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才の無い貴族と毒見少女の憂鬱  作者: そんたく
大地に根を下ろす樹
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パンケーキと食中毒 Ⅲ

「ウィロットの様子はどうだ?」

「はい。もう意識も戻って、今は安静にしています……」

「よかった……」


 心配かけまいという心使いなのか、アセリアはにっこりと微笑みそう答える。しかし、彼女の表情には時折深い影がさしていた。

 カインの表情にも少なからず動揺が見える。


「薬師様のお話ですと、毒見用に少量だけしか食べなかったのが幸いしたようです。今回の食中毒騒ぎは、前回より症状が重い人が多いみたいで……」

「そうなのか……。原因は?」


 俺の問いかけに、アセリアは黙って首を左右に振った。

 今回はウィロットまで食中毒の被害に遭ってしまった。

 朝食はいつも通りのなんの変哲もないメニューだった。野菜の入ったスープにパンが二切れほど、そして燻製された豚肉が焼いてあった。

 毒見用に作られた銀製の小鉢にそれらは少しづつ取り分けられ、当然銀食器にはなんの反応も出ていなかった。

 彼女はそれをフォークで刺して少し匂いを確認すると、迷いなく口に放り込みよく噛んでから嚥下する。

 毒というのは体内に入れてすぐに症状が出るものではない。彼女が料理を飲み込み、だいたい 4半刻(30分)ほど様子を見る。

 しかし、それを待たずに彼女は食べた物を吐き出し、その場に倒れ込んだのである。


 オルバート領にいた頃を含め、彼女が俺の毒見をした期間を数えれば2年になる。

 その中で今回初めて彼女は俺の身代わりとなってしまったわけだが、改めて俺が彼女に対してしている仕打ちの酷さを実感する。


 彼女の毒見の早さは特筆すべきものだった。

 それもそのはず、普通の人間であれば毒が入ってるかもしれませんと言って出された物を、躊躇(ちゅうちょ)せずに食べることなどできない。

 もし逆の立場だったら、俺は彼女みたいになんの迷いもなく、自分を殺すかもしれない食べ物を口に運べるだろうか?そして、いつか自分を殺すかもしれない者に付き従い、笑って話をするなどできるだろうか?

 毒見とは、いずれ落ちるとわかっている崖沿いの道を、目隠しをしながらその時が来るまで走り続けるようなものなのだ。

 その役目が終わる時は、自分か相手の命が潰えた時のみなのである。


「ユケイ様、自分を責めてはいけません……」


 俺の表情を見て心配に思ったのか、アセリアが跪きそっと俺の手を取った。


「しかし俺は……」

「ウィロットは治療を受けながら、ずっとユケイ様の名を呼んでいました。ユケイ様のご無事を守れたのですから、彼女も喜ぶはずです」

「……俺はそこまでして、守られるべき人間なんだろうか……?」


 その瞬間、アセリアが握る手にグッと力が入ったのがわかる。

 そして、彼女の瞳には小さな怒りの炎が見えた。


「ウィロットの覚悟を侮らないで下さい……!彼女はもう、何も知らない農奴ではありません。ウィロットは彼女自身の為、多くの人の為に貴方の命を守ると決めたのです」

「アセリア……」

「ですから、彼女のためにも良き主人(あるじ)でいてあげて下さい。貴方は冬の太陽なんですから……」

「冬の太陽?」

「さあ!ウィロットのためにユケイ様ができることがあるのではないですか?離宮から出ることは禁じられていても、離宮内で大人しくしていろと言われた訳ではありません。事件は離宮でも起きているのですよ?」


