水車と風車 Ⅲ
「ユケイ様、ノキア様がお見えです」
「あ、ああ……」
アゼルの声に考えが中断される。
「お兄様、よくお越しくださいました。どうぞお入りください」
俺の声に導かれてノキアとその守護騎士、そして茶器などを抱えたメイドが2人工房内へ入ってきた。
守護騎士は不満そうに室内を見まわし、その視線をアゼルが挑発するように受け止める。メイドたちは深く頭を下げると、こちらのメイドとお茶の段取りを始めていた。
この守護騎士の顔には記憶がない。恐らく初めてここを訪れた者だろう。
ノキアの手には一冊の本と、丸められた大きめの羊皮紙が握られていた。
「すまないね、邪魔をして。今は何を作っているんだい?」
「あ、はい。えっと、何と言いますか『おもちゃ』みたいなものです」
「『おもちゃ』?それはいったい何だい?」
「えっと、少し説明が難しいのですが、『手回しコマ』というのですが」
「コマ?それはいいね」
ノキアは小さく微笑みながら答えるが、コマには興味は無さそうだ。
「ああ、そうだ。届いた例のメープルシロップだっけ?あれもすごく美味しいね。ユケイがいると食事が華やかになるね。エナお兄様も高く評価していたよ……」
そう言いながらも、ノキアの表情には何か微妙な雰囲気を感じ取る。
メープルシロップはまだ活用方法が少なく、生産量も安定していないため大きな産業にはなっていないが、アルナーグ近郊ではなかなか好評らしい。砂糖と比べるとどうしても味に癖があるから直接の代用品にはならない。しかし首都から生産地が近いため比較的安価に手に入ることもあり、庶民の甘味としてじわじわと広がりつつあった。
「次に何かを作る時は必ず周りに相談するようにね。もちろん僕でもいい」
「あ、はい……。申し訳ありません」
実はメープルシロップの製造販売に関して、俺が一切の権利を主張しなかったことに対してほどほどの問題になったのだが、まあその件はもう解決したからいいだろう。
「で、ユケイに少し相談したいことがあるんだ。キミの大好きなパンケーキにも関係する話だ」
いつから俺はパンケーキが大好きになったのだろう?ちらりと頭にそんな言葉が過るが、口に出すのはやめておこう。
そんなことを言いながら、ノキアは工房の大きな机の上に持ってきた羊皮紙を広げた。
それは何か建物の設計図のようなもので、当の断面図に中に歯車や何らかの装置の説明が書かれていた。そしてひときわ目を引くのは大きな翼のような部品……。
「これは……、風車ですか?」
「ああ、その通り。実物は見たかい?」
「はい、遠くからですが。先日久しぶりに外出した時、風車が作られていたので驚きました」
「そう、その通りだよ。ちなみにその時、風車の翼は動いていたかい?」
「えっと……、記憶にありません」
「そうだろうね。動いていたら記憶にあっただろう……」
ノキアは目の前の風車の断面図に目を落としてそう言った。
なるほど、確かに彼の言う通り印象に残っていないということはそう言うことなのかもしれない。
「僕もさ、それなりに立場を固めなければいけないんだ。そのために貴族や街の商人に出資を募って風車を作った。水車の利用料は非常に高いから、貯えのない者の力になれればと思ってね。で、とりあえず設計図を取り寄せて一機作らせてみたんだが……」
「風車の動きがあまり良くない……ということですか?」
「ああ、そうなんだ」
「水車があるのになぜ風車なんですか?」
水車は人の生活に欠かすことは出来ない。前世でも10世紀の大都市では、人口250人につき1基必要とされていた。
「水車の数が足りていないんだよ」
「それは……。国から水車の数を増やすように言えないのですか?」
「もちろんそれは交渉している。しかし水車の補修や老朽化の建て替えのために労力がかかり、これ以上水車を増やすことはできないというのだ」
「あの、水車の使用はどこが権利を持っているのですか?」
「……ユケイは本当に賢いな。元々はアルナーグの貴族が管理する水利組合だったんだが、現在はヴィンストラルドの金がだいぶ入っていてね」
「地の国、ヴィンストラルドの……」
「最近はだいぶその横暴が目立つようになった。そもそも水車の数が足りていないように思える。どうやら水車の数を絞って、粉ひきの金額を釣り上げているらしいんだ」
電気動力や蒸気機関すらまだ存在しないこの世界において、水車というのは非常に重要な動力だ。
それに対して他国の資本が入っているというのは、到底健全だとは言えない。ノキアの話をまとめると、どうやら水利組合が宗主国ヴィンストラルドの資本を理由にアルナーグからの介入を拒み、利益を独占しようとしているように思える。
もしこの水利組合のバックにヴィンストラルドが付いていなければ、組合を一度解体するなり新しい水利組合を作るなりで解決できるのだが。そうはいかない所を見ると、その水利組合の組合長は相当のやり手なのだろう。今の状態は、国の血流を他国に握られているということに等しい。
であればそれに代わる風車という形で対抗馬を作り、市場原理を使って水車の利用料を下げようということだろう。
競争相手が生まれれば市場は活性化し、料金は下がる。その考え方は正しい。
しかしだ。
アルナーグは「風の国」という名が表す通り、氷の精霊の力を強く宿した白龍山脈から一年中豊かな風が吹き続ける。しかし、それは同じく白龍山脈から流れ続ける川の流れと比べれば安定したものではない。ある程度強い風が継続的に吹かなければ風車は動かないのだ。
風車といえば思い浮かぶのは前世のオランダだが、あれは海風を利用した干拓を目的とした排水に使われたものだ。
はたして山風を使って水車以上の効率を上げることができるのだろうか……。
「お力になれるか分かりませんが、とりあえず水車を見せてもらってもいいですか?」
「ああ、もちろ……。水車を?風車じゃなくって?」
「あ、はい。先ずは水車を見せて下さい」
俺の言葉にノエルは不可解な顔をするが、とりあえず了承する。
風車にどの程度の性能が必要かを知るために、水車の性能を知っておかなければいけないというのはある。しかし、それ以上に今回の件を解決するポイントは、やはり水車にあるような気がするのだ。
「ユケイ様、わたしも同行します」
「いや、カインは『コマ』の仕上げをしていてくれると助かるんだが……」
「いえ、わたしも興味がありますので」
「そう?そこまで言うなら……」
同行を申し出た青年は、俺が工房を与えられたのと同時に助手として配属になったカインだった。
彼は俺より2つ年上だが、科学的な物に対する好奇心は薄いと思っていたので、水車へ同行するという申し出は正直意外であった。
とりあえず城から最寄りの水車に向かうだけなのだが……。
俺にノキア、助手のカインと警護のアゼル、そしてさらにノキアの警護の者と文官数名に、そして水車を案内するために呼んだ者、さらにはどこの誰だかわからない者も加わって15名の一団となってしまった。
城からわずか数分の距離、安全な城下町とはいえ、王子が2人そろって出歩くとなるとこうなってしまうのだろう。
オルバート領でウィロットと二人いろいろな所を駆けまわったことが、いかに得難い体験だったのか今さらながら実感する。