兄と弟(下) Ⅱ
「お兄様、申し訳ありませんでした……。決して悪意があってこのことを知らない振りしていた訳ではないのです」
「わかってるよ。僕に花を持たせようとしてくれたんだろう?しかし、だったらもう少し演技プランを練った方がよかったね。ユケイの演技の不自然さと言ったら……」
ノキアはあの時の俺を思い出しているのか、クククッと、小さく笑う。
そんな彼の笑顔を見て、俺はほっと胸を撫でおろした。
「ユケイ、鍵が少し気になるんだが、僕が預かってもいいだろうか?」
「はい、もちろんです」
「鍵の仕組みについてはどう思う?」
「そうですね……。それぞれの龍に鍵穴が一つずつで扉に一つ。つまり鍵穴が5つですが鍵が4つです。なので、それぞれの龍の鍵穴の仕掛けを解いてから扉の鍵穴という順番ではないでしょうか?」
「……うん、その可能性は高いね」
「奥の書庫の扉を開くための言葉があった以上、この柱の扉にも何か言い伝えが残っていてもおかしくないと思うのですが……」
「言い伝え?」
「はい。『王家の血で門は開く』で、王冠と門の鍵を使いました。後は、車輪と羽の鍵です」
この組み合わせには違和感を感じる。
鍵は全部で4個、「王冠」「門」「羽根」「車輪」だ。
そして、4体の龍は「王龍」「翼龍」「炎龍」「氷龍」。
例えば王冠の鍵と王龍は対応しており、羽根の鍵と翼竜は対応してるとも言える。
しかし、車輪の鍵と門の鍵は、対応するものがない。
「車輪?……ああ、車輪か」
ノキアは一瞬何かを言いかけるが、どうやらその言葉は飲み込んだらしい。
「どうかなさいましたか?」
「いや、何でもないよ。しかし、ユケイが作ったコンパス、最初に見た時は奇妙なものを作ったと思ったが、結果的にそれが役に立ったね」
「はい。けど、見つけられたのはお兄様のお力です」
「ふふふ。ありがとう、花を持たせてくれて」
「そ、そんなことは……」
ノキアはそう言いながら小さく笑い、俺の頭に手を乗せて髪を撫でる。
母はもう、俺に触れることはない。俺の頭を撫でる者がいるとしたら、きっとそれはこの世界でノキアだけだろう。
「しかし、魔力の目が無いことによって見えるものがあるとはね。ユケイは以前、『魔力の目を通してみる世界こそが正しい世界で、その世界を見てみたい、だから魔法を求める』って言っていたね」
「はい。きっとわたしが見ている世界よりもお兄様たちが見ている世界の方が豊かなんじゃないかと思います」
「しかし実際、ユケイには龍のレリーフを見ることができて俺にはコンパスがないとどこに鍵穴があるかも分からない……。『目』でも負けてしまったら、僕はユケイに敵うところが無いじゃないか……」
「……お兄様?」
「いや、何でもない……。今日はもう戻ろうか」
そう言いながら笑うノキアの顔は、なぜかとても寂しげだった。
俺はノキアに鍵を渡し、この日はそれぞれの部屋へと戻った。
翌日工房に顔を出すと、俺はカインの恨みがましい視線で出迎えられることになる。
「……おはよう」
「おはようございます、ユケイ様」
「何か言いたいことがありそうだけど」
「いえ、決してそのようなことはありません。ユケイ様の言いつけ通り、こぶし大の鉱石を粉々に砕いておきました」
ああ、そういうことか。何も考えずにお願いしてしまったが、鉱石を砕くのが思ったより重労働だったのだろう。
考えてみれば当然だ。例の鉱石はものの見事に粉砕され、こぶし大の鉱石は両手で掬える量の砂に姿を変えていた。
「ご、ごめん、思ってたより大変だったみたいだね」
「ユケイ様がどの程度大変だと思っていたのかわかりませんが、大変でした」
「そ、そうか。悪かったよ……」
「いえ、仕事ですから」
よっぽど大変だったのか、カインは腕の筋肉をほぐすようなしぐさを見せる。
いやまあ、確かに大変だったとは思うけど、その態度は……
「おはようございます、ユケイ様!」
突然ドアがバンと開き、ウィロットがいつも通りの調子で部屋に現れた。
「あ、カイン様、お仕事終わったんですね。昨日はずっとぶつぶつ言いながら石をゴリゴリしてましたから」
そう言いながら彼女は、カインの頭を数度雑に撫でる。
「やめろ」
そう言いながら、カインはウィロットの手を払いのけた。
先程の兄との一幕が思い出される。当然俺は、払いのけたりなんかはしないが……
