしろいいタイミングなのかもしれない。
まあ、母が連れている給仕もいるのだから、よっぽどのことにはならないだろう。