パンケーキとメープルシロップ
その後俺たちも炊事場を追い出される。どうやら念のために全ての食材の検査が行われるらしい。
とりあえず俺の部屋へ移動することにしたが、その間誰もが一様に重い口を開こうとはしなかった。
その日は結局、俺たちに夕食が用意されることはなかった。
誰もがそんな気分じゃなかったのか、それに文句を言うものはいない……。ウィロット以外は。
「ユケイ様、おなかが空きました。パンケーキを食べましょう」
「……ウィロットは元気だなぁ」
「元気じゃありません。おなかが空いていますから。元気になるために美味しいものを食べるのです」
彼女の言葉は、きっとそのままの意味で発したのだろう。
しかし、それはそれで奇しくも一つの真実のような気もする。
「……確かにウィロットの言う通りかもしれないね」
遅れてアセリアとカインが部屋に現れた。2人は燻製機と格闘していたため全身煤だらけになっており、その着替えなどに手間取っていたからだ。
「まるでベーコンになったかの様な気分です。しばらく燻製したものは食べたくありませんね」
「口の中まで煤だらけです。何を食べても燻製の味がしそうだ……」
2人はよっぽど燻製機の中がこたえたのか、それぞれ不満を口にする。
しかし無口なカインがわざわざ軽口を叩くと言うのは、きっと彼なりにこの重苦しい空気を気づかってくれたのだろう。
「じゃあ、パンケーキを作りに工房に行こうか。アゼル、いいだろ?」
「それは……」
アゼルは不満気な顔をして何かを言おうとするが、その瞬間アゼルのお腹がぐぅーと大きな音をたてる。
「……炊事夫以外が調理したものをユケイ様が召し上がることは許されません」
「じゃあ誰かに来てもらえればいいんだろ?」
そうして俺たちは皆で工房へ移動することになった。
工房に初めて入るネヴィルには、そこに並ぶもの全てが新鮮にうつった様で、なぜか得意気なウィロットがそれらを説明して回っている。
炊事場からはマトバフが自ら足を運んでくれて、アセリアから説明されながら、見たこともないパンケーキのレシピに目を輝かせていた。
「アゼル、討伐遠征には何かあるんだろうか……?」
「……何かとは何でしょうか?」
「エナお兄様から以前聞いた話だが、討伐遠征の光景は地獄絵図だという。遠征は妖魔の根絶を目的に行われているから、戦闘が出来ない女の妖魔も赤子も、1人残らず命を奪われる。ノキアお兄様はそれを見て人の所業ではないと言っていた。コレアナは先程、討伐遠征自体が間違っていると言っていた。それはいったいどういう意味なんだろうか?」
アゼルはこちらに視線を向けずに答える。
「全てエナ王子のおっしゃる通りです。僭越ながら申し上げれば、ユケイ様が理解出来ていないのは視点の未熟さゆえ……」
「視点の未熟さ……?」
「よくお考え下さい。ノキア王子が何を見たのか?そしてコレアナが何を見たのか……。彼らと我らの立場は、何も違わないのです」
彼らと我ら?
我らとは当然人のことだろう。彼らというのは……。
「ああ、そういうことか……」
「はい……。エナ王子には何の落ち度もありません。騎士団も命をかけて最善をつくしています。しかし、その数は無限ではありません。綺麗事ではないので、当然優先順位もあります……」
「そうだね……」
アゼルの言葉どおりだ。俺はまだまだ未熟だと思い知らされる。いや、前世の感覚が抜けていないというのだろうか。
討伐遠征、それは人の生活を守るため、多くの人が命をかけて行っている。その結果、妖魔達の集落ではエナのいう悲惨な状況も発生するだろう。しかしそれは、ゲームや小説などで見る一方的な狩りではないのだ。
人が生存を賭けて戦っていると同時に、妖魔も生存を賭けて戦っている。妖魔もただ、一方的に狩られるだけの存在ではない。
ノキアは妖魔の集落が惨殺された光景を見たのだろう。それを見て「人の所業ではない」と言った。では、コレアナが見たものは何だったのか?
