青い炎 Ⅷ
「それじゃあ……、これが人魂の正体なんですね……」
「ああ。あのメイドの階段で人魂を見たという話、あれはきっと嘘だったんだろうけど、あの時俺が匂いはしなかったか?と、聞いてしまった。それであのメイドに、俺が人魂の正体に気づいたと思わせてしまったんだ」
「なるほど……」
「あの2人の目的はオルバート子爵を病死に見せかけて毒殺すること。けど、正体がバレそうになったから俺たちも殺そうと考えたのかもしれない……」
「しかし、なぜお父様が狙われたのですか!?」
ネヴィルの疑問はもっともだ。しかし、それは犯人が逃げてしまっている以上調べる方法はない。
「ネヴィル、オルバート子爵は良い領主だという話は聞いている。しかし人を治める以上、全ての人に等しく善人でいることなんてできない」
「そんな!お父様が人に恨まれるようなことをするはずありません!」
「そうだとしたら、その責任はネヴィルにあるかもしれない」
「わたしに……?」
「数日前のことなのにもう忘れたのかい?もしウィロットが砂糖を用意できずに彼女の家族が飢えるようになった時、その恨みは何処へ行く?」
「!!」
「確かにもともとは彼女の失敗が原因だ。それでも人によって課せられる死を受け入れることができる人間なんて、この世にはいないよ」
「……そ、それは」
しかし……。この封建社会真っ只中の世界で、怨みを晴らすために貴族を手にかけるなど、そんな発想を持つ平民がいるだろうか?
ピートたちの手口も不可解だ。2人は明らかに毒を使いこなしており、たまたま前世の知識を持つ俺がいなければ毒殺だということを見抜くことすらできなかっただろう。
彼らは半年ほど前に屋敷に来たと言っていた。
子爵の体調が悪化したのがここ一カ月ということを考えると、5ヶ月もの時間をかけメイドが信頼され、夜番を任されるようになってから計画を実行したということがわかる。
この時間のかけ方、慎重さを見ても、恐らくもっと大きな「何か」が動いているのではないだろうか?そもそもなぜ俺が子爵に預けられたのか?そこから考えても偶然ではないのではと思えてくる。
ふとネヴィルに目を向けると、眉間にぎゅっと力を入れてなにやら深く考え込んでいる様子だ。
しばらくすると、彼はばっとウィロットの方に詰め寄った。
「ウィロット、すまなかった……。ここでこんな風に謝罪をするなど、ほんとうに調子がいいと思われるかもしれないが、わたしは大きな勘違いをしていた」
「急にどうしたんですか?わたしはネヴィル様を毒殺なんてしませんよ?」
「い、いや、そういうことではない。わたしはお父様を尊敬している。けど、そんなお父様を何も見ていなかったようだ。本当に恥ずかしい……。父の後を立派に継げるよう努力すると約束する。数々の行いを許してほしい」
そういうと、ネヴィルは深々と頭を下げる。
そんな彼をアセリアは頼もしそうに見つめた。
そしてウィロットは、少し考えてからゆっくりとネヴィルに返事をする。
「そもそもわたしを買っていただけなければ、家族は冬を越すことができませんでした。お砂糖だって、駄目にしてしまったのはわたしですし……、たしかにお砂糖が足りないって言われたときは頭に来ましたけど、けどそのおかげでわたしはメープルシュガーで自分を買い戻すことができましたし、ユケイ様にその販売を認めていただいたのでこれから家族もきっとお金持ちになれます。なにより、その全てのおかげでわたしはユケイ様と会うことができました。だから、わたしはネヴィル様を全然恨んではいません。どうか頭をあげて下さい」
「ウィロット……」
良いことが不幸の入り口になることもあれば、悪いことが幸福の入り口になることもある。それはその通りではあるが、そう思えるためには過去の不幸を許せる強さと優しさを持ち得なければならない。
「だから、ネヴィル様もユケイ様を見習って立派な領主様になって下さい。本とかたくさん読むといいと思います」
「おほん……。ウィロット、ネヴィルのことは置いておいて、あなたはもう少し言葉使いをなんとかしなさい。今のままでは絶対にアルナーグのお城には入れてもらえませんよ?」
