銅貨と金貨 Ⅶ
その日、警護の者を1人だけ引き連れてバルハルクは離宮に現れた。
登城用だろうかシンプルながら仕立ての良い服を纏い、以前のような成金な装いと違い、少し変わった印象を受ける。
久しぶりの城外からの来客だからか、今日はアゼルも俺の部屋の中で警護に付いていた。
そしてオルバート領の代表代理として、ネヴィルとアセリアも立ち会うことになる。
いつもは広いと感じる執務室も、今日ばかりは多少手狭に思う。
「ユケイ王子、お久しぶりでございます」
「ああ、元気そうで何よりだよ。ささやかな疑問なんだけど、どうやって離宮に入る許可を得たの?」
「それは簡単です。例の一件で、私はエナ王子とパイプがありますから。あとは多少のお礼があれば……」
「ああ、なるほど……」
多少の礼というのは賄賂のことを指しているのだろうか。
俺の返事を聞いてバルハルクは奇妙な顔をする。
「なるほど、ですか?私はてっきり、それも含めてユケイ王子が仕込まれたことかと思いました」
「い、いや、いくら何でも買い被りすぎだよ。全て偶然の結果だ」
「そうでしょうか?私は今までタダ働きをしたことが無いというのが自慢でした。しかし、ユケイ王子の手の平で踊らされて、2回もそれをさせられてしまうとは……。貴方はほんとうに恐ろしい人です」
2回というのは、今回の件と前回エナに自ら降ったことを指しているのだろう。
であれば、彼はもうあの風車がハリボテだったということに気づいているのかも知れない。
「今回の件はタダ働きにするつもりはないよ。バルハルクもきっちり代金を回収するつもりでいるんだろう?」
タイミングを見計らい、アセリアが俺とバルハルクにお茶を振る舞う。そしてそれに添えられたのは、焼きたてのパンケーキとメープルシロップだった。
彼はそれを切り分けると、一度小さく匂いを嗅いだ後に口へと運ぶ。
「こ……、これは……!今まで食べてきたパンケーキと全く違う!このふっくらとした歯触りと、しっとりとした舌触り!これがあの白い石がもたらしたものなのですか?パンの精ではありませんね?」
パンの精というのは、前世でいうイースト菌のことだ。
この世界では、イースト菌がもたらす醗酵という現象のことは精霊の手によるものだと信じられている。
「パンの精とは全く違う原理のものだ。けど、近い作用を起こすことができる。さらにあの白い石は、他にもいろんな事ができるんだ」
バルハルクはパンケーキをあっという間に平らげると、ぶつぶつと小さな声で何かを呟きながら、必死に頭を働かせている様子だ。
バルハルクは早速このトロナ鉱石に関する商談を始めるかと思ったが、彼の口から出たのは意外な言葉であった。
「ユケイ王子……、これを出して頂けただけで貴方のご意志は理解できました。しかし、私にも人並みの倫理は持っております」
彼はパンケーキがあった皿を一瞥すると、何かを言いたげな素振りを見せるがそれをグッと飲み込んだようだ。
「倫理?……どういう意味だ?」
「一刻も早く手紙をお読み下さい。この手紙は急を要するということです」
「なに!?」
そう言いながら、彼は懐から植物紙製の封筒を取り出した。
おそらくバルハルクは手紙の内容を知っているのだろう。マーフは読み書きが得意ではなかったはずだ。彼の使者が手紙の作成を手伝ったと考えれば、それも納得できる。
その上で急を要するというのは、この食中毒騒ぎに何か良からぬ意思を彼も感じたということだろうか。
「ユケイ王子、一つだけ質問をお許し下さい。もしその質問に私が満足する答えが頂ければ、今日は手紙を置いて大人しく引き下がりましょう」
「……わかった。何でも答えよう」
バルハルクは緊張した視線で、まるで俺を値踏みするかのように眺める。きっと彼は、その質問によって俺を見定めようとしているのではないだろうか。
「ユケイ王子に問います。商売とは何でしょうか?」
商売とは何か……。
奇しくもそれは、俺自身が今まで何度も自分に問うてきたことだった。
俺は間髪を入れず、心に浮かんだ言葉をそのまま発する。
