兄と弟(上) Ⅴ
龍の浮き彫りをそっとなぞると、指先に石の冷たい感触が伝わってくる。
浮き彫りは思ったほど凹凸が少なく、鮮やかな龍は彫りだけではなく表面の質感の加工により形取られていることがわかる。こういった類のものに詳しいわけではないが、相当な技術を持って作られたものだろう。
「……秘宝を守る4匹の龍って、どう考えてもこれのことじゃないのか?」
4体の龍と言われて思い浮かぶのは、神話に語り継がれる「伝承の龍」から産まれた4体の龍だろう。
そのうちの1体が、古い言葉で「九十九夜吹き続ける吹雪と溶けることない氷の化身」という意味を持つ氷龍、フラスエンデミルフェルマフロストミームである。その純白の龍は白龍山脈に住み、オルバート領に雪を降らせアルナーグの街に絶えず風を運ぶと言われている。
これがそれを表しているのかどうかは分からないが、それぞれの龍が首を下に向け、その下の扉の部分に視線を送っているように見える。
ちょうどその扉は、部屋に入って正面の側に位置している。取手のようなものはなく、その中央に塞がれた鍵穴……、ちょうどエナから預かった4本の鍵が入りそうなサイズの鍵穴があった。
おそらくこの鍵穴は、完全に閉じてあるのではなく鍵を差し込むと開くタイプだろう。
扉自体はそう大きなものではなく、この中に何かが入るとすれば、それは大きめの本が一冊、やっと入るくらいだろうか……。
その扉の部分をそっと指でなぞる。
金属であるのは間違いないが、意外とざらりとした感触が指に伝わる。
しかし、エナもノキアも過去にこの部屋に入ったことがあると言っていたのだ。特に、エナは4匹の龍が護るというヒントまで持っていながら、この状況に対して何もないなんてことを言うだろうか?
もしかしたらこの龍が守る扉はすでに開けられており、この中には止まぬ風に関するものは何も無かった。だから特に言及されなかった?
それも違和感を覚える。
これはどう考えても、「柱」という言葉だけで言い表せられるものではないのだ。
では何故だろうか?
おそらく答えは単純で、以前エナたちがこの奥の書庫に入った時、おそらくこの柱はこの状態ではなかったからだ。
ノキアの口ぶりでは、この書庫に入ったのはだいぶ昔のことのように感じる。
エナを図書室で見かけたこともなく、聞き及ぶ限り自ら図書室で何か調べ物をするような人物ではない。
つまり、彼等が以前ここに入った時は普通の柱がここにあり、それから今日までの間に何かの条件が満たされ、この状態の柱が現れたのではないだろうか。
その条件に思い当たるものはないが、エナを呼んできて、この状態を見せれば……いや、しかし……。
この依頼を俺が達成する意味はあるのだろうか?
達成することにより、当然エナからの評価は上がるだろう。しかし、評価が上がるということがそのまま俺のためになるとは限らない。風車の件で水利組合の長、バルハルクを陥れた時、一瞬ではあったがあの時、ノキアからの畏怖の視線を感じた。
確かにその結果この奥の書庫の鍵を預かることができたし、褒美も授かることになった。しかし、毎回その様な結末になるとは限らず、もしかしたら知らぬところで敵を作ることになりかねないのではないだろうか?
そもそもこの龍が見守る箱の中に「止まぬ風に関する書」があると決まったわけではないが、今日エナから依頼を受けて早速事態を進めるのは、なんとなくだが嫌な予感がする。
しかし見つけたものを黙っていては、それが発覚した場合、後日あらぬ疑いをかけられかねない。
「いっそのこと、この手柄を譲ってしまうか……」
例えば俺が止まぬ風の書を発見することによって母の里帰りが叶ったり、俺が賢者の塔へ行くことを許されたりするのなら話は別だ。
水利組合の件では、最終的に俺がノキアの手柄を奪ってしまう形になった。彼の行動は単純に街の人と国の未来のことを思ってこそであり、手柄や褒美のことなど考えていない。
しかし、本人の思いはどうあれ、ノキアにはエナの良き片腕でいて貰いたい。
何故なら、この国アルナーグの未来を前に進めるための両輪は、エナとノキアであるべきなのだ。
であれば俺は前に出ず、今回はノキアの手でこれを発見させた方が良いのではないだろうか。
「とりあえずこの扉を開けてみるか?まだ中に何があるかわからないし……」
俺は手に鍵の束を手に取る。しかし……
「あれ、まてよ?」
よく考えたら鍵穴はあるが鍵はどれなのだろう?
奥の書庫の扉と同様に中が覗けないタイプの鍵穴であることから、この4種類の鍵の束がその鍵である可能性は高い。であれば、その順番はどうなんだろうか?
書庫の扉を開くための鍵は4種類中二つを使い、回す回数は2回だった。しかし、この扉は何種類の鍵を使い、何回回すかももちろん分からない。
そもそもこの鍵を使うという確証もないのだ。やってみて駄目であればやり直せばいいというものだったらいいのだが、もしかしたらミスに対して何らかの仕組みが発動する可能性もなくはない。
「どうしよう?中身はわからないけど、とりあえずこの龍の浮き彫り(レリーフ)と扉は、お兄様に発見してもらおうかな」
それは大して難しくないはずだ。
ノキアと図書室で居合わせた時、書庫の鍵を持っているといえば彼は間違いなく書庫へ入ると言うはずだ。
彼も頻繁にここへ来ているのだから、そのチャンスはすぐにあるだろう。
その時、外から部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「ユケイ様、準備もありますのでそろそろお部屋にお戻り頂けますか?」
アセリアの声が外から投げかけられる。
突然の声に、心臓が口から飛び出しそうになる。
彼女は母シスターシャとの夕食の準備をしていたはずだが、俺の帰りが遅いから呼びに来たのだろうか。
気が付けば採光窓から投げかけられる光も大分赤みを帯びてきていた。
「あ、ああ。扉を開けるから少し離れていてくれないか?」
「はい。かしこまりました」
俺はもう一度龍の浮き彫りを目に焼き付けると、奥の書庫を後にした。
「ごめん、遅くなって」
アセリアはまじまじと俺の顔を覗き込む。
「……よっぽど書庫がお気に召したようですね」
「な、なんでそう思うの?」
「なんとなくですが、表情が楽しそうです」
「楽しそうか……。そりゃあ、一部屋分本が増えたわけだからね。それは楽しいよ」
「ふふふ、ユケイ様は相変わらずですね」
そうか、俺は楽しそうな表情をしていたのか……。
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