青い炎 Ⅵ
不自然に劣化した銅製の祭器。
俺が倉庫で確認したかった物はこれだ。
先日、俺とビスが最後に行ったやり取り、ビスはあの時厨房から塩と酢を受け取っていながら、その処理はまだ行っていなかった。つまり、ビスが何者かに毒殺されたのはあれから間も無くだと思われる。
もしかしたら、あの時の俺とアセリアが、犯人を除いて生前のビスを見た最後の人物だったのかも知れない。
あの時、ビスは俺たちに何かを伝えようとしていた気がした。もしかしたらあの時点でビスは何かを知ってしまい、それを口封じする為に殺されたのではないだろうか……。
「銅の燭台か……」
それは三叉に分かれた燭台で、3本の蝋燭が乗せることができるような形をしている。
不意に手元の灯明の火が揺れる。
「……ウィロット、ちょっと見てくれ。この火、揺れてるよな?」
「……そうですか?よくわかりません」
おそらく魔法でつけられた光が明るすぎるため、蝋燭の炎が細かく見えないのだろう。
「あ、止まった……」
気のせいだったのだろうか?今は灯明の火はピタリと動きを止めている。
「あれ……?」
それだけのことなのだが、何故か違和感を覚える。そういえば、先ほどオルバート子爵の部屋でも数度蝋燭が揺れたのを見た。
俺は室内を見渡す。
倉庫には入り口の扉が一つあるだけで、窓などは全く作られていない。しかし蝋燭の炎が揺れているということは、どこかに空気が流れるだけの隙間があるということだろう。
そうだ、倉庫という部屋の特性を考えれば、空気が室内に留まったままになるのはあまり良くないのかも知れない。澱んだ空気は、倉庫に収められている物の腐敗を招くからだ。
「ネヴィル、この倉庫には換気口が何処かに作られているのか?」
「換気口ですか?すいません、あまりここに立ち入ることはないので……」
まあ確かにそうだろう。
倉庫など嫡男であるネヴィルがそうそうくる所ではない。
「換気口って、空気を入れ替える穴ってことですよね?」
ウィロットが呟く。
「ああ。そうだね」
「そんなのないんじゃないですか?」
「どうして?」
「だって……」
そう言いながら、彼女は倉庫内の一点を指差した。
そこには小さな小皿が置かれている。
「あれ、ずっと臭いです……」
彼女が指差した小皿、それはビスが厨房からもらった、酢が入った小皿であった。
確かにウィロットの言う通りだ。室内には微かな酢の匂いが漂っている。
では、なぜ先程は一瞬だけ灯明の火は揺れたのだろうか?
……そういえば、先ほど子爵の部屋を訪れた時も同じように灯明の火は揺れたような気がする。
その時は空気の入れ替えのために窓を一つ開けていたから不自然ではないのだが……。
「あれ……?」
いや、それはおかしい。なぜなら空気を入れ替えようとするなら、空気の入口と出口として窓は二つ開けなければいけないのだ。
しかし、あの時確かに窓は一つしか開いていなかったが、灯明の火は激しく揺れていたはずだ。
「ネヴィル、もしかしてこの部屋の真上って、子爵の部屋か?」
ネヴィルは少し考えると、首を縦に振った。
「えっと、確かにそうですね」
そうだ。子爵の部屋は二階の一番奥の部屋で、ここは一階の一番奥に位置する。
おそらくこの真上に先程まで俺たちがいた部屋があるのだろう。
何だろうか?何かがつながりそうな気がする……。
青い炎と錆びた銅の燭台、そして揺れる灯明の火。
「もしかして、部屋が繋がっている?」
もし上の子爵の部屋とこの部屋が何処かで繋がり、空気が流れていたらどうなるだろうか?
例えばこの倉庫に外に繋がる穴があった場合、上の部屋と繋がっていれば上の部屋の窓を一つ開けるだけで空気の通り道ができ、換気ができることになる。
子爵の部屋から帰る時、入り口の扉を開けた時に微かに灯明が揺れたのも同じ理由だろう。
先程一瞬だけ灯明の火が揺れたのは、もしかしたら上の部屋の扉が一瞬開いたのかも知れない。
……オルバート子爵の部屋の扉が一瞬開いた?
つまり、先程部屋から誰かが出たということだろうか?
……部屋から出たとしたら、それは誰が?
子爵は当然動くことはないだろう。であれば、それは当然あの部屋に残ったもう一人の人物、ピートの妻であるあの女だろう。
「ピートの妻……」
すると、再び灯明の火がゆっくりと動き出す。
瞬間、俺が全身に鳥肌が立つのを感じた。
「ウィロット!ネヴィル!ドアを開けろ!」
「え?ドア?」
「いいから早く!」
言い終わると同時に、喉に急激な痛みを感じる。そして扉に駆け寄ったウィロットから、悲痛な声が上がった。
「ユケイ様!ドア開きません!」
「なに!?」
「外から閉められてる!」
ネヴィルが叫ぶと同時に、室内に腐敗した卵のような匂いが充満する。
その空気を吸ったのか、ネヴィルが激しく咳き込みだした。
喉の痛みと卵が腐ったかのような腐敗臭、これは間違いなく……。
「亜硫酸ガスだ!!」
亜硫酸ガス。
温泉街などで卵の腐ったような匂いをかぐことがあるだろう。あれが亜硫酸ガスだ。現代では化石燃料の燃焼などでも発生し、環境汚染の一因になっている。
硫黄という物質を加熱すると、110度を超えたあたりで液体になり、370度を超えると発火をする。そしてその時に硫黄は二酸化硫黄、つまり亜硫酸ガスに変化するのだ。
亜硫酸ガスは喉や目に激しい痛みを引き起こし、高濃度のガスの中では人間はわずか数分で命を落とす。
前世では、温泉地などで亜硫酸ガスが溜まっていることに気づかず足を踏み入れ、命を落とすという事故が度々聞かれるほどだ。
そして硫黄は燃焼する時、青い炎がゆらゆらと立ち昇る……。
「ドアを破れ!」
「無理……です……」
彼女は咳き込みながらもドアを叩くが、それはもうノックをする程度の力しかない。
「ネヴィル!」
ネヴィルに声をかけるが、彼は咳で声をあげることも出来ない様子だ。
俺もガスを吸ったのか、喉に激しい痛みを感じる。
所詮8才から13才の集まりだ。あの閂がかけられたのであれば、丈夫な扉を破るなんて不可能だ。
時刻は既に夕飯時。ほとんどの下働きは食事の準備に追われ、こんな屋敷の奥まったところまで来ることはないだろう。
あとはアセリアがピートを連れてきてくれるか……、いや、その可能性は低い。おそらくピートは、この屋敷から姿を消しているはずだ。
このまま亜硫酸ガスが充満すれば、俺たちの命は数分で潰える事になるだろう。
「ウィロット!ネヴィル!こっちへ来い!」
そしておよそ、10分の時間が経過した……。