成長 長男
ゆっくりとまぶたを開く。
視界には木目調の見慣れぬ天井。
どこだ、ここ……。
周囲を見回そうとするも、首がうまく動かない。腕も足も鉛のように重たく感じる。
――と、そうか。そういえばそうだったな。
人間に転生したあと、仮死状態で十六年寝ていたのだった。
骨も筋肉もカチコチに固まっている。どうりで体が動かないはずだ。
仮死状態の間、絶えず大気中からマナを吸収し続けていたため、生命維持に問題はない。
肉体も成長しているし、魔力も完全に満たされている。
ただ、食物などは何も採っていなかったため、体のほうはやせ細っている。筋力も何もあったものではない。
起き上がる。
「っ、と……」
やはり、うまく力が入らん。
しばらくは体の中で魔力を網目状に張り巡らせ、強制的に動かしてやる必要がある。
常に魔力を操作し続けなければならんが、まあ、適当に過ごしていればそのうち筋力もついて自力で歩けるようになるだろう。
それにしても、さっきから騒々しいくらいに子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。
隣の部屋からだ。
ドアを開けてみると、そこには少し老けた両親と、十四人の童がいた。
オレの顔を見るなり、みな驚いたように口をあんぐりと開ける。
わずかな間を置いて、
「おお! 起きたかセント!」
「もしかして、お兄ちゃん……?」
「にーたんにーたん」
童どもが駆け寄ってくる。みな似た顔だ。兄弟だろう。確かに血の繋がりをこの者らから感じる。
しかし、この人数……。
「父よ。まさかとは思うが」
「うん、父さんたち頑張っちゃいました」
母と一緒に頬を赤く染めている。
頑張りすぎだ。
人の営みには詳しくはないが、さすがに十六年で十五人は産みすぎだろう。
「にーたん、お外であそぼ」
五歳くらいの児童に手を引かれる。
「ちょっと待って、ユウキ」
ここで年若い女が児童を引き離した。
「あの、お兄ちゃん。初めまして……だよね。わたし長女のサユリ。まだ起きたばかりで何もわからないよね。まず名前教えるね。お兄ちゃんの名前はセントだよ。セント・キサラギっていう名前なの」
キサラギ。
聞いたことのある苗字だ。それにこの黒い髪に黒い瞳……。
「ここはヤマタイ皇国か?」
「えっ、なんでわかるの? 赤ちゃんの頃からずっと寝てたんだよね? あれ、そういえば言葉も……」
「オレは転生者だ。といってもわかるわけないか。【転生】の術式自体オレが編み出し、世に広める前に死んでしまったからな」
「術式!? お兄ちゃん奇跡が使えるの?」
みなポカンとしているなか、一人だけ食いついてくる。
そういえば、何故かこの娘からは魔力の波動を感じる。
普通の人間は自力で魔力を生み出せない。それなのにサユリにだけ魔力が流れているということは、答えは限られてくる。
学院の卒業生か。
人間界には、全国から素質のある子たちを集め、天使が直々に奇跡を教える学び舎がある。
ここを卒業した者たちは、教会や医療施設に配属されたり、武芸に秀でた者は街の警備隊や、騎士団の一員として魔族と戦うことが義務付けられる。
サユリが学院の卒業生であるなら、体内に魔力が流れていても不思議ではないし、奇跡に興味を抱いていてもおかしくない。
もしくは、特異的な体質で魔力を備えて生まれてくる人間もいることはいるが、この娘の場合はおそらく前者だろう。
「お兄ちゃんが言葉を話せるのも、この国の名前がわかるのも、その【転生】っていう奇跡が関係しているの?」
「そうだ」
「え、その転生っていうのは――」
「ちょっと待て。その前に飯を食わせてもらってもいいか」
自律して活動を再開したせいか、腹が減って力がわいてこない。
「あっ、そうだね。お兄ちゃん生まれてから何も食べていないんだったね。今すぐ用意するね……って、そうだ。先にみんなのこと紹介しておこうか」
父と母、そしてオレを除く十四人の弟妹を紹介される。
「――って、一度に言われても覚えきらないか。少しずつでいいから覚えてもらえると嬉しいな」
「いや、もう覚えた」
「え、本当?」
「ああ、名前の百や二百くらいすぐ覚えられるだろう」
「うそ。じゃあこの子は?」
「ユウキ」
「じゃあこの子は?」
「タイガだ。左から順番にマミ、ヨウコ、タケシ、カオル、ジュンペイ、キョウタロウ、ルリ、マユリ、シンペイ、タツオ、ユウイチだ」
「すごーい!」
「そうか?」
ちなみに、父はクラウシュビッツ、母はフロレスティーナだ。
「じゃあ、お兄ちゃんちょっと待ってて。朝食の残りがあるから今用意するね」
フム。では座して待つことにしよう。
子供たちがまとわりついて少し鬱陶しかったが、長男として十六年何もしてやれなかった詫びだ。
好きなように弄ばれてやった。
◇
食事で腹をふくらませたあと、オレとサユリは自宅を出て近くの林の中へと足を進めていた。
「サユリ。今は神聖歴何年だ?」
「今? 今は神聖歴七二〇五年だよ」
神聖歴七二〇五年ということは、暗黒歴に直すと五九八五年になる。
ちょうどグランデが死んでから千年が経過したことになる。