「あ、ああ、そうだ。ウィロット、ちょうどいいや。お茶を入れてくれないか?みんなの分も。何か軽いものも出してほしい」
彼女は不思議そうに俺の顔を見る。
「もうですか?朝ごはん食べたばかりですよ?」
「うん。ちょっと喉が渇いてさ」
「みんなの分って、わたしの分もですか?」
「うん、もちろん」
「はい!わかりました!」
そう言うとウィロット顔をパッと輝かせ、パタパタと竈の方へ駆けて行った。
「ユケイ様、今日はアゼル様はどうなさったんですか?」
「ああ。アゼルは騎士団詰所に行っている。討伐遠征から部隊が一つ帰ってきたみたいだから、その関係らしい」
「ああ、そうなんですね」
気のない返事を返しながら、ウィロットは食器をテーブルに用意する。
なんとなくカインやウィロットの態度が緩いのは、きっと2人がいないからだろう。
ウィロットはアセリアの前では借りてきた猫のように大人しいし、カインもなぜかアゼルの前だと極端に口数が少なくなる。俺にしてみれば、今日のような2人の方が、なんとなくより近しい関係のように感じられて好きなのだが。
しかし、アゼルの警護がなければ俺は工房から離れて図書室に行くことができない。まあ、昨日の今日でそんなに積極的に行きたいわけではないが、昨日中途半端になってしまった調べ物もある。
そういえばノキアが俺に見せようとしていた鉱石の本。それが少し気にかかるが、あの本は奥の書庫に保管されている。書庫の鍵はノキアに渡してしまったのだから、どちらにせよ見ることはできない。
「で、これをどうするんですか?」
「うん、もうちょっと図書室で調べたかったんだけど……。粉末にするとやっぱり少し黄色……、いや、黄緑っぽいかな?」
「黄緑ですか?わたしには白に見えますけど」
ウィロットは横から粉の山を覗き込む。
「薄黄色ですよ。丸一日それを砕いていたわたしが言うのですから間違いありません」
「それは悪かったよ、カイン。まあ色のことはいい。成分の調査とかいろいろしていきたいけど、もう少し図書室の資料を調べてからにしたいから置いておこう。触ってこぼさないように気をつけてね」
「はい」
トロナ鉱石ではないということがわかっているのだから急ぐことはない。
変わった鉱石である可能性もあるのだから、下手にいじって変質させてしまってはもったいない。いろいろと分析するのは後でもいいだろう。
お茶の準備が整い、ウィロットはそれぞれにお茶とシンプルなクッキーを用意した。
「ありがとう」
「メープルシロップはかけますか?」
「いや、そのままでいいよ」
「あ、はい。そうなんですね」
微かにトーンダウンしたウィロットの声に、何事かと彼女の顔を見る。
すると彼女は、何か言いたげな表情でもじもじしていた。
「どうしたの?」
「あ、いいえ。何でもないです」
「……?あ、ああ。メープルシロップを使いたいのかい?いいよ、使って」
俺の言葉を聞いて、にっこり笑いながら待ってましたと言わんばかりに戸棚の方へ駆けていく。
「おい、ウィロット。アセリア様がいないからって厚かましいぞ」
「いや、いいよ。カインも甘いのが嫌いじゃなかったら使ってみるといいよ。今年のシロップはお茶によく合うから」
カインがウィロットに小言をこぼす。
「しかしユケイ様……」
「このシロップは最初、俺とウィロットの2人で作ったんだ。まだ味わったことないんだったら、カインもぜひ食べてみてよ」
「……はい、かしこまりました」
ウィロットと比べてカインは少し真面目過ぎるところがある。いや、ウィロットと比べれば誰でも真面目なのだが。
カインは俺やウィロットと比べると、2才だけ年上にあたる。
彼と会うのは工房の中だけなのだが、もう少し友達みたいな付き合いがしたいと思っているのだが、それは俺の我がままだということは解っていた。
彼は工房の助手として志願してきたという話だが、彼の科学、工学的なものへの興味の向け方を見る限り、特にそう言ったものが好きというわけではなさそうだ。
おそらく単純に仕事として割り切ってやってくれているのだろう、それでも真面目な彼の働きぶりには十分感謝している。
「カイン様もどうぞ、美味しいですよ」
そう言いながら、ウィロットはトンと机の上に小ぶりな陶器の壺を置いた。
開けられた蓋から甘い匂いが漂ってくる。
「あれ?」
その時ふと、壺の横に刻まれた印が目に入った。
それはつい先程、何処かで見たようなものだった。