兄と弟(下) Ⅰ
それから僅かな時を経て、奥の書庫には俺、エナ、ノキアの3人が揃うことになる。
この3人が集まるのはどれくらいぶりだろうか?他者を交えずに純粋な3人のみという意味では、間違いなく初めてのことだろう。
エナは柱の前に立つと、躊躇することなくそれに手を伸ばした。
「なるほど、確かに手でなぞってみると手触りが違うな。ここから下が金属で……、ここから上が石造りになっている。触れれば一目瞭然なのに、気づかないものだな」
「あえて柱に触れるなど、余程のことがなければないでしょうから」
「確かに……。ふむ、何か彫られているというのはわかるが……。ここに龍の浮き彫りがあるということだな?」
「はい、エナお兄様。あの、お兄様にはどのように見えているのですか?」
「どのようにもなにも、他の柱と全く変わりはない。今まさに触っていても、信じられないくらいだ」
そう言いながら、エナは柱の石の部分と金属の部分を交互にさわる。
「……で、ユケイはこれに気づいていながらノキアに手柄を譲ろうと、黙っていたということか?」
「い、いえ、けっしてそういうことではないのですが……」
ノキアにはもう先に部屋に入ったと言ってしまった。つまり、俺がすでにこれを発見していたことはバレてしまっている。
これに関しては俺が勝手にやったことで、ノキアが責められることではない。しかし、ノキアは一体それをどのように解釈したのだろうか。
「まあよい。何かこれを見る方法はないか?」
「そうですね……。例えば、レリーフの上からわたしがインクで絵を書いてみるとか?」
「それは……。それで見えるようになるのか?」
「それはやってみないと分からないですけど……」
「幻術がかかっているなら、それでも見えないという可能性もあると思うが……。ユケイは絵心はあるのか?」
「いえ、全くありませんが」
「……代々残された王家のレリーフに落書きをするのは気が引ける」
落書きとはひどい言い草だ。
「あっ、ではこれはいかがでしょう?」
俺はポケットからコンパスを取り出す。
「それはなんだ?」
「これはコンパスと言いまして、この中の赤い針が常に北を指すように作られている道具です」
「ふむ。それで?」
とりあえずここまではノキアと同じ反応だ。
「あとは、近くに鉄があると、それに向けて針が動くようになってます。くっつけるくらいの距離じゃないといけないんですけど」
「つまり?」
「ここは石で作られた龍のレリーフですが、エナ様にもノキア様にも石に見えてますね?」
「うむ」
俺はそっと龍のレリーフにコンパスを近づけるが、針に動きは無い。
次に、俺は柱の四隅を指さす。
「ここはわたしには鉄の柱が埋まっているように見えますが、どう見えますか?」
「そこも全て石で組んであるように見える」
今度はコンパスを、そっと柱の角に近づける。すると、コンパスの針は音もなく動き、柱の角を指し示した。
「……なるほど。素晴らしいな」
次に俺は、金属の箱の前に立つ。
「ここには金属の扉があります。触っていただければ金属の感触があると思いますが、恐らくこの金属は『銀』です。銀にはコンパスは反応しませんので……」
俺はコンパスを近づけるが、やはり反応はない。
少し興味を持ったのか、エナはまじまじと針を覗き込んで頷いた。
「ふむ」
「そして、ここには鍵穴があります。鍵穴は強度が要りますので、おそらく鉄で作られているでしょう……」
コンパスを鍵穴に近づけると、針はスッと動き鍵穴を指した。
「なるほど。俺にはただの石の壁にしかみえないが、実際には浮き彫りで、ここは鉄で、ここは銀で、ここが鍵穴だということだな?」
「はい、そのとおりです」
エナはそれぞれの手触りを確かめながらそう言った。
「で、その鍵穴に合う鍵というのは?」
「それはまだわかりません。この書庫と同じように鍵の組み合わせで開くのか、また別の鍵がいるのか……」
「ふむ……」
「とりあえず鍵を入れて回してみるということも考えましたが、何か仕掛けがあるかも知れないと思うと……」
「確かに」
エナは顎に手を当てて、何かを考え込んでいる様子だ。
そんな中、ノキアがひょいと顔を出して俺に尋ねた。
「ユケイ、そのコンパスという奴を少し借りていいかい?」
「はい、ノキアお兄様。もちろんです」
俺はコンパスをノキアに手渡す。
彼は受け取ったそれを柱に近づけたり遠ざけたり、くるくると回してみたり、色々と弄び始める。
「あの、この書庫の鍵の順番を示す言葉、『王家の血で門は開く』みたいな言葉はほかにありませんか?それがもしかしたら鍵のヒントになっているかもしれません」
「それは以前ユケイに伝えたとおりだ。アルナーグの秘宝は4匹の龍に守られている。『四龍の加護により扉は開く』」
「四龍の加護……。父王様は何かご存知ではないでしょうか?」
「……これはわざわざお父様の手を煩わせることではない」
エナは少し、ぶっきらぼうに言い放つ。
それはいったいどういう意味だろうか?
