兄と弟(下) Ⅷ
工房に辿り着くと、そこにいるはずのウィロットの姿が見えない。
一瞬血の気が引くのを感じる。
「ウィロット!どこだ!?」
もしかしてウィロットまで捕まったのか!?
俺たちの間に緊張は走るが、次の瞬間……
「ゴン!」という何かをぶつけるような音が室内に響き渡る。
それはまるで、机の下に潜っていたウィロットが、立ち上がろうとして頭をぶつけたような音だった……。
「いたたた……。あ、ユケイ様、お帰りなさいませ。カイン様は如何でしたか?」
机の下からウィロットが頭を摩りながら現れる。
俺はほっと胸を撫で下ろす。
「ウィロット、机の下でいったい何をしているのですか?」
「あ、アセリア様もお戻りで。あの、ユケイ様の言いつけで探し物を……」
そうだ、落ち着け俺。ウィロットは攫われる理由がない。
「ユケイ様、申し訳ありません。あのくるくる廻る針、机の下もゴミの中も探したんですけど、まだ見つかって無いです……」
「いや、見つからなくていいんだ。……見つかって欲しかったけど」
ウィロットの様子を見るからに、かなり真剣に探し続けてくれていたように思える。それでも部屋にあるはずのコンパスの針は、見つからなかった。
それは何故か……。
これで離宮へ侵入騒ぎの答えが、全て明らかになった。
そもそも賊の目的が、その「消えたコンパスの針」だったとすれば、全ての辻褄が合う。いや、本当はコンパスの針ではなくコンパス自体を盗もうとして工房へ侵入したのだろう。
しかし、不運にも賊は何らかの原因で、床に落ちていたコンパスを踏んでしまった。
「あっ!」
「どうしたウィロット?」
「そういえばわたし、昨日机の上から何かを落としてしまって。探したんですけど何かわからなかったんです」
どうやらその犯人はすぐ側にいたらしい。
カインが目覚めるきっかけになったという「枝を踏んだような音」、それはコンパスを踏み潰した音だったのでは無いだろうか。
カインが賊を撃退できたのも、そもそも賊がカインに対して攻撃の意思を持っていなかったのだろう。確かに賊は3人いたのだが、実際に戦闘を行ったのは1人で、残りは消えたコンパスの針を探していたのだと予想できる。
おそらくカインとの戦闘中にコンパスの針を発見し、それ以上戦う必要が無いので退散したのだ。
確実にコンパスを探すのであれば、カインを仕留めてから探す方が確実である。
なぜそうしなかったのか?
それはどうやって賊が城壁内に侵入し、さらに脱出したのかの答えにも繋がる。賊はカインと同じくこの城で働く者なのではないだろうか。
よっぽどの恨みや強い命令が無ければ、わざわざ同じ場所で働く者を殺めようなどとは考えないものだ。
そして、侵入者が城外からでなければ、城壁内の建物から離宮など移動するのに何の苦労もいらない。
勝手口の鍵も、わざわざピッキングなんてせずに鍵をもう一つ用意すれば良いだけだ。当然脱出するにも城壁を越える必要がないのだから、今回の件はそもそも手練れの賊などではなく、誰でも実行することができる犯行なのだ。
それどころか合鍵を持っているのだから、カインが部屋で寝泊まりをしていなければ、もしかしたら賊が入ったことにすら気づかなかったかもしれない。
その結果、ウィロットがコンパスを無くしたという事実だけが残ったことだろう。
「……もう一つ鍵があれば?」
なんだろう?脳裏に何か引っかかるものがあるが、今はそれを考えている場合ではない。
賊がコンパスを狙ったのであれば、犯人は2人にまで絞ることができる。
そう、コンパスの存在を知っている人物、それは俺とこの工房に出入りしている者たちを除けば残りは2人。第一王子のエナ・アルナーグ、そして第二王子のノキア・アルナーグだけだ。そしておそらく、今回工房へ侵入した者……、いや、侵入を命じた者は。
「ウィロットはここで待っていてくれ。扉の鍵を閉めて、絶対に中へ人を入れないように。アゼルとアセリアは一緒に来てくれ。……図書室へ向かう」
「図書室ですか?」
「うん。もしかしたらそこに、足跡があるかもしれない。それに……、いや。とりあえず急ごう」
図書室の前にたどり着くと、そこには見慣れたいつもの衛兵がいる。
そう、俺が図書室に現れると、いつも赤い鍵で図書室の扉を開けてくれる衛兵だ。
しかし、俺と目が合った瞬間、その目が宙を泳いだのを見逃さなかった。
「やあ、ご苦労様。図書室の鍵を開けてくれないかい?」
「あ、あの、申し訳ありません、ユケイ様。ノキア様から調べ物があるから、誰も室内には入れぬようにと申し付かっておりますので……」