妖魔が自分たちの生存を賭け、さらに殺された自分たちの仲間の無念を晴らすため、言うなれば妖魔側の討伐遠征……、暴走。その被害にあったのがコレアナの村であり、そして彼が目撃したものはノキアが見た逆の風景、つまりは変わり果てた村の姿だったのだろう。
それは正しく地獄だ。
最終的に、コレアナの怒りがなぜエナに向いたのかはわからない。
今となってはそれが俺に明かされることはないだろう。しかし、彼が発した言葉から察すれば、本来であればコレアナの村に向かうべきところを、何かの事情でそれが後回しになったのかもしれない。さらに、彼は討伐遠征自体が間違っていると言った。それは討伐遠征によって追い立てられた妖魔が、村を襲う暴走をおこしたと言いたかったのかもしれない。
それは筆舌に尽くしがたい悲劇であるのは間違いないが、それでも彼が行おうとした暴挙は許されることではないのだ。
「ユケイ様、今回も毒見があります。わたしが一番にパンケーキを食べますね!」
ウィロットはそう言いながら、満面の笑みで俺の机にメープルシロップが入った小瓶を置く。
ふんわりと甘い、しかし少し燻製したような香りが漂う。
遠いあの冬の日、俺とウィロットは2人だけで雪に覆われたオルバート領の、イタヤカエデの森を駆け回った。
ネヴィルは配下を連れて、オルバート領からアルナーグまでの長い旅路を歩んだ。
バルハルクの部下は、おそらく昼夜を問わずに街道を走り続けて俺の手紙を運んだのだろう。
なぜ人を襲う妖魔がいる世界で、それが出来たのか。
その全てが、討伐遠征の成果だと言える。
しかしネヴィルは「鹿は冬の間の食糧になるから、イタヤカエデの若木に被害が出ても乱獲はするべきではない」と言った。
討伐される妖魔と守られる鹿。
いつの時代でも、どの世界でも、人とは何と欲深いのだろうか。
気がつくと、目の前にマトバフの巨体が現れる。
「ユケイ様!このパンケーキを膨らます粉はいったいどの様なものなのでしょうか!?お城のメニューに加えたく思います!ぜひ教えてください!」
「ああ、この粉はこの国では手に入らないんだよ」
「そ、そんな……」
彼の大きな体が、みるみる萎んでいく。
トロナ鉱石が取れるリュートセレンのバガル塩湖まで、行って帰ってでひと月はかかる。
俺もこのパンケーキを国のみんなに食べてもらいたいという気持ちはある。しかし、それを行える流通網、そしてトロナ鉱石を粉砕するための粉ひき場、そしてそれを重曹へ加工するための工房、それを実現するための道のりは遠い。
……いや、待てよ?
「バルハルクに頼めば、全部可能なんじゃないか?」
そうだ。流通網、粉ひき場、工房も、全てバルハルクが持っているではないか。
今回の件で、俺は彼に返しきれないほどの借りを作った。
彼に会うことがあれば、そんな話をしてみるのもいいかもしれない。
相手は百戦錬磨の商人だ。きっと楽しい話し合いになるに違いない。
「さあ、ユケイ様!毒見も終わりましたよ。ちゃんと美味しかったです!」
「何だよ、ちゃんと美味しいって」
呑気な彼女に、思わず苦笑が漏れる。
みんなが見守る中、俺はパンケーキを一口頬張る。
香ばしい小麦粉の香りと、甘いメープルシロップがふわふわの生地に絡まり口の中いっぱいに広がる。
「うん、美味しい!やっぱりパンケーキにはメープルシロップだ」
俺が食べ終わるのを待って、部屋に集まるみんなも一斉にそれを食べ始めた。
「すごい!こんな食感初めてだ!」
「ユケイ様、これは本当にメープルシロップと合いますね!」
「とても……、美味しいです」
「ああ……、これが毎日食べられれば……」
「ユケイ様、すごいです!」
口々にパンケーキの感想が飛び交う。
俺もやっとこれが食べられたと思うと、とても感慨深いものがある。
そうだ。せっかく重曹があるんだから、ウィロットに炭酸のジュースでも作ってやろうかな。
彼女はそれを飲んだら、どんな顔をするのだろう。
それを想像すると、思わず頬が緩む。
彼女は今、2枚目のパンケーキを頬張ったところだった。
今回の件、全てが解決したわけではない。特に最後のエナの言葉、コレアナはどこでこの技を知ったのだろうか?
特殊な条件での毒殺事件。ふと3年前のオルバート領での事件が頭をよぎる。
あの事件の首謀者は、まだ捕まっていないのだ。
……まあ、とりあえず今日はいいか。
少なくとも離宮は、今も平和である。
しかしこの時、遠く離れた地では既に最初の戦火が上がっていた。
その炎は数年で多くの流れに枝分かれし、やがてこの世界「ディストランデ」全てを飲み込む巨大な火柱になっていく。
そして俺たちは皆、なす術もなくそれに飲み込まれていくのだ。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
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なろう内コンテスト、春の推理2023「隣人」に応募してみようかと思い、少し更新を休憩させていただきます。
よろしくお願いします。
4/15 追記
春の推理2023「隣人」作成しました。
「更衣室」
ある昼下がり、一組のカップルが洋服を買いに来た。
彼女は服を選んで試着室に入り、彼氏はその前で彼女を待つ。
あれ?この試着室の中にいるのは本当に彼女だろうか?
https://ncode.syosetu.com/n3310ie/
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