水車と風車 Ⅵ
広げられた羊皮紙を親方は、穴が開きそうな視線で睨みつける。
その表情には鬼気迫るものを感じるほどだった。
「これは……、なるほど。しかし仕様書通りに作りますと、先程のコマと比べてかなり大きいようですが?」
「ええ、今回は大きいものに使いますのでこれで間違いありません」
「大きい物……。それはもしかして……」
親方の探るような視線を、アゼルが文字通り立ち塞がり拒んだ。
「親方殿、言うまでもないが秘密は当然守ってもらう。口に出せぬことなら、そもそも知らぬ方が其方らのためだろう」
「は、はい、騎士殿。おっしゃる通りです」
突然凄んだ声で割って入ったアゼルに、親方の額に汗が滲む。
「で、これを5日で仕上げて頂きたいのだが如何だろうか?」
「5日……。正直他の依頼もありますので非常に厳しい期限ではありますが、お任せください。必ず仕上げてみせます」
口ぶりは厳しそうだが、瞳の奥には何らかの思いから垣間見える光を感じる。
それは新たな仕事口を手に入れたことが理由か、それとも依頼された部品から技術の解明を企んでいるのか、それともさらに別の理由があるのか、どれに起因するのかは分からないが。
「もちろん今回の依頼は他言無用だ。技術に関しても、誰からの依頼かも、その一切を明かさないと約束してもらう」
「それはもちろんです」
「では後ほど公証人と契約者を寄越す。対応するように」
「はい……」
アゼルの言葉に、親方は深々と頭を下げた。
それからしばらく部品についてのさらに細かい仕様の説明をおこなった。俺は単純な興味でしばらく工房を見学させてもらったのだが、ノキアはあまり興味は無いらしい。
そして俺たちは鍛冶屋を後にした。
「ユケイ、本当にあの鍛冶屋に依頼して良かったのか?確かにあそこは職人街の鍛冶の中で一番技術があるかもしれないが、事前に伝えてある通り水車の部品も多く取り扱っている。万が一技術が漏れて水車の軸受けに使われてしまったら……」
「お兄様、ご安心下さい。あの仕様書だけでハンドスピナーを再現することは、絶対にできませんから」
「そ、そうだろうか……?」
「ええ、間違いありませんとも。さあ、次は風車へ向かいましょう!」
そうは言っても、ノキアは不安そうな表情を浮かべたままだ。まあ、彼の心配ももっともなのだが。
ここから風車までの移動は、距離が少しあるので馬車を使うことになる。
馬車を使うのは初めてではないが、実際に使ってみると、その乗り心地の悪さ、不便さに辟易してしまう。
ゴムタイヤがまだ発明されていないので路面の凹凸はそのまま伝わってくるし、振動で車軸がすぐに傷んでしまうので完全に舗装された街道や街中でしか使えない。車内で話をしようなどとしたら、あっという間に舌を噛んで後悔することになるだろう。しかも、その歩みが思うほど早くない。当然歩くよりは速いのだが、それでもわずかに速いくらいの速度しか出ず、荷を引かせればわずかな距離で馬はばててしまう。
昔の日本では、貴族の移動に馬車ではなく牛車が使われていた。牛は馬に比べて足は遅いが、より力と体力があるために街中の移動は間違いなくその方が効率的だろう。
俺たちは四半刻ほど馬車に揺られ、風車の元へとたどり着いた。
城壁を出てわずかな距離にあるそれは、石を積んだ土台の上に赤茶色のレンガで塔が組まれており、物珍しさからか一瞬観光地に来たのかと錯覚する。
比較的気候が涼しいこのアルナーグでは、生産されている小麦のほとんどが秋播き小麦で、辺り一面は青々とした穂をつけた小麦が実っていた。
微かに吹く心地よい風が、豊かに実る小麦畑に白い波を作っていく。しかしその風を受けても、とうの風車の羽は動く気配を全く見せていなかった。
「なるほど、動いていませんね……」
「ああ、とりあえず中に入ろうか」
「あ、その前に……、カインちょっと頼みたいことがある」
「はい、何でしょうか?」
俺は小さな声でカインに耳打ちをする。
彼はその頼みに微かに難色を示したが、最終的に納得してくれたらしく風車の外へ足を向けた。
風車の中は新しいのもあって、とても整理されているように見える。
話によると今現在は粉ひきの仕事は受けていないらしい。
水車小屋に比べると室内も広く、2基の石臼に6基の杵が動く仕組みになっているようだ。ちょうど先日見た水車の倍の数になる。
中には2名の粉ひきが働いており、1人は風車の機関部に登り風を受ける角度の調整を行っており、残りは片づけをしつつも仕事自体が無いらしく、手持ち無沙汰のようだ。
「ユケイ、どうだろうか?」
「そうですね……」