「ええっ!?」
アセリアの言葉にウィロットは目を白黒させる。
「ユケイ様、本をたくさん読めばユケイ様のような知識を身につけられるのでしょうか?ユケイ様やお父様を、わたしが越えられるとは思えません……」
ネヴィルの問いに、俺は深く考える。
俺の知識の多くは、前世からの持越しだ。だから、それだけで全てを賄えるというものでは決してない。しかし、本を読む、学ぶという行為自体が彼を育てるのは間違いないだろう。
「ネヴィル、俺を越えるなんて難しいことじゃない。……結局人間は生きている限り壁を越え続けるしかない。だから、諦めるしかないんだよ」
「諦める……ですか?」
「うん。壁をどんどん超えていくと、いつか絶対にとても越えられなさそうな壁に出会う。けどね、その時に壁から目を逸らしたって、逸らした先には別の壁があるんだ。だから結局、諦めて壁を登るしかない。壁を越えるのを諦めるんじゃなくって、壁から目を逸らすのを諦めるんだ」
「はい……」
「あとはどの壁を登るかを選ぶだけさ。その時、なるべくいい壁を選ぶために本を読んだり、勉強をしたりっていうのが役に立ってくるんだよ」
「なるほど……」
しかし、これは全くの嘘だ。
この世界では、産まれながらに登れる壁が決まっている人がほとんどなのだから。
農奴、平民、貴族、聖職者、俺に至っては「魔力の目」を持たない者、そして何より男女の性差、それぞれが登れる壁が決まっている。
そしてその壁の先は、絶望的な不自由と格差によって埋め尽くされている。
それでも俺やネヴィルはまだ選択肢がある方だろう。ウィロットや、貴族であるアセリアでさえ、自分が選ばされたと気づく前に壁を用意されるのだ。
しかし、それを彼らに打ち明けてもどうしようもない。
せめて選べる中で、よりよい道を選んでくれることを祈るしかないのだ。
ネヴィルは意外と良い指導者になるかも知れない。
しかしそんな思いも、俺が思う良い指導者がこの世界にとっての良い指導者とは限らないのだが……。
それから3ヶ月後。
山はすっかりと姿を変え、緑の葉や色とりどりの花、溢れる生命にすっかりと彩られた。
オルバート子爵は徐々に体調を回復させ、ネヴィルはその姿を図書室でよく見かけるようになる。
そして俺は、1年半ほど住処にした、このオルバート領を後にする日が来た。
「なんでわたしが連れてってもらえないんですか!!」
ウィロットの叫び声が響き渡る。
「どこの者とも分らぬ平民の女を城に連れて行けるわけが無いだろう!」
俺の守護騎士となる男、アゼルがかじりつくウィロットを放り投げる。
「わたしはユケイ様の専属メイドです!」
「そんなことは知らん!メイドなど城にいくらでもいるわ!」
「わたしはユケイ様に出されたお食事でしたら、いつでもどこでも全て一瞬で毒見できます!」
「そ、それは忠義なことだ……。だが、予定にない者を連れていくわけにはいかんのだ」
なおも食って掛かろうとするウィロットの首根っこを、アセリアが摘まみ上げる。
「いい加減にしなさい。駄目だといったでしょう?」
「アセリア様……。だって……、だって……!」
「わたしは何年後かにユケイ様にお仕えすることが決まっています。その時に必ず連れて行くと約束したでしょう?それまでにしっかりとお仕事と作法を身につけるのです。できていなければ連れて行きませんよ?」
「……はい」
今の俺には、少女一人に人生の選択肢を作ることすらできない。
「ウィロット、いろいろとありがとう……。待ってるから必ずアルナーグに来てくれ!」
「ユケイ様。これ、持ってて下さい」
「これは……」
そういって手渡されたのは、真っ赤に染まったイタヤカエデを象ったペンダントだった。俺も慌てて何か渡せるようなものを探すが、どれだけ体を探っても何も出てこない。
「ごめん、俺も何か……」
「何もいりません」
彼女はそういうと、両手で俺をぎゅっと抱きしめた。
温かい初夏の匂いが俺を包む。
「ユケイ様、どうかお体に気をつけて……。絶対に会いに行くから、わたしのこと忘れないでくださいね……」
こうして俺は、初めての友達としばらくの別れをすることとなったのだ。