兄と弟(下) Ⅵ
「これですべてか?」
「はい、そうだと思います。あ、ユケイ様!いじるなら危ないですから火箸を使って下さい!」
そう言うと、ウィロットは俺に鉄で作られた火箸を手渡した。
それを受け取ると、俺は山になっているゴミを平らにならしていく。
その中には、ガラスの欠片や陶器の欠片、これらは実験の時にビーカーなどの容器にしていたものだろう。あとは細かい粉末状のもの、これは単純に外から入り込んだ砂も混じっているだろうし、掃き集められた鉱石の屑、そしていろんなものを削った時の削りカスや鉄粉も混じっているはずだ。そして残りは木片。乱闘の時に壊れた椅子や家具の欠片、そして……。
「これは……、コンパスの枠組みか?」
ごみの中から出てきたのは、踏まれたのか無残につぶれたコンパスの、木製の枠組みだった。
「ウィロット、これ」
「これ?あのくるくる回るやつですね」
「回るやつじゃなくてコンパスだよ。これの真ん中にあった針はわかるか?」
「はい。赤い色がついてるやつですね?」
「それを探してくれないか?部屋の中にあるはずだ」
コンパスの針は磁石でできている。鉄製の火箸で探ればすぐに見つかるはずだが、ここには見当たらないように思える。
「はい……。けど、カイン様が……」
「うん、けど、カインを助けるために必要になるかもしれないんだ。頼む」
「はい!わかりました!」
俺の声を聞くと、ウィロットは床に這いつくばり机の下や棚の隙間まで、必死になって探し始める。
そうだ、カインが犯人ではないとして、だからこそ謎がまだ何も解決していない。
つまり、賊たちの侵入経路と逃走経路が分かっていないこと、そしてそんなことをやってのける手練れだというのに、カイン1人に追い払われてしまうという矛盾点。そしてその動機だ。
離宮に忍び込むというのは、捕まった時は間違いなく極刑だろう。そんなリスクを冒してまで犯行を起こしたのに、カインという障害に出会っただけですぐに退散しているように思える。カインがいかに戦ったかは分からないが、3人がかりで決死でかかればさすがのカインも後塵を拝するのではないだろうか?賊は武器を持っていたのだ。捕まった後のことを考えれば、もっと決死でカインに攻め入ってもおかしくはないはずだ。
もっとも、そのおかげでカインは助かったということなのだが。
「なんだろう……。カインと戦いたくなかった理由があるのか?」
一度戦闘の様子を、カインに詳しく聞いてみなければいけない。
「あっ、そうだ。あれを用意しないと……」
俺は慌てて荒れた工房の引き出しから、いくつかの材料を取り出してまとめる。
そうしているうちに、アセリアが工房へ戻ってきた。
「ユケイ様、本当にこれでよろしいのでしょうか?」
アセリアは先日の母との食事会で使われていた、ザンクトカレン産の色グラスを持ってきた。
不安そうな表情を浮かべ、青紫色のグラスを両手で大事に抱えている。
「うん、それだ。こっちへ持ってきて」
アセリアからそれを受け取ると、俺は羊皮紙を切り取り、グラスの側面に巻き付けた。そして机の上に残った粉を、革の袋に少し入れる。
「あの、ユケイ様、壊さないように気をつけて……」
「大丈夫だよ。アセリアは光の魔法は使えたよね?」
「はい、加護を受けております」
この世界には多くの魔法の根源となる力が存在する。その中で3大魔法と呼ばれているのが、「精霊の加護」「魔術の門」「神の奇跡」だ。そして、その中で最も人の生活に根ざしているのが「精霊の加護」と呼ばれる系統の魔法だろう。
これは世界に存在すると言われている主精霊とその眷属の力を借り、何らかの超常現象を起こす魔法だ。これは人によって得手不得手はあるものの、努力をすれば全ての人が使うことのできる魔法だと言われている。
「わかった。ウィロットはそのまま針を探していてくれ!アセリアは俺と一緒に、カインの元へ行こう!」
「は、はい!」
俺とアセリアは離宮を離れ、カインが隔離されているという騎士団の詰所へと向かった。
部屋の前にたどり着くと、そこにはアゼルの姿も見える。憮然と両腕を組み、何かを抗議しているようだ。
アゼルは俺に気がつくと声を上げる。
「ユケイ様!?どうしてここに?」
「どうしてもこうしてもないだろう。カインは無事か?」
「は、はい。中におります」
「変な取り調べとかは受けてないだろうな?」
「もちろんです」
「……そうか、よかった」
俺はとりあえず、ほっと胸を撫で下ろす。
「カインを拘留したのは誰の命令だ!」
「それは……」
問い詰められた兵士は、歯切れ悪く顔を見合わすばかりだ。
「カインと話がしたい」
「し、しかし……」
俺の言葉は衛兵から難色を露わにされたが、最終的には兵士を2人立ち合わせるという条件と、今後に多少の便宜を払うということで無理やり納得させる。
通されたその部屋は、石畳がむき出しの狭い牢獄だった。
手の平くらいの採光窓から差し込む光が唯一の光で、そんな暗がりの中、カインが後ろ手に縛られていることが分かる。
そして、彼の顔に大きな痣ができていることが分かった。
床に座り、だるそうに壁にもたれるカインは早朝見た時と全く同じ服装のままで、俺の姿を見ると大きく目を見開いた。
「カイン!大丈夫か!?傷はもういいのか?その痣はどうしたんだ!」
「ユケイ様!?どうしてここへ!?」
「それはいい。傷の手当はちゃんと受けたのか?食事は?」
「は、はい。そこらへんはアゼル様が取り図ってくれました」
「そうか、よかった……」
がくりと力が抜けた俺を見て、カインは不思議そうな表情を作る。
どうやらカインが変な扱いを受けないように、アゼルが色々と取り図っていてくれたらしい。
「ユ、ユケイ様……、あの、ご迷惑を……」
「カインは何も迷惑をかけるようなことはしていないはずだ!」
「……ありがとうございます」
「カインの無実は俺が証明できる。そのためにも、昨日の状況をよく思い出してくれ」
「は、はい」
「昨日机の上に足跡がついていた。カインが砕いて粉々になった鉱石の上にもだ。あの足跡はカインがつけたのか?」
「いいえ、わたしは机には上がっていません。足跡があったのならそれは賊のものでしょう」
「よし、わかった。間違いないな?」
「は、はい……」
俺はまとめた荷物の中から革袋を取り出し、その中に入っていた粉末を床に撒いた。
「アセリア、このグラスの中に光の魔法をかけて欲しいんだけど……、杖はいる?」
「いいえ、光の魔法でしたら杖が無くても大丈夫です」
「うん。それじゃあ、グラスの口からなるべく光が漏れないように」
「はい……」
「アゼル、窓を閉めて部屋をもう少し暗くしてくれ」
「はい、畏まりました」
アセリアはグラスを恐る恐る受け取ると、そっと呪文の詠唱を始めた。
「遥か高き光の王よ、空に仕えし精霊たちよ。我が手に集い、その身を現せ。闇の帳を払う祝福、光りの道を与え給え……」
詠唱が終わると同時に、アセリアの手の平が白く輝き、辺りを照らし始めた……はずだ。当然俺には見えないのだが、一瞬カインが目を細めたところを見ると、おそらくそれなりの光量が出ているのだろう。
「その手でグラスの口をふさいで、さっき俺が撒いた床の粉末に向けてくれ」
「は、はい」
アセリアは言われた通りにグラスの底を床に向ける。
グラスの横は革で覆われており光を通さず、まるで懐中電灯のように紫色の光が床を照らしているはずだ。