兄と弟(下) Ⅲ
「ウィロット、これは?」
俺はウィロットが運んできた素焼きの小さな壺を指差す。
「はい、これはできたメープルシロップの中でも、特に色と香りのいいものですよ。けど、ユケイ様のお食事は全てこれですよ?」
「いや、そういう意味じゃなくって。この壺……、いや、この壺の印はどういう意味だ?」
壺の側面に描かれていたもの、それは丸の中に中心を通る3本直線。つまりあの4つの鍵の内の一つ、車輪と同じ意匠だった。
「どういう意味?……ああ!ユケイ様はご覧になったことなかったのですね。これはオルバート領の略章です」
「略章?」
略章とは略式紋章のことだ。
オルバート領の紋章は、オルバート家から出されたものにしか刻むことはできない。しかし、オルバート領内で生産された物で領主のお墨付きが下されたものに関しては、領地の簡略化した紋章を刻むことができるのだ。
「これがオルバート領の略章なんだ……。なんでオルバート領の略章が車輪なんだ?」
「いいえ、ユケイ様。これは車輪ではありませんよ?オルバート領の紋章は雪と龍です。だからこの略章は、雪を表しているそうですよ。けど、なんでこの形が雪なんでしょうね?」
そう言いながら、ウィロットは小首をこてんと傾げた。
いや、言われてみれば理解はできる。丸の中に中心を通る3本の先で、枠である丸い形に注目すれば車輪だが、中心の線に注目すればそれは雪の結晶だと言えなくもない。
確かにオルバート領の紋章は雪の結晶と龍、つまり白龍山脈を元にしており、そこに描かれている龍は白竜山脈に住むという「氷龍」だ。
「これは車輪じゃなくって雪の結晶だったんだ……」
確かにこの鍵の着色は白だ。それを踏まえれば、車輪と言われるより雪であった方が納得がいく。
そういえば先日ノキアと鍵について話をしていた時、俺があの鍵を車輪の鍵と言った時に彼が何かを言い澱む場面があった。
もしかしたら彼はそのことを知っていたのだろうか?
鍵の種類をもう一度考えてみよう。
王冠の鍵、門の鍵、羽根の鍵、そして車輪の鍵ではなく「雪の鍵」。
そして浮き彫りに刻まれている龍は4種類で、王龍、翼龍、炎龍、氷龍だ。
王龍に王冠の鍵、翼龍に羽の鍵、氷龍に雪の鍵。そして炎龍に……。
「炎龍に門の鍵……?」
それはやっぱりおかしい気がする。
もしかしたら門の鍵も、実は俺が門だと思い込んでいるだけで何か別の読み取りがあるのだろうか?しかし奥の書庫を開くための言葉、「王家の血で門は開く」が示す通り、門の鍵は門なのだろう。
「ウィロット、カイン、ちょっと来てくれないか」
俺は2人を近くに呼び寄せると、門の鍵の意匠をできるだけ正確に思い出して書き写した。
「これは何の意匠に見える?」
「門じゃないですか?」
「そうですね。門に見えます」
ウィロットとカインは、一瞬顔を見合わせてそう答える。
「……そうだよね。俺にも門に見える」
「ユケイ様何言ってるんですか?」
「こら。アセリア様に言いつけるぞ」
「……すいません」
カインの言葉に、恨めしそうな顔で彼を睨みつけるウィロット。
なんだか2人はいつの間にか結構仲良くなっているみたいが……、そんなことはどうでもいい。
では、色で見たらどうだろうか。
王冠の鍵は黄色、門の鍵は黒、羽根の鍵は翡翠色、雪の鍵は白である。
「ウィロット、氷龍は何色のイメージだ?」
「え?それはミーム様は白龍だから白ですよね」
「……ミーム様って、フラスエンデミルフェルマフロストミームのことか?」
「よくそんな長い名前をスラスラ言えますね?」
「ウィロット、龍とエルフは自分の名前を略されることを極端に嫌うという。そんなに可愛らしく略すと怒りを買うぞ」
「ユケイ様は龍やエルフと会ったことあるんですか?」
「それは……ないけど……」
「わたしが一生の中で、ミーム様に会うことなんて絶対にないですから大丈夫ですよ!」
何やら遠い未来に向けて、壮大なフラグを立てられた気がしなくもないが……
「それじゃあ炎龍のイメージは?」
「それはもちろん、赤です」
そうだ。
門の鍵は黒、炎龍を示す鍵にはならないだろう。
ならば、そもそも鍵の飾りと龍は対応していないと考えるべきだろうか?
