パンケーキと食中毒 Ⅴ
「それは気の毒だ……。その者はなんという名だ?」
「はい、イポメア村のコレアナと言います」
「分かった。その者に会うことが有れば国を頼るように伝えてくれ。何か力になれるとおもう」
「はい、ありがとうございます」
とりあえず得たい情報はこれくらいだろうか?
「マトバフは読み書きはできるか?」
「はい、仕事の範疇でしたら多少は……」
「分かった。では後で書記官を向かわすから、マトバフが思いつく原因と対策を全て書き出し、後ほど俺の部屋まで持ってくるように」
「は……、はい!」
「俺たちは一度部屋へ戻って、それから工房だ」
「はっ」
カインが短く返事をする。
「カインは討伐遠征には参加したことはないよね?」
「はい。いずれは参加してもらうとアゼル様からは言われていますが」
「そうか……」
「アセリアはもちろんないよね」
「ええ、女ですから。けどオルバート領で領民が平和に暮らせるのは、騎士団が討伐遠征を行ってくれているからです。それでも村や家畜が襲われるという不幸は無くなりませんが、皆感謝していると思いますよ」
「うん……。そうだよね」
そうだ、アゼルは当然討伐遠征を経験しているはずだ。今度機会があれば聞いてみよう。
「ユケイ様……、あれを」
階を上り、部屋に向かう廊下へ出た時である。カインに促される方へ目を向けると、自室の前に数名の人だかりを発見した。一瞬何事かと身構えるが、その人だかりを構成する者の顔ぶれ……、正確にいえば形を見ることによって、その正体はおおよそ理解できる。
近づけば、その内2名は騎士服を纏い直立で立ち、さらに2名が軽鎧を着た兵士、そして2名のメイドである。
こんな大掛かりな人を連れて城内を移動する心当たりは2人、1人は父王オダウ・アルナーグであり、もう1人は長兄エナ・アルナーグだ。
おそらく俺の部屋で待ち構えるのはエナだろう。なぜなら、父は俺の部屋へ足を運んだことは今まで一度もないからだ。……いや、そういえばエナも無かったかも知れない。
俺の姿に目を止めた兵士が騎士に耳打ちをし、彼は俺の元に歩み寄ると恭しく礼をする。
「ユケイ王子、お部屋にてエナ王子がお待ちでございます。入室は侍従お一人とお願いしたく存じます」
カインの立場上、そう易々と俺から離れる訳にはいかない。どうすれば良いか分からないカインは狼狽えたように俺とアセリアを見回す。正直俺もどう対応するべきか分からなかったが、アセリアはカインに小さく頷き、視線でその場に控えるように指示を出した。
「騎士様、アセリア・オルバートです。わたしが同行いたします」
「アセリア様、感謝いたします。ではご入室を」
「はい……」
アセリアは軽く会釈をすると、扉の前までスッと足を進めた。俺は慌ててアセリアを追いかける。これではどっちが従者かわかったものではない。
扉の前に立つと、騎士達が丁寧に扉を開き、俺たちを室内へエスコートした。
以前エナの執務室に入った時、その扉の持つ威圧感に圧倒されたことがあった。結局それは、中の人が誰かが重要であると再認識をする。
「ユケイ、済まない。不在だったから待たせてもらった。工房にも寄ったのだがな」
「お、お兄様、お待たせして申し訳ありません。所用で出掛けておりました」
エナは俺の部屋のソファーに腰掛け、俺が室内に入ると直ぐに声をかけてきた。
エナが連れてきたメイドが用意したのか、入れ立てのお茶と茶請けが既に用意してある。
俺はエナの向かいのソファーにたどり着くと、その場で座って良いものなのか迷い立ち尽くしてしまった。
「おかけ下さい、ユケイ様。この部屋の主人は貴方様です。貴方が全てエスコートしなければなりませんよ?」
「あ、ああ」
俺は急いでソファーに腰掛ける。
エナがその様を見てふっと小さく笑う。
それは嘲笑めいたものではなく、何か微笑ましいものを見るような、優しい視線だった。
「前にも会ったな?アセリア・オルバートだったか?」
「はい」
アセリアは短く返事をすると、スッと頭を下げる。
「よい。ユケイをこれからも頼む」
エナの言葉にアセリアは言葉では無く表情で返事を返したようだが、俺の位置からはそれは確認出来なかった。
それよりも俺は、兄の口からそんな言葉が出たことに、驚きを隠せない。
「ユケイ、其方に2つ謝罪がある。1つは勝手に押し掛け、部屋に居座ったこと。なにぶん出直す隙がないのでな。もう一つはノキアのお前への処分だ」
「そ、それは……」
「その処分に、俺は口を挟む気はない」
「……はい」
「謝罪はしよう。しかし、撤回は求めない。それが俺が下す今回の結論だ。理由の説明を求めるか?」
エナの目は厳しく真っ直ぐに俺の瞳を捉える。
しかし、そこから威圧するような気配は感じず、ただ真剣に俺と向き合おうとする強い意志が伝わってくるようだ。であれば、彼の謝罪という言葉も表面だけのものでは無いような気がしてくる。
「理由を……お願いします……」
「よい。お前の部屋を占拠した理由は……」
「あ、そちらは大丈夫です」
「む?そうか。では其方の幽閉の件だな……」
そこまで話し、一瞬だけ彼の表情に暗い影が落ちた。
なんと説明すれば良いのか、考えているのだろうか。
「ユケイ、……国を治めるにあたり、そのためには多くの味方が必要だ。それはわかるな?」
「はい、わかります」
「私には多くの味方がおり、ノキアにも多くの味方がいる。しかし、お前にはいない……。そういうことだ」
「はい、理解しました……」
それは派閥というものなのだろう。
王を受け継ぐために、多くの味方をつけておかなければいけない。
ノキアは多くの貴族を従えるが、俺にはそれがない。俺の味方をするより、ノキアの味方をした方が得ということだ。
「父の声があればまた変わるだろうが……」
「いえ、お兄様のお言葉だけで十分です」
「そうか……」
エナの声が、少し寂しそうに聞こえた。
俺は思わず彼の顔を見る。
「ユケイ、俺は恐いか?」
「えっ……?」
「……子どもの頃、お前はノキアばかり頼って私には少しも近づこうとしなかった。正直、ノキアに嫉妬したよ。俺はきっと恐かったのだな……」
エナの言葉を聞き、俺は心の関が切れるのを感じた。
そうか……、俺はやっぱり間違えていたんだ……。
その瞬間、俺の瞳からは大粒の涙が溢れた。
声を押し殺していても、涙だけは止めどなく溢れ続ける。
ああ、やっぱりそうだったんだ。俺達兄弟の関係を破壊したのは、ノキアをあんな風に追い込んでしまったのは、俺が保身のためについた演技が全ての原因だったのだ……
最初からただ単に兄を兄と慕って生きていれば、俺たち3人、いや弟のマリニと妹のフラウラも含め、5人で穏やかにやって行けたのかも知れなかったのだ。
気がつけばエナは俺の横に座り、そっと俺を抱きしめてくれた。
「ユケイのように賢い子どもは、その年でも声を殺して泣くのだな……。不憫だ……」
兄は……、エナもノキアも、俺が思っているより兄だった。俺はそれを、受け止めなかった。
そんな俺を、抱きしめて不憫だと言ってくれるのか……。
であれば、様々な重圧に耐えて生きている兄は不憫ではないのだろうか?
それは彼が望んだことなのだろうか?
兄は辛いことがあった時、泣くことはできるのだろうか……。