名前
「男性のかたはその、定期的に『そういうこと』をしなければならないと耳にしたことがあります。グランデ様が望むなら私とて、や、やぶさかではないのですが、いささか急過ぎると言いますか。何もこんなところで……なんて。あっ、いえ、別にグランデ様の趣味や嗜好をとやかく言うつもりはないのですが、いかんせん私も、その、初めてなものでして……」
「デッドワンズクラウスラー。何を勘違いしている」
「え?」
「オレに付いてくるということは、人間社会の中に溶け込むということだ。幸いなことに、お前の外見は人に酷似している。尻尾さえなければな」
「尻尾? え、何の話でしょう……!?」
「オレに付いてきたければその尻尾が邪魔だ。切り落としてやるから尻を向けろと言っている」
「あ、ああ! なるほど! そっちでしたか! それで尻を出せと。嫌ですね、私ったら。何かとんだ勘違いをしてしまったみたいで」
よほど恥ずかしいのか、顔が真っ赤だ。
デッドワンズクラウスラーは汗ばんだ顔でオレに目を向けると、
「し、しかしですね、グランデ様」
「なんだ」
「尻尾を切り落とすと仰られましても、それはそれで一つ問題があると言いますか……」
「安心しろ、デッドワンズクラウスラー。怖がらなくていい。痛みも傷跡も残さず綺麗に切断してやる」
切ったそばから超回復で切断面を癒してやれば、傷跡も残らんし痛みも感じることはない。オレにとっては呼吸するのと同じくらい容易いことだ。
しかし、デッドワンズクラウスラーは尻込みしたようにチラチラとこちらを見上げるばかりで、一向に踏ん切りがつかない様子だ。
「さてはデッドワンズクラウスラー。オレの腕を信用していないな?」
「いえ! そういう心配は全くしていないのですが、問題はそこではなくてですね……」
「なんだ。言ってみろ」
「言ってみろと仰られましても……」
縮こまってゴニョゴニョと何やら呟いている。
これではキリがないな。
「尻を出せんならこの話は無しだ」
「そ、そんなっ!?」
「それが嫌なら尻を出せ」
しばし逡巡していたデッドワンズクラウスラーだが、一度唾を飲み込むと、意を決したように顔を上げた。
「なら自分で!」
「何がだ?」
「自分で切り落とすなら問題はないのですよね?」
「それはそうだが、自分でやれば痛かろう」
「大丈夫です! 少々お待ちください! 今切り落として参りますのでっ!」
そう言って、デッドワンズクラウスラーは茂みの中へと消えていった。
◇
三十分ほど待っただろうか。
「うっきゅ~~~~~~~~~~ッ!」
突如、森の中で悲鳴とも奇声ともとれない叫びがこだました。
ほどなくして、尻を押さえながらひょこひょことデッドワンズクラウスラーが歩いてきた。
「グランデ、様。やりまひた……」
涙目で脂汗を流し、ひきつった笑みで右手を掲げる。手には――恐らく無理やり引きちぎったのだろう――尻尾が持たれていた。
よく見ると、ローブの中からポツポツと赤い斑点を垂れ流している。見ているだけで痛々しい有り様だ。
「デッドワンズクラウスラー」
オレは一歩前に出ると、
「はい。あっ、ちょっと! グランデ様ッ! きゃあああ……」
尻を見せてみろといってもどうせ聞かんだろう。なので強引にデッドワンズクラウスラーを引き寄せ、ローブを剥ぎ取った。
やっぱり。
臀部の位置、つまり尻尾の生えていたところから血が流れ出ている。砕けた骨が傷口から飛び出ており、相当強引に引きちぎったのだと思われる。
「きゃああああああ。やめて下さい! 見ないで! 見ないでください!」
抱えあげられながらも、尻を両手で隠し、足をじたばたさせている。
「大人しくしろ。尻なんてみんな割れている。どれも似たようなものだ」
自分で言ってて何か違うと思ったが、そんなことはどうでもいい。
臀部に手のひらを当て――回復魔法発動。
見る見るうちに傷口がふさがっていく。
よし。これで傷跡も無くなったし、痛みも取れたはずだ。
「どうだ?」
訊いてみると、
「うぅ……。生き恥を、さらした気分です。グスン」
そんなことは訊いていない。
◇
「グランデ様。これからの予定についてですが、どのようにされるおつもりでしょう」
「まずは自宅へ戻る。いい機会だ。お前も付いてこい。家族に紹介してやろう」
「いえ、私はここで待機しております。所用の際は一声かけてくだされば」
ボロボロになったローブを身に纏いながら、オレの前で片膝をつくデッドワンズクラウスラー。
心なしか、肌の露出を抑えるように体を縮めているようにも見える。
「駄目だ。オレと一緒に来ると言ったのはお前だろう? なら付いてこい」
「で、ですが、あんな汚らわしい人間どもと顔を合わせるなど――」
「汚らわしいだと? オレの家族だぞ」