「ああ、それは大丈夫だよ。お兄様に呼ばれて来たんだ」
「えっ……?そんな……」
「確認してもらっていい。ここで待ってるから」
「……はい、ではしばらくこちらでお待ちください」
そう言うと、衛兵の男は図書室の中へ姿を消した。
「ユケイ様、ノキア様に呼ばれていたのですか?」
「それはもちろん嘘だよ。それより今衛兵が部屋に入る時、鍵を開けなかったよね?」
「……ああ、確かにそうですな。いつもは常に鍵がかかっておりましたが」
そうだ。あの衛兵は常に図書室の鍵をかけており、人が出入りする時だけ開錠していたはずだ。
「アゼル、アセリア、図書室の鍵ってどんな飾りがついているか知らないか?」
「……飾りですか?」
「ユケイ様、わたし見覚えがあります」
「アセリア、どんな形だ!?」
「えっと、口ではすごく説明しにくいんですけど……。草を束ねたような……」
「……草?」
「えっと、フラムヘイドの紋章に似ていたような気がします」
フラムヘイド、それは白竜山脈を越えた所にある国。
その名前を火の国フラムヘイド、炎の龍が守護する国。
「そうだ……、炎の鍵だ……!」
王冠の鍵、氷の鍵、羽の鍵、門の鍵、そして図書室の鍵になっていた炎の鍵。
確かに奥の書庫の鍵が王冠の鍵と門の鍵だったのだから、他の鍵が図書室の鍵とされていてもおかしくはない。本来1つの束にされていたものが、図書室の門番に渡されていたのだろう。
そもそも、例の鍵の束には鍵が5つついていたのだ。
そして、あの衛兵は普段必ず施錠しているのを今日はしていなかった。それは何故か?
答えは簡単だ。
「鍵がなければ開けられない!」
俺は意を決する。
「アゼル、何かがあれば俺を護れ」
「……言われるまでもありません」
「アセリアは『光の道』の準備を」
「は、はい!」
「よし、入るぞ……!」
俺は勢いよく扉を開き、その間を縫ってカインが図書室内へ躍り入る。
図書室の中にいた人影は4人、1人はもうすぐ目の前の距離にいた。それぞれ勢いよく開いた扉に目を見開くが、衛兵がサッと腰から剣を抜く。
「外でお待ちいただくよう申したはずです!」
衛兵が言い終わる前にアゼルは動き、剣を抜き構えようとする衛兵の腕を取り、背負い投げのような形で投げ飛ばした。
剣は宙を舞い、衛兵は背中から本棚へと突っ込む。
「待て!アゼル!」
アゼルは悠々と埃を払う仕草をし、何事もなかったのように床に転がった剣を拾い上げた。
「ユケイ様、お言葉ですがわたしは剣を拾っただけです。万が一ユケイ様に剣が向けられるようなことがあれば、わたしは誰であろうとその者を害さねばなりませんので」
「……わかった」
要するにアゼルは、今のは剣を構える前、つまり俺にはまだ剣を向けていないということを言っているのだろう。それと同時に、次は剣を構えた時点で「誰であれ」容赦はしないと牽制していることになる。
「しかし……、アゼルって強かったんだな」
俺の言葉を聞いてアゼルは明らかにムッとした表情を浮かべるが、特に言葉はなかった。
とりあえずは静寂を取り戻した室内を俺は見回す。
人影は俺を含めて7人、俺とアゼル、アセリアに図書室の衛兵。そして残りは第二王子ノキアとその護衛、そして文官だろう。
最初に口を開いたのは、ノキアだった。
「ユケイ、お願いだからこれ以上騒ぎを大きくしないでくれ……」
「何を言っているのです!?騒ぎを大きくしているのはお兄様ではないですか!」
「僕が……?」
「そうです!ご自覚がないのですか?コンパスが必要であればおっしゃって頂ければいくらでも差し上げました。それなのにわざわざ賊の真似事までして手に入れ、挙句の果てにわたしの部下を犯人に仕立て上げるなんて!」
「何のことを言っている……」
「お兄様、白を切るおつもりですか?賊は3人という話でした。今この場に、我々とお兄様を除いた人数は3人です。それは偶然ですか?」
「……」
「賊はわたしの工房で、特殊な光にだけ反応する粉を踏んでいきました。今この場で、それを調べさせていただければ賊の正体を調べることもできるのです」
「それは……」
「鍵のことも最初から分かっていたのですね?わたしが氷の鍵を車輪の鍵といった時に、お兄様は何もおっしゃらなかった。あの時既に、お兄様は5個目の鍵、炎の鍵の存在を知っていたのではないですか?それぞれの龍のレリーフに対応する鍵が存在することを。そして、知っていた上で黙っていた。それはいったい何の為ですか?」
シンと静まり返る室内。
永遠に続くかとも思われたその時間を破ったのは、ノキアのため息だった。