俺はぐるりと風車内を見渡す。
まずこのような動くはずのものが動かないというケースでは、部品の精度と組付けの精度が問題にあげられる。同じ図面によって作られた物でも、部品が丁寧に作られているか、そして丁寧に組まれているかでその動きに大きな差が出る。
その点この風車は、大まかに見る限り軸の切り出し方や歯車の出来も、とても丁寧に仕事がされているように見える。
「ユケイ王子、失礼いたします……」
粉ひきの1人が深々と頭を下げ、機構の説明を買って出てくれた。どうやら彼は風車の作成時からここに携わっており、粉ひきをしつつ簡単な整備も行ってくれているらしい。
俺は彼に説明を受けながら、何個か質問を向ける。
「この石臼と杵は個別に動かすことはできるの?」
「はい。それぞれ主軸から取り外すことができます」
「なるほど。例えば石臼一つだけつないだ場合、風車は動く?」
「そうですね、今くらいの風が吹いていれば、石臼一つでしたら十分に動くと思います」
「じゃあ……。全ての石臼と杵を同時に外すこともできるよね?」
「は、はい。それはもちろんできますが……。しかし全ての臼と杵を外してしまったら、それはただ羽が回るだけの風車です……」
とりあえず、話を聞く限り現状のままではよほどの風が吹かなければ全ての石臼と杵が稼働することは難しいだろう。風車自体に問題が見られないのであれば、それはもちろん風力が足りないという結論になる。
建設費や粉ひき達に払う給金、そして考える価格設定を加味すると、現状では採算が取れていないのは火を見るより明らかだ。
とりあえず考えられる解決方法はいくつかあるが、俺にとっての解決とノキアにとっての解決が一致しているとは限らない。そこを擦り合わせることは非常に重要だ。
「お兄様、例えば石臼と杵の数を半分に減らして稼働するというのはどうでしょうか?」
「ユケイ、それでは意味がない。稼働を半分にすれば、単純に計算しても市民からは倍の利用料を取らなければ風車を維持できない」
「意味?」
「ああ。水車より安く値段を設定し、それによって水車の利用料金が下がらねばいけない。お互いが競争することにより、水車も風車も客を取り合うような状況を作って、やっと水車の数も増えるのだ」
ノキアの言うことは正しい。そして、彼は優しい。彼の視線は、この街に暮らす民の方へ真っ直ぐ向いているようだ。
「つまり、最終的に粉挽きの料金が下がり、水車の前にずらっと列が並んでいるような状態がなくなればそれでいいという意味ですか?」
「そうだ。バルハルクから利益を取り上げたいわけではない。彼も商人だからな。ただ水車の数が増え、その恩恵を市民に安く手軽に受けてもらえればそれで良い」
産業が発展するには、何をおいても「動力」が必要だ。
俺が産まれるさらに数十年前、この世界の指導者達は「奴隷」という動力を手放した。
「奴隷制度の終焉」である。
奴隷という動力を失った結果、それと代わって主流になったのが水車という動力だ。
現在アルナーグではその水車が生活のために全て消費されているが、その動力が余ってこそ他の技術に使われるようになり、産業が発展するのだ。一部の狭量な者が金儲けのためにそれを絞っていては、国やそこに暮らす市民の未来を閉ざしていることに等しい。
しかしである。だからといって、風車で水車の代わりをすることは難しい。
たとえ軸受けを全てハンドスピナーにつかわれている玉軸受けに取り換えたくても、今の技術で鉄製の巨大な玉軸受けを作るには非常に高い技術がいり、それを作れたとしても手に入る素材では強度不足で長くは持たないだろう。
その結果部品の交換が頻繁になり、それは全てランニングコストとして利用者に負担してもらうことになる。
結果、風車は水車を脅かすほどの値下げは出来ないのだ。
産業の発展のために風車を国費で赤字運営するという方法もあるが、それでは風車の数を増やすほど赤字が拡大することになる。そうなれば風車を建設する数に制限が産まれてしまうのだ。
国家として水利組合の権利を強制的に取り上げることも考えられるが、それは宗主国であるヴィンストラルドの庇護があるために慎重に進める必要がある。国対国の外交に打って出ればこちらの大きな弱みを晒すことになり、藪をつついて蛇を出す結果になる可能性が高い。
ノキアが私利私欲のために動いているのではないということは良く分かった。
結論、解決する方法は2つしかない。
1つは、水利組合が自主的に国の庇護に入ってくれること。
そしてもう1つ。それは、安くて丈夫で効率的な風車を作る。
はたしてそれらは可能なのだろうか?