光と風は彼方へ
次の日カインが工房に現れたのは、日も落ち夕食も皆済ませた頃だった。
普段は夕食を取った後に工房へ戻ることなどない。しかしこの日は荒らされた工房を整備するという名目で、俺とウィロット、そしてアセリアとアゼルがその部屋に集まっている。
くるくると動き回るアセリアとウィロットは、まるで仲の良い姉妹のようにも見え、撫然とした顔で立ち尽くすアゼルも、廊下で足音がするたびにその方をじっと見つめ、彼もまたカインの無事な帰りを心待ちにしているのがわかった。
もちろん工房の整備など言い訳だ。俺の部屋に入ることが許されていないカインが戻ってくるとすれば、この部屋しかないのだ。
そして工房内でやれることはあらかた終わり、アセリアがお茶の用意をしようとする頃にカインが現れた。
「ユケイ様、この度はほんとうにご迷惑をおかけしました!わたしはどうやって償っていけば良いのか、全く思いつくことができません……」
いつになく声の大きなカインに驚いたのか、ウィロットがパチパチと瞬きをするのが見えた。
「カイン、それは違う。この前も言ったけど、迷惑をかけたのはカインじゃなくって俺の方だよ。正確に言えば……、いや、それはいいや……」
「しかし、わたしを牢から出す条件にユケイ様が幽閉されることとなったと聞きました……」
最終的にノキアが出した条件は、兄であるエナが王に着くまで離宮からの外出を禁止する。もう一つは今回の件で得た止まぬ風に関する一切のことを、誰にも口外しないというものだった。
ちなみにエナが王に就くまでという期間制限は、彼が王になった時に解放されるという意味ではなく、おそらくその時になればなんらかの処分が下されるということだろう。
現在の俺は現王の子供という立場だが、エナが王になった時点で王子ではなくなる。そうなれば、同腹の王弟となるノキアの権限でもなんらかの処分が下せるだろう。
「まあ、お父様はまだまだお元気だからタイムリミットはたっぷりある。どうするかはこれからゆっくりと考えるよ」
「……ユケイ様、なぜノキア王子に楯突いてまで、わたしを助けたのですか?」
カインの顔には苦渋の表情が浮かんでいる。
「なぜって言われると困るけど……」
「助けて頂いた上で、非礼を承知で申し上げます……。わたしを見捨てれば、全て元に収まったのではないでしょうか?」
彼が言うことの意味はわかる。
俺とノキアの立場、そしてカインの身分を考えた時に、その方法が一つの正解に限りなく近いということも理解できる。
しかし、俺にはその選択はできなかった。
「カイン、君がいなくなったら元に収まるとはいえないよ。俺は無実のカインが罰せられるなんて許せないし、助けられるカインを放っておくなんてできなかった。それに、ノキアお兄様にも無実の人を罰するなんてして欲しくなかった。俺の望みは全て叶ったんだから、何もいうことはないよ」
突然、カインは一歩下がり、片膝を跪き頭を垂れた。
「ではユケイ様……、わたしは今からユケイ様の剣です。今はまだ未熟ですが、これからの人生を全てその刃を磨ぐこととユケイ様をお守りすることに使うと誓います……!」
彼の真剣な瞳は、俺に異を唱えるのを封じる迫力に満ちていた。
俺には前世で過ごした経験がある。そこでの風習、倫理観に色濃く影響されているということはもちろんわかっている。
この世界の風習、倫理観と、どちらを優先させるべきか?
それはもちろんこの世界だ。
前世でも今世でも、旨いものは旨いし、綺麗なものは綺麗だ。
しかし先ほどの件の様に、決して交わらない、伝わらないものもある。
それならば、今世に交わって染まり生きた方が、正しい生き方というのではないだろうか?
俺の手は短い。この小さい離宮を平和に守れれば十分……、いや、それで精一杯なのだ。
不意にウィロットが、パタパタと何かを両手に抱えてやって来た。
「ユケイ様、そういえば夜ですよ。今日は夜でも暑いです」
彼女が持ってきたのは、いつか戯れに作った走馬灯だった。
どうやらあの賊の騒動でも壊れずに、しっかり残っていたらしい。いっそ粉々に壊れてくれていれば……
「ウィロット……、それはもういいよ……」
「いいじゃないですか。やりましょうよ」
彼女は笑顔を振りまきながら、走馬灯の蝋燭に魔法で器用に火を点ける。
明かりが灯った走馬灯は、ゆっくりと周り始めた。
「仕方ないなぁ……。アセリア、部屋の明かりを消してくれる?」
アセリアは俺に言われると、部屋の明かりに覆いを被せ、燭台の炎を一つずつ吹き消していく。
明かりが一つ消される度、部屋の明るさと引き換えに走馬灯から発せられる光彩は鮮やかさを得る。
そして全ての光が消された中、走馬灯は色とりどりの灯りを映しながら回り続けた。
てっきり失敗かと思っていた走馬灯は、明かりの少ないこの世界の夜に相まって、思いの外美しい光の影を紡ぎ出す。
「わぁ!きれい……」
ウィロットが手を組み、感嘆の声を上げる。
走馬灯の光は、時折窓を越えて部屋の外までも彩った。
光の中では光は見えない。
俺は今回、俺にしか見えないもの、俺だけに見えないものに振り回されてきた。
しかしそれは、俺だけが特別なことではなく、誰にでも当てはまることなのだ。
魔力の目があるとか無いとか、考えようによっては大きな違いでは無いのかも知れない。
開け放たれた窓から、小さな風が工房へ流れ込む。
それはそっと、俺の額に浮かんだ汗を拭った。
「ユケイ様!確かにちょっと涼しくなった気がします!」
はしゃぐウィロットの声が聞こえる。
その意見に、アゼルは首を傾げている。
アセリアは楽しそうだし、カインはそれどころではない様子だ。
「……うん、そうかもしれない。フラムヘイドにはこれを空に飛ばすお祭りがあるんだよ」
「えっ?そうなんですか?」
「うん。天灯っていってね……」
ささやかな話は止まることを知らなかった。
風習が違っていても価値観が違っていても、想いが伝われば届くものがあるのかも知れない。
であれば俺はこの離宮の中で、何か出来ることがあるのだろう。
確かに離宮は狭い。
しかし、そこはこの広い世界の一部であり、吹き抜ける風は世界を渡るのだ。
そして日は流れ、アルナーグの街に秋が訪れる。
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