兄と弟(下) Ⅴ
再び寝間着に着替えさせられ、ベッドの中に潜り込むと、先ほどの工房の様子が頭をよぎる。
考えれば、不可解な点は多数ある。
先ずは犯人の人物像だ。
アルナーグの城ははっきり言えばそれほど大きな城とは言えないが、小さいながらも城壁があり、警備は常に行われている。その関門を乗り越えて離宮にたどり着いたということは、それなりの手際が無ければ不可能だ。にもかかわらず、3人がかりでカイン1人に追い払われたという。
カインが実は凄く手練だという可能性もある。しかし、いくら彼に実力があったとしてもわずか13才の少年だ。3対1の状況で、はたして賊を退けることができるだろうか?
言い方を変えると、13才の少年に撃退される程度の実力の人間を離宮に忍び込ませて、一体何ができるというのだろうか?
そして、離宮に忍び込もうとした目的である。
たしかに工房の勝手口から侵入するというのは、そこにカインがいるということを知らなければ一番手薄な場所かも知れない。しかし、工房は離宮の中でも比較的奥まったところにあり、そこから侵入して何処へ向かおうとしていたのだろうか?
俺の部屋は離宮の二階、母の部屋は離宮三階の塔だ。
どちらへ向かうとしても、近いとは言い難い。
「あと考えられるのは……、いや、そんなことはあり得ないな……」
もう一つ思い浮かぶ可能性を、俺は頭の中で振り消す。
そんなことを考えていると、頭が急に微睡んでくるのを感じる。
その後あっという間に眠りに落ちたのは、疲れのせいなのか、この幼いの身体のせいなのか、どちらであろう。
「ユケイ様!起きてください!!カインが!カインが!!」
俺はウィロットの声によって、深い眠りから一気に叩き起こされた。
このような乱暴な起こし方をされたのはいつぶりだろうか。
少なくともこの世界に転生してからは記憶にない。
「ど、どうしたんだ、ウィロット!?落ち着いて話せ!」
窓から差し込む日の角度から、おそらく正午近くまで寝てしまったのだろう。じっとりと汗ばんだ肌にシーツが纏わりつく。
真っ先に思い浮かんだのは、彼の体調が急変したということだ。今朝の様子では全く平気そうではあったが、傷自体は軽症でも刃物に毒が塗られていたり、傷口から細菌が入って悪化するということも考えられる。
「は、はい……。あ、あの、カインが……、カイン様が衛兵に連れて行かれてしまいました……!」
「衛兵に!?なんでカインが?」
「はい、今回の侵入者騒ぎの犯人として……、侵入者自体が嘘だったと……」
「何だって!?」
実はそれは、可能性の一つとして考えていたことだ。
しかし俺はそれを完全に否定する証拠も持っている。
「どういうことだ?誰かがカインに罪をなすりつけようとしている?」
確かに状況だけを積み重ねれば、その結論を出したくなる気持ちも分かる。
カインの狂言であるという答えは、確かに今朝の事件が持つ奇妙な点の解答になり得る推理ではあった。
それは、賊はどうやって城の警備を掻い潜って離宮まで辿り着けたのか?カインはなぜ3体1で、武器を持っている相手を撃退できたのか?そして、カインが捕まったということは、賊は未だに発見されていないということだ。つまり、どうやって賊は城から脱出できたのか?そして、何の目的で本城ではなく離宮に来たのか?である。
確かにカインの狂言だとすれば、全ての疑問は解決できる。いや、むしろかなり説得力があると言ってもいいかも知れない。
「けど、そんなことをする動機がないんじゃないか?」
「それは、その……、武勲をあげて、別の仕事にとりあげて欲しかったんじゃないかって……」
「ああ、なるほど」
確かに今朝の態度を見る限り、カインはどうやら進んで工房の助手をやっているわけではないということはわかった。可能であれば、警護に徹したいというのも本心だろう。
「カイン様はそんなこと絶対にしません!!」
「ああ、ごめん。そういう意味じゃないんだ。俺はカインの無実を信じてるし、その証拠もある」
「そうなんですか!?それじゃあ早くカイン様を助けてあげて下さい!」
「その為にはまず工房に行かないと。アゼルとアセリアは?」
「アセリア様は工房だと思います。アゼル様はカイン様について行ったので、多分カイン様の所かと……」
「わかった。とりあえず工房へ行く」
俺はウィロットを連れて工房へ向かう。
離宮の様子は普段通りで、おそらくカインを事件の犯人として一応の解決を見たという判断だろうか。
「ユケイ様!」
工房へ入ると、顔を真っ青にしたアセリアが俺を出迎える。
「申し訳ありません、カインが……」
「アセリアが謝ることじゃないよ」
「はい……」
アセリアを宥めると、俺は室内をぐるりと見回す。
「床が片付けられている……」
「あの、カインのことで部屋を離れているうちに、床が散乱していると危険だということで城のものが片付けてしまって……」
確かに今朝のままではそう思われるのも仕方がないかも知れない。砕けた資材や、割れたガラスなども散乱していたのだから。
しかし、それにしては手際がいいんじゃ無いだろうか?
まるで証拠を消しに来たようだ。
「アセリア、それは誰だったか覚えているか?」
「それが……、どこかで見た記憶はあるのですが、離宮の下働きの中にはいないかと……」
「離宮の者じゃない?」
アセリアは配下の下働きを完全に把握している。
彼女の言葉は間違いないだろう。
「あの、ユケイ様。わたしがこの部屋に戻った時はもう床は掃除し終わっておりましたが、掃き集めたゴミは取り返しました」
「そうか!ナイスだアセリア!」
「な、ないす?」
「いや、なんでもない」
改めて室内に目をやると、今朝より日の光が入って明るくなった分、よりはっきりと室内の惨状が目に入る。
床は綺麗になっているが、机の上には破壊された実験器具や散乱した資材など、昨夜の乱闘の激しさを物語るのは十分だった。
俺は賊が出入りした勝手口へ近づき、その床を指でなぞる。今朝は指に付着した粉は、綺麗に取り除かれてしまっていた。
「駄目か……」
昨日は確かにここに、薄く光る外へ向かう足跡がついていたのだ。
あの時鉱石の粉で作られた足跡は、ほんのわずかな明かりでしかなかった。真っ暗な中でその光だけを見た俺にはそれを認識することができたが、俺以外の人間には魔法の明かりで照らされた室内であの光を見たことになる。つまり、魔法の明かりにかき消されてあの足跡は見えなかったはずなのだ。
実際、あの後床の粉を指につけてアゼルに見せたところ、彼は何も見えないと返事をした。ということは、あの外に向かう足跡をはっきりと確認できたのは俺だけということだ。しかし、その足跡はもう既に消えてしまっている。確かにカインが自分であの光る粉を踏んで、それによってできた足跡の可能性もあるが……。
「そうだ!アセリア、お母様の所へ行ってあれを借りてきてくれないか?」
「シスターシャ様の所ですか?あれとはいったい……」
俺はアセリアに借りて来るものの説明をする。アセリアは俺の説明を聞き、首を傾げながらも「はい」と短く返事をして部屋を後にする。
「あとは……、ウィロット、アセリアが言っていた掃き集めたゴミというのはどれだ?」
「あ、はい。これだと思います」
ウィロットは部屋の一角を指さすと、そこには掃き集められたガラス屑や砕けた木片、そして埃や無残に姿を変えた実験器具や俺が作った様々な物があった。