毒見少女の憂鬱 Ⅳ
俺たちは図書室に入りいつも通り読書を始めると、その四半刻(30分)後、先ほどの2人組がアドバイス通りに手入れをしたら綺麗に緑青が落ちたと図書室に飛び込んできた。
「ユケイ様の言う通りにしたら本当にピカピカになりました!これで明日怒られずに済みます!」
「あなた達、ユケイ様の言うことを疑っていたのですか?」
「そ、そんなことは無いのですが。さすがユケイ様です!」
「当然です」
ムフーと鼻息が聞こえそうなくらい、なぜか俺以上に得意げな顔をしたアセリアが2人を諭す。
これでさらに、「図書室のお悩み解決王子」という二つ名は盤石なものとなってしまっただろう。2人は何度も俺たちに頭を下げながら、図書室を出ていった。
思わず苦笑が漏れる。
「騒がしい2人だったね」
「ふふふ、そうですね。しかしユケイ様、前もご意見申し上げましたが、下働きにかける声としてユケイ様の言葉は丁寧すぎますよ。お気をつけ下さい……」
「あ、そ、そうだよね。ごめん、気をつけるよ」
「わたしに謝罪などしてはいけません」
「うん、ごめ……、わかったよ」
アセリアは俺の教育係でもあるから、当然こういうことも言わなければならない。
前世での生のほうが長い俺にとって、年上に無条件で尊大な態度を取れというのは正直かなり変な感じがするのだが、それができていないと教育係としてのアセリアの評価を落とすことになる。アセリアとはもっと、友人のような関係になりたいと思っているのだが、彼女は決してそのラインには踏み込んでこようとはしない。
身分の違い、年齢も一回り違うから仕方がないとわかっている。
できれば同年代の友達も作りたいとずっと思っているのだが、俺の立場上それは難しいのだろうか。
「ユケイ様、本は昨日の続きをご用意すればよろしいですか?」
「あ、うん」
アセリアは懐から取り出した紙に目を通すと、昨日の本を書架から取り出して読書台へ備え付けた。彼女は俺が読んだ本の目録をつけてくれていているのだ。
そしてページをめくる邪魔にならない所にランプを置くと、彼女も適当な本を読み始めた。
最初の頃、俺が本を読んでいる間は決して読書台から離れようとしなかったのだが、じっと見ていられるのが気になると文句をいうとその距離が少し離れ、先々月辺りからついに自分も本を読み始めたのだ。
彼女から恥ずかしそうに自分も本を読んでいていいかという申し出があった時、俺は彼女との距離が多少でも縮まったのかと思いとても嬉しかったことを覚えている。
アセリアに、待っている間は好きな本を読んでいるよう勧めたのは俺なのだ。最初彼女は決してその話に乗ろうとしなかった。
それからさらに半刻ほど、穏やかに時が過ぎる。
俺は完全に本に入り込んでいたため、それに気が付いたのはアセリアだった。
「……?」
アセリアが不意に読んでいた本を書架に戻し、図書室の扉の前でなにやら外の気配を伺っているようだ。
彼女の動きに俺もつい目が取られる。
また誰か客が現れたのだろうか?
「どうしたの?」
俺がアセリアに声をかけるのとほぼ同時に、彼女は図書室の扉をさっと引いた。
「きゃっ!」
それと同時に、恐らく扉に体重を預けて中の様子を窺っていたのだろうか、小さな体が室内に転がり込みそのまま床に大の字に突っ伏した。
一瞬室内の空気が凍り付くが、その小さな人影は跳ねるように飛び起きた。
その少女には見覚えがあった。
小柄な体に肩で切りそろえられたオレンジがかった赤毛にくりくりとした瞳。屋敷の下働きが着る紺と白のメイド服に、蔦の葉を象ったような木彫りのペンダント。俺と同じくらいの背丈で頬には大きな痣……。
間違いなくいつも食事の時に現れる毒見少女だ。
「ご、ごめんなさい!失礼しました!」
彼女は起き上がると頭を地面に打ち付けそうな勢いでお辞儀をすると、急いで部屋を飛び出そうとする。
俺は彼女を呼び止めようとするが、それよりも早くアセリアが彼女の手を掴んだ。
「待ちなさい!早く中に入って!」
アセリアは少し強引に彼女を室内に入れると、そっと扉を閉じた。
毒見少女は小さな体をさらに小さくさせ、よく見ると震えているようだった。
顔色も悪く、挙動不審に俺とアセリアの顔を交互に見返す。
「アセリア様、申し訳ありません……。図書室には絶対に入ってはいけないと言われてました……」
「……あっ!」
アセリアは「しまった!」と言わんばかりに小さく声を上げながら手を口に運ぶ。そんな彼女を見るのは初めてかもしれない。
図書室はこの屋敷の中のものでも入室できる人間が限られている。下働きの人間は、当然入室が許されていないのだ。
しかし、今のはどう見ても毒見少女が室内に入ってきたというよりも、アセリアが少々強引に招き入れたに他ならない。これを咎めるのはお門違いというものだ。
「……おほん。それはいいです。ウィロット、どうしてあなたがここにいるのですか?」
アセリアは小さく一つ咳払いをすると、ウィロットと呼んだ少女に向けて威厳たっぷりに声をかけた。
「あ、あの、その……」
「どうしました?言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「あの、王子様にお声をかけても良いのでしょうか?」
「……はい、許可します」
「ありがとうございます、アセリア様。王子様、どうかわたしを助けて下さい!」
そう言うと、彼女の大きな瞳からそれに負けないくらいの大粒の涙がぼろぼろと零れだした。