「まず最初に『権利』。脅かされない権利は人の体そのものだ。次は『物を運ぶ』ということ。太く澱まない物や金の流れは、富の心臓である。その結果、脅かされず、富が豊かに流れる市場では金が金を産む。つまりは『金利』。その3つ。それが俺が求める商売だ」
商売をするにあたり、まず最初に必要になるものは権利だ。物を売る権利、そして買う権利。さらに公平で他者に富を理不尽に奪われない権利こそが商売の礎となる。
その上で、金の流れというものは物の流れと同じ意味を持つ。
その場所では価値の低い物を積み、それを価値が高くなる場所まで運ぶ。もしくは物を何処かで作り、売れる場所まで運ぶなど、流通こそが売買の礎となる。
そして権利が守られた場所で流通を豊かに行い続けることが出来れば、その場所は金が集まり投資を産む。
投資が活発になればそれが金利を産み、それが利益の礎となる。
これが俺が考える商売だ。
バルハルクは深く目を閉じ、満足そうに頷いた。
「ユケイ王子、私がそこに思い至ったのは、つい先日のことでした……。さらに言えばそのきっかけも、エナ王子から出された水利組合への条件が元です。あれを考えられたのはユケイ王子ですね?」
「……そうだ」
「ユケイ王子……、貴方の力をお借りできれば、おそらくこの国中……、いえ、世界中の富をかき集めることができるでしょう!ああ、なんと楽しいことでしょうか!」
「楽しい?」
「はい、私は金儲けが楽しくて仕方がないのです!ユケイ王子……、貴方は私と組むべきです」
「バルハルク、あいにくだが俺は商売を始めるつもりはない」
「今はまだそう思われるかも知れません。しかし、貴方が作ったそのメープルシロップや水車に持ち込んだ白い石。それは貴方自身が楽しめればそれで満足なのですか?それをどこか遠くへ……、いえ、世界中に届けてみたいとは思わないのですか?」
「そ、それは……」
今までそんなことを考えたこともなかった。しかし、確かにバルハルクが描く展望に、何か心が動かされるものがあるのも確かだ。
「すぐに返事を頂きたいとは言いません。ユケイ王子はまだまだお若い。それでも、今後私の力は好きにお使い下さい。私はユケイ王子の目であり翼です。その代わり、ユケイ王子の心臓もまた、私です」
俺の心臓?つまりは物流をバルハルクに任せろという意味だろうか?
「……考えておく」
「ふふふ、それで結構。貴方には必ず私の力が必要になります!その手紙を運んだのは私だということをくれぐれもお忘れにならぬように。数日後にまた参ります。その時までにユケイ王子の問題が解決していることを祈っております」
それだけを言い残すと、バルハルクは本当に何も望まずに部屋を去っていった。
いや、むしろ俺の全てを望んだと考えた方がいいのだろうか。
実際、この手紙はたった2日でオルバート領に届き戻ってきた。その速さは正しく翼が生えたようである。
この情報伝達の速度は、正しく流通の力なのである。
この手紙を運ぶには、多くの金が使われているのだろう。にもかかわらず確約した対価を求めずに帰った彼は、恩が……、いや、この場合は人脈が金になるということを理解しているのだ。
「ユケイ様、わたしとかカイン様みたいな優秀な部下がいて、オルバート領があってユケイ様のために戦ってくれる兵隊さんがいる。そして、さっきの人に商売をして貰えばユケイ様はアルナーグじゃなくても別のところで王様になれるんじゃないですか?」
「ウィロット!滅多なことを言うんじゃない!」
それは明確な国に対する反逆だ。
そんなことを人に聞かれたら、一発で首が飛んでもおかしくない。
あまりのことに、ウィロットが自分のことを優秀な部下と評したことがどうでも良くなるレベルだ。
しかし、ネヴィルからは熱い視線を感じる。
「そ、そんなことはあり得ないよ。とりあえず手紙を読もう。ウィロット、ナイフを」
俺はウィロットから銀製のナイフを受け取ると、植物紙の封筒を開く前に、一応封蝋をネヴィル達に確認してもらう。
赤い蝋で封されたそれは、間違いなくオルバート領の刻印だった。