 確かにアセリアの言う通りだ。

 ウィロットは回復に向かっているというのだから、俺がするべきことは彼女の心配ではない。俺が今できることはこれ以上の犠牲者を増やさないために、知恵を絞ることだ。


 先ずやらなければいけないのは原因の特定だ。

 前回の食中毒騒ぎからまだ3日しか経っておらず、被害にあった人の症状も同じ。ということは、前回と今回は同じ原因により引き起こされていると考えられる。


「アセリア、離宮の食事は全て離宮で作られてるよね?」

「はい」

「井戸はどう?」

「離宮の炊事場に井戸がありますので、それを使うと思います」

「そっか……」


 今回の件で最も不可解なのはこれだ。

 前回のように、食中毒が発生したのが同じ炊事場に限定されているのであれば、原因を絞り込むことが容易だ。

 しかし、今回は発生箇所が城内全域、しかも同じ炊事場の料理を食べても被害に遭った人もいれば遭わなかった人もいる。さらに、城の外ではその様な被害は出ていないという。


「そんなことがあり得るのだろうか……?」


 まず真っ先に疑うのは、不衛生な環境に起因する細菌、真菌によるものだ。

 しかしその場合は、全ての炊事場で同時に発生するということは考え難い。

 であれば、食材が何かに汚染されていたということだろうか?


「症状から考えると『麦角』にも思えるけど……」


 大規模な食中毒を起こす可能性としては、麦角菌に侵された小麦粉を口に入れると発生する、麦角中毒というものがある。

 麦角中毒は少量の麦角でも引き起こされ、症状に発熱、嘔吐、痙攣に意識障害を持つ。今回の事件で、意識障害になったという犠牲者が多くいるとのことだが、その点が一致するのだ。

 しかし……


「ユケイ様、麦角がそんなに大量に城内に入ることはあり得るのでしょうか?」

「そうなんだよなぁ……」


 そもそも麦角は育成の段階から非常に警戒されており、麦角菌に侵された麦を販売すれば一律死罪になる。

 それにここ最近、王都近郊で麦角の発生は聞いてはいない。


「それに、麦角だったら症状がもっと重い気がするんだよ。アセリア、一応離宮の炊事場で、麦角のことを聞いてきて……いや、やっぱり俺も行こうかな」

「ユケイ様が炊事場へですか?」


 アセリアの表情が明確に反対している。


「オルバート領では炊事場に入っただろ?」

「それはそうですが……」


 原因が麦角であれば、俺が気づく前に誰かが思い当たっているはずだ。

 炊事場に行けば何かが掴めるかもしれない。

 こういった場合、アセリアはだいたい俺の我儘に付き合ってくれる。アゼルであれば一蹴の元に却下されるのだが。

 結局今回もアセリアが折れ、護衛見習い兼工房助手になったカインを引き連れ、3人で炊事場へと向かった。


 離宮の炊事場に入るのは初めてだったが、思ったよりも大きな場所であった。

 離宮の一階で、工房のちょうど反対側に位置しており、部屋の形や物のレイアウトが少し工房と似ているような気がする。

 働いているのは見たところ10名ほどだ。中は蜂の巣を突いたような大騒ぎで、全員で大掛かりな掃除をしている最中だった。

 煮沸消毒用だろうか、釜には大量のお湯が沸かされており、見たところ掃除に関して特に足りないと思われることはない。


 煮沸消毒の歴史は古く、この世界でも広く浸透している常識だ。

 しかし、アルコール消毒の概念はまだ存在しない。

 正確にいえば、治療の一環として傷口にアルコールを吹きかけるということは行われている。しかしこの世界では、微生物の発見がまだなされていない。だから、物に付着している微生物を殺菌するという概念がないのだ。


「とりあえずアルコール消毒を用意するか……」


 そうこうしている内に、炊事夫の内の1人が俺の存在に気づいた。


「ユ、ユケイ様!」


 その声に反応する様に、室内の視線が俺に集まる。そして、皆一様に頭を下げ、炊事場を取り仕切っていると思わしき男が飛んできた。


「いや、そんなのはいいよ。気にせずに作業を続けて……」

「だから言ったんです。ユケイ様が見えて作業を続けられるはずがありません」

「そんな……、だってオルバート領ではそんなことなかったじゃないか」

「それは……、申し訳ありません、教育が行き届いてなくて……」


 アセリアは恥ずかしそうに顔を伏せる。


「ユケイ様!わたくしがこの炊事場を取り仕切る炊事長のマトバフでございます。この様な所までお越しいただきまして、この度は誠に申し訳ありませんでした!」


 走ってきた男のあまりの勢いに、カインが前に立ち塞がる。

 炊事長を名乗る男は非常に大きな身体をしているが、その身体が小さく見えるほど恐縮している。


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