「なんか頭に引っかかるんだよな……」
何だろう?頭がモヤモヤするような、何か忘れているような……
俺がこの謎を解くために、必要な情報が全て揃っていないということだろうか。
そもそもあの柱に正体を隠す魔法がかけられているのなら、魔力の目を持たない俺がいなければ発見することすら出来ていなかったのだ。
魔力の目を持っていないのはおそらくこの世界で俺一人だけ。であれば、あの柱の扉は開ける方法を全て知っている人間以外は開けることができないことになる。そもそも答えを知らない者には開けさせる気がない、推理や推察で開くことができない類のものである可能性もあるのだ。
「……まあいいや。あの柱のことはお兄様たちにお任せしよう……」
兄は2人とも優秀な人間だ。いずれきっと答えにたどり着くだろう。
もしその答えにたどり着いたとしても、そもそも魔法が使えない俺にとっては関係のない話なのだ……。
止まぬ風の秘密が魔法の根源につながるようなものであれば嬉しい。しかし、そうだったとしてもそれが俺に明かされるということはあるだろうか?
ノキアは俺に優しいし、エナも思っていたほど俺を悪く思っていなかったらしい。
だからといって、腹違いの兄弟に気前よく王家の秘密を伝えるだろうか?
第一王妃の子である彼らは、俺と王位を争う必要がないように魔法の目を持たないままでいて欲しいと思っているのでは無いだろうか?
王宮内の権力争いは激しい。俺には無能なままでいて欲しいと願っているに違いない……。
いや……、もしかしたら俺はそのような被害妄想に浸っているだけで、ノキアもエナも目一杯俺を受け入れようとしているのでは無いだろうか……。
「結局、2人を遠ざけているのは俺の劣等感なんだろうか……」
「どうしました?ユケイ様元気ないです」
ウィロットが心配そうに俺を覗き込む。
なぜか俺の脳裏には、先程のカインの頭を撫でるウィロットの姿が浮かんだ。
「いや、なんでもないよ。……アゼルもいないし、今日はもう部屋に戻るよ。2人も仕事はもういいから、今日はゆっくりしてくれ」
「どうしたんですか?」
「うん、いろいろあってちょっと疲れたのかもしれない」
「わかりました。じゃあ後でお部屋にお茶をお持ちします」
「いや、今日はいいよ。ウィロットもずっと働きづめだろ?」
「働きづめっていう意味が分からないです。お茶は持っていきますね。ユケイ様の健康を守るのも私の仕事です。シスターシャ様に言われていますから」
ウィロットの言うことこそ意味が分からないのだが。今まで健康がどうとか言ったことないのに。しかし、母の名前を出されては居直りづらい。
「……うん、じゃあ頼むよ」
それだけを伝えて、俺は部屋を後にする。
別にいじけているわけではない。
自分が不幸かといえば、農奴や食べるのに困る人が多数いるこの世界の中で、俺は圧倒的に幸福なのだ。ただ、まるで世界からそっぽを向かれているような疎外感。
例えるなら、おそらくこの世界にもいるであろう色覚障害の人のような、自分が見ている世界と他の人が見ている世界が一致していないような感覚。
そして、魔力に溢れる色鮮やかな世界はきっと美しいだろうという確信。
別に世界を覆すような大魔法使いになりたいわけではない。魔力に溢れる世界を一眼見たいという、ただそれだけなのだ。しかしその憧れが、常に自分を苦しめている。
結局俺にかかっている呪いは、魔力の目を持たないという事実よりもその憧れ自身なのかもしれない。
その日は結局、夜まで何事もなく過ごすことになった。
ウィロットが入れてくれたお茶は香り高く、彼女の成長を垣間見た気がする。
そして、事件が起こったのはその日の夜……。いや、それはもう早朝というべき時間であった。