パンケーキと食中毒 Ⅳ
「いや、こちらこそ作業の邪魔をしてすまない。そのまま作業を続けてほしい」
「は、はい……」
そういうとマトバフは作業の再開を指示するが、彼自身は俺の元に戻って来た。
誰かに炊事場のことを色々と聞きたかったところだ。ちょうどいい。
「今回の食中毒騒ぎ、原因は何か心あたりはないかい?」
「はい、調理には万全を期しております。食材の管理も徹底して行っておりますので、思い当たる節が全くなく……」
確かに今見る限りは炊事場は非常に綺麗にされている。炊事夫の手慣れた掃除風景を見ても、今だけ綺麗にしているという様には見えない。
「調理したものをマトバフ自身が食べるということはないのかな?」
「調理されたものはもちろん、毒見を兼ねて全てわたしが最初に味見をします。今回の分も、もちろん全て味見をしましたが……」
「なるほど……」
マトバフは嘘を言っているようには見えない。今回の食中毒は、同じ料理を食べても症状が出ている者と出ていない者がいる。マトバフは後者だということだろう。
ならば、その要因はなんだろうか?
特定の体質の者にだけ現れるアレルギーのようなものという可能性。もしくは、単純に全ての料理が食中毒を引き起こす状態ではなかったということも考えられる。
「麦角の可能性は?」
「それはありません!小麦粉の入荷先は全て明らかになっております。麦角が発生した畑との取引も一切ありません。製粉前、製粉後も何度も確認しておりますので……」
そういうとマトバフは、消えてしまいそうなほどに身体を小さくした。
先程から彼の態度が何かおかしいような気がするんだけど……
不思議そうにマトバフを眺める俺を見て、横でアセリアがため息を吐く。
「ユケイ様、先に沙汰を申しつけ下さい。でないとお話どころではありません」
「沙汰?沙汰って……、ああ!」
どうやらマトバフは、俺が食中毒の件で彼に何らかの処罰を与える為に、自ら炊事場へ乗り込んで来たのだと思っているらしい。
だから俺の横でずっと待機をしていたのだ。
しかし、それは当然といえば当然だろう。食中毒が起きたのは事実なのだから、その仕事に連なる誰かが責任を取らなければいけない。しかし……
「アセリア、彼に責任があると今の段階では言えない。だから、彼を罰せよと言われてもそれは……」
「ユケイ様、それは違います。それも含めて、食事の管理をするのが彼の仕事です。原因が彼に有ろうと無かろうと、食中毒が発生したのは確かです。何もないでは済まされることではありません」
「しかし……」
アセリアが言うことは正論だ。
確かに原因がわからないからといって、責任者を訴追せずに済ませる規模の話ではない。
そして俺は、それを判断し命令しなければいけない立場の人間なのだ。
判断に迷う俺に、アセリアがそっと耳打ちをする。
「ユケイ様、よくお考え下さい。貴方が罰を与えなければ、他の者が彼に罰を与えることになりますよ?
離宮では貴方の判断が覆る事はありません。ただし、先程のことも忘れないで下さい?」
そうか、俺はもっと色々と学ばなければならないのだ。
前世で30年以上生活をしていたとしても、それでこの世界が理解できていると決して思ってはならない。
アセリアは俺に「学べ」と、言っているのだ。
俺は深く思考を巡らせ、慎重に言葉を発する。
「マトバフ、申し付ける。先ずは今の時点での処分は保留だ。事態が解明された結果を鑑みて、その処分の重さを考える。その為にも自身で原因の解明と再発の防止に務めること。俺の捜査にも全面的に協力すること。そして、これらが全て果たされるまでは城外への外出を禁止する!」
辺りはシンと静まり返る。
アセリアには甘いと思われるかも知れないが、やはり俺には今の段階でマトバフの責任の重さを測ることなどできないと思う。であれば、原因解明に協力させて、その結果に応じた処分を下すのが正しいのではないだろうか?
と……、思うのだが……。
俺はアセリアに小声で問いかける。
「……アセリア、どうだろうか?」
「ユケイ様の判断に異を唱えるものはおりません」
アセリアはにっこり笑う。
そんなことを言いながらも、彼女は俺に間違いがあればちゃんと指摘してくれるのだ。おそらくこれも一つの正解だったのだろう。
俺の声を聞いて硬直するマトバフに、アセリアが声をかける。
「マトバフ、よろしいですか?」
「は……はい。それだけでしょうか?」
「今の時点では、ユケイ様から申し上げることは以上です」
「よ……、よかった……」
そう言いながら、彼はその場に崩れて落ちた。
炊事夫からもどことなく安堵の空気が伝わる。
彼らの反応を見ると、マトバフは部下に慕われているということだろう。
話によると、他の炊事場の炊事長は問答無用で衛兵に連行されたという。アセリアもその話を聞いて眉を顰める。
「マトバフ、今の時期に起こる食中毒といえば何が思い当たる?」
「はい。先ずは不衛生な物が発する毒が第一ですが、この時期だとキノコと魚でしょうか」
「魚?」
「はい、魚の中に住む小さな虫が、しっかりと焼かずに食べると腹の中に食いつくんです」
「ああ……」
「けど、今回の場合は症状から考えると魚が原因ではないと思います。キノコの方が症状が近いですが、食中毒があった時の食事にキノコは使われておりませんでした」
おそらくマトバフが言うのはアニサキスのことだろう。
確かにその可能性を見落としていた。ただ、アニサキスによって意識障害が起こることはない。マトバフの言う通り、毒キノコの方が可能性は高いように思う。
「なるほど……。単純な興味で聞きたいんだけど、アニサキ……いや、その、魚の食中毒の時はどうやって治療するか知っているか?」
「そりゃあ方法は一つしかありません。我慢するんです」
「ああ……、我慢か……」
「痛み止めを飲んで、ひたすら我慢するしかないですね。知り合いにすごく腕のいい薬師がいましてね。彼が作る薬はほんとうに重宝しました。あ、けど……」
マトバフはしまったといった感じの表情を作り、少し重い口調で言葉を続けた。
「その薬師、わたしの遠い親戚なんです。しかし、今年の討伐遠征が間に合わずに彼の村が襲われてしまって……。それを機に薬作りをやめてしまったそうです。彼の村で作る薬が一番効いたんですがねぇ……」
確かエナが今年の討伐遠征で被害が出たと言っていた。その結果止まぬ風の力を求めたということだが、自ら討伐遠征に出ている立場であればより力を求めるのは無理からぬことだろう。おそらく止まぬ風の秘密はノキアを通して伝わっているのだろうが、それが有効に活用され、来年の被害が少なくなることを祈るばかりだ。
「その人は無事だったのか?」
「ええ、丁度妖魔の襲撃を村が受けた時は出かけてたみたいで。しかし、彼以外は全滅だったそうです……」
「そうか……」
この世界は人だけの物ではない。人より知能が劣る妖魔と分類される生き物もいれば、人と同等かそれ以上の知能を持つと言われるエルフ、ドワーフなどの亜人種。そして人を遥かに凌ぐ古龍など、様々な種族が自分達の住み良い世界を目指しているのだ。その過程、互いが触れ合う部分でどうしても争いは発生する。
その中で最も他種族の命を消しているのが人間なんだろう。
もっとも、俺はその中のどれとも遭遇したことはないのだが。
そういえば以前、ノキアが討伐遠征に出た時のことを「人の所業ではない」と言っていた。あれはいったいどういう意味なのだろうか……




