水車と風車 Ⅶ
不意に風車小屋の扉が開く音がする。
アゼルをはじめ警護の者が一斉にそちらを見ると、中に入ってきたのはカインだった。
彼は一斉に集まった視線にビクッと体を硬直させるが、「ゴホン」と白々しく咳払いをする。
おそらく先ほど風車に入る前に頼んだことに対しての結果を持ち帰ったのだろう。
彼は真っ直ぐ俺の元まで来ると、小さく一言耳打ちをした。
「ノキア様、わたしたちがここにきてどれくらい経ちますか?」
「ああ、半刻半ほどだろうか?」
「半刻半……。あの、帰りはまわりの地形を見て回りたいので少し歩いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん」
俺は粉挽き達との会話を切り上げと、今一度風車内をぐるりと見渡す。
建物の内部は補強に多くの柱が走っているが、それ以外は意外と伽藍堂で、多くのものを収納する空間があることを確認する。
「お兄様、そろそろお城へ戻りましょう」
「ああ。ユケイ、どうだろうか?何か名案は浮かびそうか?」
「もちろんです、任せて下さい!」
「ほ、本当なのか?」
「はい」
ノキアは怪訝な表情を露わにするが、ふっと軽く息を吐き出すといつも通りの笑顔を浮かべた。
「覚えていないだろうが、ユケイがまだ言葉も話せない頃、なぜか君はエナお兄様に懐かなくてね。ずっと僕の後を追い回していたんだ」
「えっと、覚えてはいないですけどお母様からノキアお兄様にくっついて離れなかったと聞いています」
覚えていないと言ったが、実際ははっきりと覚えている。当時自分の立場が危ういと感じた俺は、ノキアに気に入られることで身を守ろうとしていたのだ。
どうやらそれは成功していたらしい。
「僕もユケイが初めての弟でね。僕の後をずっと付いてくる君が可愛くてしょうがなかった。けど、いつのまにか立派な知識と知恵をつけて……。兄として誇らしいよ」
「お兄様……」
風車を出ると先ほどまで緑に染まっていた小麦畑が、夕陽に照らされその穂が金色に染められていく。
一瞬金色の海に投げ出されたのではないかと錯覚を覚える。
見渡す限りの小麦の穂を、夏を迎える風が一斉に揺らしていく。その様はまるで、幾重にも重なる波のようであった。
前世の日本では、主要な穀物は当然米であり、その収穫時期は秋だ。
この世界では小麦が主流で、それの収穫は夏になる。
アルナーグの主要産業の一つでもある小麦、それはもちろん収穫した後に乾燥し、脱穀し、さまざまな工程を経て製粉しなければ消費することはできない。その全てに動力は必要なのだ。今まさに俺たちは、小麦畑に走る波に翻弄されているのではないだろうか。
「ユケイ様……」
カインが俺に近づき、そっと耳打ちをする。カインの視線を追うと、その先には農夫の子だろうか、麦の束を抱えた少女がこちらの様子を窺っていた。
俺たちの視線に気づいた彼女はびくりと肩を震わせるが、意を決したように小走りでこちらへ走ってくる。
警護の者たちが少女の前に立ちはだかろうとするが、その動きをノキアが制する。
少女は俺たちの前にたどり着くと、しばらくそのままの姿勢で弾んだ息を整え、両膝をついてしっかりとした口ぶりで尋ねた。
「あ、あの、王子様、失礼します!風車はいつできるのでしょうか?風車ができれば粉ひきも脱穀も安くできるって、水車に並ばなくても大丈夫になるって聞きました!」
「そ、それは……」
「王子様、風車はわたしたちも使えるのでしょうか?」
返事を返せずにいるノキアに代わり、俺が少女の前にしゃがんで答えた。
「キミはこの近くの娘かい?」
「え?は……、はい……」
俺の問いに少女は微かに口籠る。
「風車は来週には動くから安心しなさい。水車の倍の速さで粉ひきができるから並ばなくてもすぐに作業がしてもらえるし、値段も水車の半分ですむ。今はまだ一つしかないけど、これからどんどん風車を作っていくからキミたちの仕事も楽になるよ」
「は、はい。わかりました」
少女は我々にぺこりと頭を下げると、来た道を何度も振り返りながら走っていった。
「ユケイ、あんなことを言って良かったのか?」
「まあ、それは置いておいて……」
「置いておいてってそんな……」
「お兄様、これから少し忙しくなりますがよろしいですか?もう1人どうしても力を借りなければいけない人がいます」
「忙しいのは構わないが、力を借りるっていったい誰の?」
「まあ、それは馬車で城に戻ってからゆっくりお話ししましょう」
それからしばらく、風車に多くの荷車が様々な材料を運び込む姿が見られたという。
初日には多くの注目を集めて人だかりができてしまい、次の日からはそれを追い払う兵の姿も見えたが、3日目には皆興味を失ったようだ。
そして5日目。鍛冶屋から注文の品を受け取った俺は再び風車を訪れ、その4日後である。
その日は朝から心地よい風が吹いており、大きく実った小麦の穂が楽し気に頭を揺らしている。
朝食後俺がノキアたちと連れ立って風車へたどり着くと、それは今までにないほどの豪快な音をたてながら、力強く帆に風を受けて回っていたのである。
「誰かお客さんは来たかい?」
俺は風車に入ると、中にいる粉ひき2人に声をかけた。
「いえ、まだ誰も……」
2人は不安そうに顔を見合わせると、そう答えた。
「まあ、それは仕方がないね。風車がもう営業しているなんてどこにも告知しないから」
「それはそうかもしれませんが……。告知はした方がいいのでしょうか?」
「いや、まだそれは必要ないよ。呼ばなくても多分、最初のお客さんがもうすぐ来ると思うから」
俺がそう言い切るのとほぼ同時に、扉の外から来訪者を告げる鐘が鳴らされた。
風車の外へ出てみると、そこには先日風車の前で声をかけてきた少女が、両手で籠を抱え、それに製粉まえの小麦をたっぷりと詰めて現れた。
「さっそく来てくれたんだね」
俺とノキアは、そろって彼女を迎えた。
「あの、もう粉ひきはやっているのでしょうか?」
「もちろん。風車は元気に回っているだろう?」
「はい。ではこれだけお願いします」
粉ひきはそれを彼女から受け取る。
「あの、王子様。風車の中を見せてもらうことはできますか?」
「まだ仕組みは秘密だから、麦はここで預かっていくよ。だいたい半刻でできるから、それくらいに取りに来ておくれ」
「はい……。あの、半刻でいいんですか?いつもだと1刻はかかります」
「半刻でいいよ。水車より風車の方が早いからね。値段も約束通り水車の半分でいい」
少女は引き換えの札を受け取ると、ぺこりと頭を下げてその場を後にした。
「お兄様、良かったですね!最初のお客です!」
「いや、それはそうだが……」
ノキアの顔は沈んだままだ。
半刻後に少女は製粉された小麦を取りに現れ、結局その日は訪れる客はいるものの客足はまばらだった。次の日も風車は回り続け、客は並ぶほどではないものの途絶えることもなく、そして三日目も風車は止まらずに回り、客は大きな行列を作ることとなった。