パンケーキと食中毒 Ⅵ
「申し訳ありませんでした、お兄様……。もう大丈夫です」
どれくらい兄の胸に顔を埋めていたのだろうか。短いような、長いような。
「よい。自愛するがいい」
「ふふ、お兄様は言葉が短いのでしょう。それではマリニやフラウラも恐がります」
「む……、そうか。心がけよう」
すっかり冷めたお茶を、アセリアが取り替え毒見を済ます。
「ユケイよ、1つ聞きたいのだが先ほどは何処へ行っていたのだ?」
「あ、はい。あの……、炊事場へ……」
口篭ってしまったのは、最初にアセリアから受けたような叱責を貰うかと思ったからだ。
「それは食中毒について調査をしてくれているということだろうか」
「はい」
「そうか。実はそのことをお前に頼みたいと思っていたのだが、もう既に動いていてくれていたか。では頼めるだろうか?」
「もちろんです。わたしの力は国のために使うと誓いました」
「そうだったな……。あまり長居をして誤解を招くこともあるまい。もう行くとしよう」
「はい。ありがとうございました」
「いや。礼を言われるようなことは何も……、いや。間もなくオルバート領から男爵の使いが来るという話だが聞いているか?」
「ええっ!?初耳です……」
俺とアセリアは思わず顔を見合わせる。
「……そうか。城は今、来客が多くて部屋が足りぬ。……使者の1人を、離宮で面倒を見てもらいたいと思う。頼めるか?アセリア」
「は、はい!もちろんです!」
それはつまり、オルバートからの使者を離宮に泊まらさせてくれるという意味だ。
その使者というのは、間違いなくアセリアの弟、ネヴィルのことだろう。
本来であれば、俺かアセリアにも連絡があったはずだ。しかしそれは、何処かで揉み消されたということだろう。
離宮から出ることが出来ず、本来であれば離宮に客が来ることは無く、このままではオルバート領からの使者と俺は会うことは叶わなかった。
アセリアは離宮から出ることが出来る。
しかし、来ることを知らされなければ偶然会うことも難しいだろう。
その来訪を隠すというのは、あまり清々しいことではない。
「それでは……」
「あ、お兄様!一つお願いがあります」
「よい。言ってみよ」
「はい、ありがとうございます。離宮の炊事長の親戚に、イポメア村のコレアナという者がおります」
「ああ……、知っている」
「ご存知なのですか?」
「もちろんだ。彼には国から商売に便宜を図るようにしてある」
「あ、そうでしたか。知りませんでした。申し訳ありません」
「よい」
ふとノキアの言葉が頭をよぎる。
「あの、お兄様。以前ノキアお兄様が『討伐遠征は人の所業ではない』と仰っていました。それはどういう意味なのでしょうか?」
「ノキアが?」
「はい……」
エナは何かを深く考え込み、そして選ぶように言葉を発した。
「ユケイ、戦争において勝敗が決するというのはどのような時だろうか?」
「それは……、どちらかの指揮官が打たれ部隊の指揮をとる者がいなくなった時か、どちらかの兵士が著しく失われた時でしょうか?」
「うむ、其方はほんとうに賢いな。我が国では、部隊の半数が戦闘不能になった時、部隊は全滅と定義している。しかし実際は、部隊の3割を失えば、その時点でまともな指揮系統は残ってはいないだろう。だから、そこが一つの目安になる」
「はい」
「では、討伐遠征の場合はどうだろうか?」
「え?それは……、あ、ああ……、なるほど……」
俺はこの時、ノキアの言葉の意味を理解した。
討伐遠征は相手は人ではなく妖魔たちだ。その場合、戦闘の終了の条件は一つしかない。
それは、相手の全滅だ。
その全滅が表すのは、エナのいう損耗率5割という意味ではない。完璧な全滅である。
それは相手が女であろうと子供であろうと、戦闘員であろうと無かろうと関係ない。例え相手が無抵抗だったとしても、その刃を緩めることはできないのだ。
ゴブリンなどの妖魔の脅威を取り除く為には、それ以外の選択肢がないのである。
「ノキアは優しいからな。それが『人の所業』に思えなくても仕方がないだろう。それでも『人』の被害を減らすためには、行わぬわけにはいかないのだ」
「はい……」
「そこまでしても、先程の話にあった彼のように村が襲われることもある。そのような者を出さぬよう、止まぬ風を手に入れたかったのだがな……。まあ無いものを望んでも仕方がない」
「えっ!?」
「ん……?どうした?」
「い、いえ。なんでもありません」
「……うむ」
エナはそう言い、部屋を後にする。
俺とアセリアは顔を見合わせ、緊張の糸が切れたかのようにふぅと息を吐いた。
やはり王の貫禄を持つのは兄であろうと再確認をする。
「派閥というのでしょうか?エナ王子もお辛そうですね」
「うん……」
正直俺は派閥というものが何かを理解していない。
この離宮には無縁の言葉だからだ。
要するに、俺の幽閉を解けば第二王子の派閥が黙っていないということなのだろう。
「派閥か。派閥ってどうやって作るんだろうね」
「さあ……?」
しかし、最後の言葉はどういう意味だろうか?
エナは「止まぬ風を手に入れたかった」と言った。
結局止まぬ風に関する情報は手に入らなかったということだろうか?
それはあの龍が掘り込まれた柱の扉は最後まで開かなかった、もしくはあの扉の中には止まぬ風に関するものは入っていなかった?
あのノキアと決定的に決別した時、ノキアの手にはあの扉を開けるのに必要な物が揃っていたはずだ。
あれだけでは何か足りなかった?それとも……
その時、俺の思考はアセリアの声によって中断されることになる。
「ユケイ様。あ、あの、オルバート領からの使者というのはもしかして……」
「うん、もしかしなくてもネヴィルだろうね」
いつになく声が上擦っているのを、彼女はきっと自覚してないだろう。
アセリアがオルバート領から王都アルナーグへ来てほぼ半年。その間、彼女は一度もオルバート領に戻ってはいない。
久しぶりに弟と再会できるのだ。はしゃぐのも当然かもしれない。
「ユケイ様、一つお願いが……」
「いいよ」
「ありがとうございます。この前にウィロットが食べていたパンケーキ、あれをネヴィルにも食べさせてあげたいんです。その、メープルシロップとよく合うということですので、オルバート領の特産物をより活用するために、彼にも味を知ってもらった方がいいと思って……」
当然その真意は、可愛い弟に珍しいものを食べさせてあげたいということだろう。
それはもちろん大賛成だ。
「アセリアもまだ食べて無かっただろ?とりあえず工房にいって皆んなで試食してみよう。あと、ウィロットの様子も観にいかないとね」
「はい!」
ウィロットがいる部屋を訪れると、彼女はちょうど口いっぱいにお粥らしきものを頬張っているところだった。
どうやら心配はもう不要らしい。
そしてその7日後。離宮に遠方からの客が到着する。