「ユケイ、ちょっといいかい?」
「あ、はい」
会話に割り込むように、ノキアに声をかけられた。
「この龍のレリーフというのは全て同じ形なのかい?」
「いいえ、全て別の形をしています」
「そうか……。どれがどの龍か、見分けはつきそう?」
伝承の龍の亡骸から産まれたとされる4匹の龍にはそれぞれ「王龍」、「翼龍」、「炎龍」、「氷龍」と呼ばれており、見分けとは浮き彫りのどの龍がその龍か見分けがつくかということだろう。
「わたしは龍がどの様なものか見たことありませんので……。強いて言うなら、この正面から左側の龍が「翼龍」でしょうか?一番大きな翼を持っていますので」
「……そうか。あともう一つ。ちょっとこっちに来てもらっていいかい?」
「はい」
俺はノキアに言われるまま柱の反対側に向かい、エナも同じようについてきた。
「ここさ、コンパスが反応するんだけど何かあるの?」
ノキアは浮き彫りの一角にコンパスを当て、それを近づけたり離したりして見せた。そこは一見何もないように見えるが、確かに針は一点に向けて反応している。
「え?……本当だ。けどここには何もないように見えますけど……」
そう言いながら針が指す先を軽くひっかいた時である。
「あっ!」
指先が石をひっかき、ポロリとその部分が崩れてしまったのである。いや、そこに詰めてあったものが外れたといった方が正しい。
そして、その奥から出てきたものは……
「鍵穴だ……!」
そこには確かに鍵穴が現れ、一見すると例の4つの鍵がちょうど入りそうな形をしている。
「ノキア、どうやってこれを?」
「いえ、たまたまいろいろなところを調べていたら……」
「では、もしかしたら他の所も……!」
他の面もコンパスで調べた結果、全ての龍のレリーフに鍵穴が隠されているということが分かった。
それぞれの面に隠されていた鍵穴の蓋は、どれもが巧妙に装飾に紛れており、おそらく金属に反応するコンパスがなければ見つけることはできなかっただろう。
この銀の扉の仕掛けは、奥の書庫と同様に4本の鍵を特定の順番に回すものだと思っていた。
しかし、鍵穴がさらに4つ増えたのであれば、別の可能性も出てくる。
「ユケイはこれをどう考える?」
エナが俺に向かって尋ねる。
「は、はい。予想なのですが、周りの龍のレリーフの鍵を回してから、中央の銀の扉を回すといった方法も考えられるかも知れません。そちらの方が、言い伝えの謎かけにも近いかも知れません」
「ノキアはどう思う?」
「……そうですね。ユケイの言う方法が理にかなっていると思います」
「よい。では試しにやってみるか?」
エナの提案に、俺とノキアは顔を見合わせ、ノキアが慌てて止めに入る。
「お兄様、それは止めた方がいいと思います。4匹の龍は宝を護る。つまり、手順を間違えることによって何かの罠が働く可能性も考えられます」
エナは俺の方を見る。
「はい、ノキアお兄様の言う通り、その可能性は十分にあると思います。もう少し情報を集め、検討してからの方がいいと思います」
エナはふむと小さく呟き腕を組むと、納得したと言わんばかりの表情を見せた。
「なるほど、確かにそのとおりだ。それでは引き続き2人はこの柱の調査を頼む」
「はい」
そう言うと、エナは足早に部屋を後にした。
エナが去った奥の書庫には、沈黙と微かな気まずい雰囲気だけが残った。