銅貨と金貨 Ⅷ
「よし……、開けよう」
緊張でナイフの刃先が震え、封筒の切り口が少し波打ってしまった。この中にバルハルクが早く読めと示唆する内容があるのだ。
開いた手紙を、横からアセリアとネヴィルが覗き込む。
手紙の内容は、俺が依頼した通りマトバフに作らせた報告書と同じ書式だった。
見比べるとアルナーグ城の炊事場の方が、若干だが衛生面に関する配慮が行き届いている気がするが、これらは些細な差だろう。
「じゃあ、やっぱり食材か調理方法によるものだろうか?ウィロット、マトバフの報告書を取ってくれ」
「はい、ユケイ様。こちらです」
彼女はそれをすでに用意していたのか、間髪をおかずに俺に手渡す。
「共通する食材は……、メラザナ……だけか」
メラザナというのは、茄子の原種のような野菜だ。収穫の時期は確かに夏の終わりから秋だから、この時期の食卓に上がるのは不自然ではない。しかしメラザナはメラザナだ。決して毒を含むような野菜ではなく、それに毒を仕込むのは極めて難しいだろう。
「他は……、サルモネの燻製……?ああ、鮭みたいな魚だったかな」
確かサルモネは川と海を行き来する特殊な魚だ。これも秋に川を登ってくるので、主に秋に食べられる。
「他に何か共通するところはないかな?」
俺たちは2つの報告書を見比べ、そこにウィロットも割り込んでくる。
しばらく書類と睨めっこをしていると、ウィロットが声を上げた。
「あっ、ユケイ様!これです!」
そう言いながら彼女は報告書の一点を指差す。
その指先は、アルナーグ城での2回目における食材の欄を指していた。
「ここ、豚肉って書いてありますけど、これ燻製肉でした!わたし食べましたから間違いないです!」
燻製した豚肉、つまりベーコンだ。調理方法の欄を見ると、確かにそう書いてある。そして1回目におきた食中毒の調理方法の欄にも、それぞれ燻製鳥と書かれていた。
「ユケイ様、これが原因ではないでしょうか!?例えば、何か毒を含む物を使って燻製を行えば、毒を持たない食材でも毒を含ませることができるのでは!」
ネヴィルが興奮気味に言う。
確かにその通りだ。
例えば毒殺などでよく耳にするだろう青酸カリ。
青酸カリを液体に溶かせるば極めて毒性が高い青酸ガスが発生する。
この世界の技術で青酸カリが作れるのか?
それは十分可能である。
実際俺も少量だがそれを作成し、工房に隠してあるのだ。
腐らせた牛の血を錆びた鉄鍋で灰と一緒に混ぜ、ときおり鍋を叩きながら煮詰める。そんな魔女の儀式のような工程だがそれによって青酸カリは精製できる。
そしてその方法は、俺がこの世界の書物から見つけたものなのである。
「もしかして、オルバート領で事件になった青い炎とか……!」
確かにそれも考えられなくはない。
そう考えれば、2つの事件が繋がる可能性もある。ただ、硫黄で食材を燻製すれば凄まじい臭いが発生することになるため、決して食べられたものではないだろうが。
しかし、燻製が食中毒を引き起こした原因であれば、いったい誰がどうやってそれを実行するのだろうか?
「それだと、燻製を作った者全てが共犯者ということにならないだろうか?」
「しかし、例えば燻製に使う木片に毒を染み込ませ、それを仕入れさせれば可能ではないでしょうか?」
「なるほど……。確かにそれは可能かもしれない」
燻製による食材の汚染……。
多くの疑問が残る。しかし食中毒に関する資料からは、他につながりそうな要因がない。
バルハルクが俺に手紙を早く読めと示唆したのは、この点なのだろうか?そうであれば、彼がそう感じる動機が少し弱い気もする。
「ユケイ様、とりあえず一度お調べになってはいかがでしょうか?」
アセリアが控えめに提案してくる。どうやら彼女は、表情から俺があまり納得がいっていないことを気づいているようだ。
しかし、彼女が言うようにとりあえず調べてみればどちらかの可能性を潰す事ができる。
「うん、そうだね。とりあえず……、アセリアとカイン、ちょっと燻製機を調べてきてくれないか?」
「え?は、はい……」
カインから若干歯切れの悪い返事が返ってくる。
「どうしたの?」
「いえ、ユケイ様でしたらご自分で行かれるのかと思いまして……」
「ああ……、うん。なんかちょっと色々と考えたいっていうか……」
「カイン、行きましょう?」
アセリアは訝しむカインを連れ、そそくさと部屋を出ていってくれた。
そんな2人を見送りながら、ウィロットがネヴィルにぽつりとつぶやく。
「けど、メラザナが原因じゃなくってよかったですね」
「どうして?」
「だって、マーフさんはメラザナ大好きですから」
ウィロットとネヴィルの会話が耳に入る。
マーフとはオルバート邸の料理長だ。彼女はオルバート邸でおきた食中毒の時、一番症状が重かったという。
もし燻製時に毒を食材に纏わせたのであれば、燻製中になんらかの被害が発生するのではないだろうか?
そう考えれば、マーフの症状が重かったということは納得できる。
しかし、例えば燻製の煙の中に青酸ガス混じっていた場合、マーフの命は無かっただろう。
それではもっと弱い毒であったのなら、あり得るのだろうか?
俺は手紙を、再度隅から隅まで目を通す。
手紙は食中毒発生前の状況、発生時の食材、ここに鶏肉とメラザナ、そしてその他の食材に関しての記載がある。
次に調理方法だ。ここに鶏肉は燻製されたと記載され、メラザナは他の野菜と一緒に炒められたらしい。
あとは食中毒の被害にあった人に関してと、その症状が記され、今後の対応に関することがまとめられてあった。
「あれ?」
マトバフが作った報告書はここまでだったが、マーフの報告書にはその続きがあった。
それは、食材の仕入れに関する情報である。
確かにアルナーグ城での仕入れは大量になるため、それを追うのは大変だっただろう。それに比べるとオルバート邸の仕入れは微々たるものだ。しかし食中毒の日からだいぶ経過しているため、その項目は僅かだった。
そして仕入れに関する最後の行には、この様に記載されている。
「エナ王子の署名入り優遇札を持った者から、仕入れあり……」
これはどういう意味だろうか?
「ネヴィル、この一文に何か心当たりはある?」
「……いいえ、何のことでしょうか?」
文字通り解釈すれば、何らかの特権を持った者から何かを仕入れたということだろう。
まあ大店の商人であれば、さして珍しいことではない。バルハルクだって様々な特権を持って水利組合を運営しているのだ。
これに関してはその一行だけで、その者から何を仕入れたかは書かれていない。もしこの者から燻製用のチップを仕入れたとなればそれは非常に怪しいのだが、詳細が書かれていないからわからない。
「いや……、そもそもなんで仕入れに関することが書いてあるんだろう?」
俺がマーフに頼んだのは、マトバフが作った報告書と同じ書式で食中毒に関してまとめて欲しいというものだった。
マトバフの報告書には仕入れに関する情報は書き込まれていなかったため、本来はこの一文に関しては質問していないのだ。
では、なぜこれが書き込まれているのか?それを書き込んだのは誰だろうか?
マーフだろうか?
それともこの手紙の記入者が会話の中で何かに違和感を感じ、この一文を入れる必要を感じたのかもしれない。
それは誰か?
おそらくバルハルクが使わした使者であろう……。