兄と弟(上) Ⅱ
「止まぬ風の加護というのはどの程度のものなのでしょうか?」
確かに潤沢な魔力を供給するという止まぬ風の加護があればより安全に討伐遠征を行えるのかもしれない。その効果はアルナーグの城壁の中までしか効果がないというが、それによってどんな効果が得られるのだろうか。
「うむ。例えばゴブリンを足止めする程度の『衝撃』の魔法も、加護があればその場から突き飛ばすほどの力を持つ。矢を逸らすことができる『風の守り』は、より重い投石や石弓にも十分な効果を発揮するだろう。何より、止まぬ風の中では魔法を使うものは力の消耗が抑えられ、より多くの魔法を扱うことができる」
「なるほど……」
エナの説明ではいまいち地味にも感じられるが、例えば攻撃・守備ともに3割程の能力強化、魔力消費半分の効果程度だとしても集団戦であればその効果が凄まじいことは解る。
前世のゲームに当てはめてみれば、必須といってもいいレベルだろう。
それがあれば、討伐遠征の大きな助けになることは間違いないだろう。
しかしである……。
「あの、ご存じの通りわたしは魔力を見ることができません……」
「わかっている。その止まぬ風自体をどうこうというわけではない。この城のどこかに止まぬ風の奇跡に関することを記した書があるという。それを探して欲しいのだ」
その言葉を聞いて、心がザワッと動くのを感じる。
本を一冊探す……、いや、書というだけではそれが本の形をとっているかどうかは分からないが、それを探すということであれば俺にも出来るかもしれない。
この世界における国家の礎を記した、御伽噺のような「古の龍の物語」。
「止まぬ風」
それはその中に出てくる、この世界に授けられたといわれる7つの奇跡の一つ。
俺は7つの奇跡その全てが魔法に強くかかわり、魔力の根源に近いものではないかとすら予測している。
この風の国アルナーグに止まぬ風の奇跡が授けられていることはもちろん知っていた。そして、それがどのような効果を及ぼすのかも、なんとなくではあるが知っている。しかし、それがどのような形状のものなのかは一切謎のままだ。
エナも知らないということは、おそらくそれを知るのは現在の国王、オダウ・アルナーグただ1人なのだろう。
それを記した書を探せということは、もしかしたらその中身を見れるかもしれないのだ。
それは俺が、魔力の目を手に入れるための手助けになるかも知れない。
しかし、この申し出はかなり不自然だ。
王家の中心からより遠い俺に探せとは、いったいどういうことだ?
そして、当然1つの疑問が湧き起こる。
「あの、それは父王様に伺うのがよろしいのではないでしょうか……」
そう、父が知るなら父に聞けばよいのだ。俺と父は限りなく疎遠ではあるが、兄達は違うはずである。
「もっともだ。しかし、父ですらその場所は知らないという……」
「父王様もご存じではないのですか?」
であれば、この国内でそれを知る人は誰もいないということになるのではないだろうか?
技術と同じように、長い歴史の中で伝承が失われるということは無い話ではない。
止まぬ風の影響がどの程度なのか俺には予測も出来ないが、それを解析し広い範囲で活用できるのであればたしかに討伐遠征には大きな力となるのだろう。
エナの言うことは解る。
わかるのだが、微かに何か違和感がある。
「何か言いたいことがありそうな顔だな?」
「いえ、そういうことではないのですが、図書室の『奥の書庫』に止まぬ風の書物があるという噂を聞いたことがあるのですが……」
「そこにあるのならユケイに頼んだりはしないだろう……」
エナはやれやれと言わんばかりの首を振った。
まあ、それはそうだ。しかし、あそこには極限られた人しか入室が許されていないという。であれば、そこに何かのヒントがあってもおかしくない。
「これを持っていけ」
そう言うとエナは、黒ずんだ鉄の輪に四つの鍵が付いた束を机の上にそっと置いた。
鍵はそれぞれ色付けられた別モチーフの飾りがついており、王冠、門、羽、そして丸の中に中心を通る3本直線の飾りは車輪だろうか?
鍵はかなり年代物のように見えるが、サビは浮いておらず鈍い光沢を放っていた。
「これは……」
「ああ、奥の書庫への鍵だ。しかしあそこへは王家の人間しか入れてはいけない。それを決して忘れないようにしろ」
「えっ!?そ、それではわたしがこれを預かるわけにはいきません!」
「何を寝ぼけたことを言っているんだ?お前も王子だろうが……」
「えっ!?そ、それは……、そうですが……」
エナは今日何度目かのため息をこぼす。
「ユケイは本当に賢いのか、疑いたくなるな……」
確かに彼の言う通りなのだが、正直エナの中で曰く付きの第三王子である俺が王家の人間にカウントされているとは思っていなかった。
「その中の王冠の鍵を挿して1回転回し、抜いてから門の鍵を挿し回せば奥の書庫の扉は開く」
「そんな仕掛けがあるのですね……。残りの鍵はなんですか?」
「使うのはその二つだけだ。残りは偽装だろう」
「偽装……。なるほど」
扉はただ鍵を挿せば開くというものでは無く、特定の鍵の組み合わせを正解しないと開かないという仕掛けがしてあるらしい。であればダミーの鍵が含まれていた方が、たしかにその警戒度は上がる。
それなりの警戒が施されているところを見ると、やはりあの中には貴重なものが収められているということだろう。
以前ノキアが入った時の話によると、室内はそう広くないということらしいが。
確か中央に柱があり、壁沿いに本棚があると言っていただろうか。
「他に何かヒントになるようなことはありませんか?」
「ああ。関係あるかどうかは分からないが、『アルナーグの秘宝は4体の龍に守られている』と、聞いたことがある」
「……それだけですか?」
「そうだ」
「なるほど……。それでは龍に護られているのが止まぬ風なのか探している『書』なのか分かりませんね」
「その通りだ。まあ、長年探しているものがそうやすやすと見つかるとも思っていない。しかし、一度探してみてくれ。鍵はしばらく持っていてもいいが、必要ないと思えばすぐに持ってくるように」
「はい、畏まりました」
「よい。では行くがいい。報告は速やかに。あと、褒美の件は明日の今時までには決めるように」
用件が済むやいなやエナはすぐさま俺たちに退室を命じ、彼自身も早速執務机に戻りなにやら書き物を始める。
よほど忙しいのだろう、王としての仕事を既に始めているという話を聞いたことがあるが、その噂はおそらく間違いではないようだ。
であれば、次期国王である王太子の座は、エナに決まっていると思っていいだろう。
しかし、俺はそれでいいと思う。
幼い弟と妹を除き、エナ、ノキア、そしてついでに俺を含めたとして、最も王の器を持つのは間違いなくエナだろう。
俺たちが並んで部屋を出ると、アゼルが早速口を開いた。
「ユケイ様……。はっきり言って肝を冷やしましたぞ!エナ様がユケイ様にお優しいから助かったようなものです」
「肝を冷やしたって、どれのこと?」
「そ、それは……。シスターシャ様の件です」
口籠る様子を見るとおそらくアゼルは全部と言いたいのだろう。それでも一つに絞るということは、シスターシャの里帰りはよっぽどタブーだったらしい。
そんなことより、俺はあの兄の態度が優しいと評されることが意外であり、兄が俺に優しかったとことがさらに意外であった。
なんとなく世間知らずだから許されたのではないかと思わなくもないが。
普段の兄を知らないから、それがどの程度のものなのかは理解できないが、アゼルの話が本当なら俺は思ったより嫌われていないのかもしれない。