つまり、千年もオレの魂は次元の狭間をさ迷っていたということか。
この千年で四界がどのように移り変わったのか知りたいところだが、まずはその前に確認しておきたいことがある。
「サユリ。グランデ・フォウ・グオルグという名を聞いたことがあるか?」
「グランデ・フォウグ、おるぐ? えっと、何した人だっけ?」
「千年前に四界を統一した魔王の名だ」
もっとも、統治歴一日で暗殺されてしまった間抜けな魔王だがな。
「うーん、ごめん。聞いたことないや。でも、統一っていうのは違うんじゃないかな。四界ってことは天界も含まれてるんだよね? 天界が魔界に支配されたなんて、そんなの初耳っていうか、歴史の授業でも習ったことないよ」
なるほど。人間界では俺の存在ごと史実から抹消したわけか。
一時的にとはいえ、天界を支配されたことは奴らにとっては最大級の汚点だ。
先例があれば第二のグランデが現れないとも言い切れないからな。
となると、サユリから四界の近況を聞いてもあまり意味がないな。
彼女が学院で学んだ情報そのものが、天界にとって都合のよいように改変されている可能性が高いからだ。
真実を知るには、自分で足を使って調べてみるしかなさそうだな。
「しかし、この辺りは平和だな。この近辺で魔物が出るようなことはあるのか?」
「うん。たまーにね。毎年何人か犠牲も出ちゃうんだけど、でも街の騎士団の方たちがすぐに駆けつけてやっつけてくれるし、それに出ると言っても小型の魔獣ばかりだから。本土のほうに比べればそこまで深刻な被害は出たりしないかな」
「そうか」
まあ、そんなものだろう。
この星には『母なる大地』という巨大な大陸がある。
大陸の中央には縦に裂くような巨大な山脈があり、その東と西で人間と魔族が分かれて暮らしている。
ヤマタイ皇国とは、大陸の東の果てにある、本土から少し離れた島国だ。魔族領からはもっとも遠いところに位置しているため、出るとしても人に見つからないように細々と暮らしている小型の魔獣くらいなものだろう。
「なんか不思議な感じ。物心ついた頃からずっとお兄ちゃんは寝てたから」
「そうだな。お前には色々と苦労をかけたと思う」
「ううん! そんなことないよ!」
ブンブンと手を横に振るサユリ。
照れているのか、ほんのり顔に赤みが差している。
「ねえ、お兄ちゃんは前世で別の誰かとして生きていたんだよね?」
飯を食いながらではあるが、サユリには転生について話していた。オレの前世がグランデであることは言ってないが。
「そうだ」
「転生したってことは、もう一度人生を送りたかったってことだよね。何かやり残したことでもあるの?」
「ある」
オレは即答した。
「それってここにいても出来ることだよね? 家から出て行ったりしないよね?」
不安そうな顔で見上げてくる。
勘の良さそうな娘だ。何かを感じ取っているのかもしれない。
平和な世の中を作るためにこの世界を支配するつもりだ――などと言って、果たして信じてもらえるだろうか。
適当なことを口にして、はぐらかしてもいいのだが……。
片時も目を離さず、オレを見つめるサユリ。
今まで眠り続けていたオレにとって、両親もこの娘も限りなく他人に近い身内だ。情など微塵もわいてはいない。
しかし、サユリからすればそうではないのだろう。
生まれた時からずっとオレのそばにいて、一方的に話しかけたり世話をしたり、時にはオレの隣で眠ることもあったかもしれない。
サユリにとって、両親を除けば一番長く一緒にいた相手。
それがセント・キサラギという存在だ。
身近にいる者が離れていく寂しさというのは、少なからずオレも理解しているつもりだ。
ならば、この娘の想いにはきちんと応えてやらねばならんだろう。
「サユリ。オレは――」
話し始めようとしたところで、何者かが近づいてくる気配を感じた。
「……………………」
「どうしたの? お兄ちゃん」
サユリの言葉を無視して来た道を振り返る。
オレの見つめる先から、
「あーーっ! いたーーーーっ!」
兄弟たちが近づいてきた。
「なんだよ、兄貴たち。飯食ったら急にいなくなるんだもん。探したぜ」
手を頭の後ろで組んで不平を鳴らしているのは、次男のタツオだ。タツオの後ろには五人の弟たちが付いてきている。
「タツオ。みんなを連れて家に帰っていろ」
「なんだよ。俺たちだけ除け者扱いかよ」
「違う。サユリもだ」
「え?」
キョトンとした顔でオレを見上げてくるが、オレの視線は一時もその場所から離れない。
釣られてサユリとタツオもオレの目線を追いかけるが、『そこにいる奴』に気付くにはもう少し時間がかかるだろう。
それほど離れているわけではない。視界には入っている。
しかし、気付けない。
異質でありながら、極めて自然と調和を果たしている。
見事な気配絶ちだ。
距離が縮まるにつれ、徐々に『奴』の影と輪郭があらわになっていく。
「あっ……」
「なん……で、そんな……!?」
ここにきてようやく二人も気付く。
足音も立てずに近づいてきたのは、ここに居てはいけないはずのもの。
不死者クラカト。
全身骸と化した魔物が、ゆったりとした歩調で近づいてきた。