「はっ!? これは失礼いたしました。ただ今の失言、首を切り落としてお詫びを」
「死なんでいいから行くぞ」
「は、はい」
ローブを体に巻きつけ、歩きづらそうにオレの後を付いてくる。
しばらく進んだところでふと思い至った。
「そういえばデッドワンズクラウスラー。今のうちに決めておかねばならんことがあったな」
「どのようなことでしょう?」
「名前だ。千年前に消息を絶ったとはいえ、グランデの側近としてお前の名もそれなりに知られているだろう。さすがに顔までは詳細に覚えられていないだろうが、名前は別だ。変更するぞ。何がいい」
「グランデ様が望まれるならどのような名前でも」
「オレは別になんでも構わんぞ」
「あ、あの。このようなことお願いするのもいかがなものですが、グランデ様に付けていただきたいです。駄目……でしょうか?」
「いや、何も問題はない。そうだな……」
考える。
変えるなら元の名を少し捻るだけでいいか。
デッドワンズクラウスラー、改め、クラウスというのはどうだろうか――。
いや、もっと女っぽい名前の方がいいか。
「クラリス、というのはどうだ」
人間の女によくある名前だ。
その名を聞いて、デッドワンズクラウスラーの表情に色が映えた。
「ハ、ハイッ! 素敵です! それがいいです!」
思いのほか気に入ったようだな。
「ついでに言っておくが、オレのこともグランデと呼ぶんじゃないぞ。その畏まった態度もやらなくていい」
「しかし、グランデ様はグランデ様ですし……」
「今のオレはただの人間だと言っただろ。それに、お前がその調子だと、オレの正体を天使や悪魔どもに気取られるおそれがある。それだけは避けねばならん。わかるな?」
「はい、確かに仰る通りです。かしこまりました。では、これからグランデ様のことはどのようにお呼びすれば」
「オレの名はセント・キサラギという。セントでもキサラギでも好きに呼ぶがいい」
「は、はい! では、セン様と! よろしいでしょうか」
「構わん」
できれば敬称も控えてほしかったところだが、それくらいであれば身分差や家柄を理由にすればいくらでも他者への言い訳は立つだろう。
デッドワンズクラウスラー、もとい、クラリスを引き連れ、自宅へと足を向けた。
◇
「お兄ちゃん、大丈夫だった?」
玄関を開けるなり、サユリが心配そうにオレの顔を覗き込んできた。
「安心しろ。奴は住処へと帰っていった。二度とこの辺りに顔を出すことはないだろう」
「えっ!? 相手は魔物だよ!? 何もせずに見逃したってこと? 大変! 今から街に行って騎士団に連絡しないと」
「必要ない。昔あった大戦の生き残りだろう。魔族領から遠い平和な国とはいえ、千年前はこの地にも魔族が攻め込んできたはずだからな」
「なら、なおのことどうにかしないと……」
「いくら人類の敵とはいえ、すべての魔族が人間に牙をむくわけではない。これまで静かに暮らしていたんだ。そっとしておいてやれ」
殺したと伝えればそれで済む話なのだが、何故かそのように説明してしまった。
家族であるこの者らに、他者を憎む心を芽生えさせたくなかったのかもしれん。
「大丈夫……なんだよね?」
「ああ。何も問題ない」
「そっか。お兄ちゃんがそう言うなら何も心配しなくていいんだね。わかった」
納得したようだな。
「ところで、お兄ちゃん。誰? その人。なんでそんな格好しているの?」
玄関から離れ、警戒したように柱の陰からクラリスが覗き込んでいる。
「旅の者らしい。野盗に身ぐるみ剥がされて困っていたようなので連れてきた。ヨウコ、こいつに服と飯を」
「ほーい」
「やるな、セント。起きて早々女の子引っかけてくるなんて、すみにおけないぞ、このこのぉ」
父が肘でつついてくる。
オレの話を聞いてたか?
「セン様。やはり私は外で待機しておきますので、御用の際は――」
クラリスがボソボソ話しかけてくるが、その提案は却下だ。
「みんな、準備ができるまでこのお姉ちゃんと遊んでやれ」
「わーい。おねーたん、あそぼー」
子供たちがわらわら集まってきた。
しかしクラリスは、
「触れるな、人間風情が!」
声を張り上げ拒絶する。
やれやれ。人間嫌いは相変わらずのようだな。
だが、こればかりは慣れてもらうぞ。
生まれたばかりのジュンペイを無理やり抱かせる。
すると、
「くっ、この……!?」
首をつかみ、今にも絞め殺そうとしている。
【クラリス】
【念話】で呼びかける。
ハッとした様子でこちらを見てきたので、
――殺ったらどうなるかわかってるな?
睨みを利かせる。
クラリスは困った顔でオレとジュンペイを交互に見ると、
「か、かわいらしいあかちゃんですね」
ぎこちない笑みを浮かべて大粒の汗を流した。