転生 赤子
ゆっくりとまぶたを開く。
視界には木目調の見慣れぬ天井。
どこだ、ここは……。
周囲を見回そうとするも、首がうまく動かない。腕も足も鉛のように重たく感じる。
――と、ここでようやく気付いた。
そうか、そういうことか。
なにか、ずいぶんと久しぶりに目を覚ましたように思えるが、それは気のせいではないだろう。
転生したのだ。
グランデ・フォウ・グオルグから別の生き物に。
あの時、ウリエルの放った【業火】によってオレは絶命した。
ただ、死ぬ寸前に一か八かで【転生】の術式を発動させていたのだ。
本来であれば半日は術式構築に時間を費やさなければならないほどの高難度魔法なのだが、こうして魂が新たな器を手に入れたということは、つつがなく転生は行われたということになる。
さすがはオレ、といったところか。
念のために過去の出来事を洗ってみたが、記憶の欠如や不備はないように思えた。
あの居城で起きたことも、自らが定めた理想のことも、確かな熱を持ってオレの中に残っている。
ずいぶんと遠回りになってしまったが、これで再び理想の世界へ向けて歩み始めることができるというわけだ。
ただ、一つだけ腑に落ちないのは……。
「セントちゃ~ん。パパでちゅよぉ~」
気味の悪い顔でこちらを覗く男が目の前にいるのだが、どう見てもそこにいるのは人間だ。
魔族には見えないし、もちろん天使や悪魔でもない。
魔力など毛ほども感じられない、ただの人間だ。
「セントちゃ~ん。ほらほら、ばぶばぶぅぅ~」
うるさい。
恐らくオレは魔族ではなく人間に転生してしまったのだろう。
【転生】の術式は、転生先の肉体を選べないのが難点だが、それにしても人間とはな。
まあ、今回は緊急の措置だったし、こうして無事に受肉できただけで良しとしておくか。
しかし、体が重いな。
さすがに赤子の体では何をするにも不自由だ。
せめて魔法が使えるように魔力を補充する必要がある。
手を開き、大気中からマナを吸収。
マナというのは魔力の源になるものだ。
石ころや草木、水や空気中など、至るところにマナは含まれている。
本来、魔力とは人間の体には存在していないものだが、こうして外部からマナを取り入れて変換することで、肉体の中を魔力で満たすことができる。
もっとも、そんな器用な真似が出来るのは、オレを除けばベルゼブブぐらいしかいないだろうが。
よし、もう少しで肉体に魔力が満たされる。そのまま両手を開いたままじっとしていると、
「セントちゃ~ん。ちっちゃい手でちゅね~」
握るな。
「抱っこして欲しいのかなぁ? うん~?」
やめろ。
思いっきり腕を振ったせいか、父の頬に直撃。
そのまま父は壁の端まで吹っ飛んでいった。
しまった。
慣れない体だったゆえ、力加減を間違えてしまった。
「ママーーッ! ちょっと来てェェェ!!」
頬を押さえながら、悲鳴に似た声を上げる父。
家族とはいえ、さすがに家長を殴ってしまったことは問題になるか。
魔族であれば、自分の親に手を上げた者は殺されてしまっても文句はいえない。
魔力を補充した今、生後一日くらいのオレでも人間相手に後れをとるとは思えんが、一応警戒しておくか。
「どうしたの、パパ」
「ちょっと見てコレ!」
「あらぁ、血が出てるじゃない」
「でしょう!? でしょう!? 今セントに殴られちゃったんだけどッ!」
「えっ……。それ、本当?」
「ああ、本当だ。今この子、僕の頬っぺたを思いっきりぶん殴ったんだよ!」
「セントちゃん。あなた……」
さあ、どう来る。
素手で強引に取り押さえにくるか、武器を持って斬りつけてくるか――。
どちらにせよ、向かってくるなら返り討ちにしてくれる。
「すごぉーい。この子将来きっと力持ちになるわよ!」
「だよね! セントにこんな力があるなんて、僕もびっくりしちゃったよぉ」
ただの親バカだった。
悪質な人間ではないようだが、まともに相手していても面倒だ。
この二人のことは放っておくことにした。
さて、これからどうするか――だが、まずはこの肉体だ。
赤子のままでは色々と不都合なことが多い。
常に体の操作を魔力に頼るわけにもいかない。自分の体くらい自在に動かせるようにならなくてはならんだろう。
確か人の成長は二十歳くらいで頭打ちだったな。
なら、一度仮死状態になって十六年ほど時を進めるか……。
いや、待てよ。
オレが仮死状態の間、この二人がオレの面倒を見るとは限らない。最悪の場合、死んでいると見なされ火葬されてしまう危険もある。
どうにかして事情を説明しなければならない。
【念話】は遠く離れた相手とも会話できる魔法だが、魔力のない人間相手には使えない。
仕方あるまい。
「かうぃ」
上手く発音出来んな。
「ママァァァァ! しゃべったァァァァ!」
うるさい。
「かうぃ」
「かうぃ? どこか痒いのかしら」
「がう」
違う。手を横に振る。
「かうぃとぉ、ぺぇん」
「すごいねママ。まさか産まれて一日でこんなにも流暢に言葉を操るなんて。将来きっと大物になるぞ、この子は」
いいから話を聞け。
「かうぃとぉ、ぺぇん」
「何か伝えようとしているのかしら」
「だ」
「そうみたいだね」
「かうぃとぉ、ぺぇん」
「痒いよぉ、掻いてぇ、って言ってるのかな?」
「がう! かうぃとぉ、ぺぇん!」
「紙……と、ペン?」
「だっ」
母の方は察しがいいではないか。
「もっこい」
「持ってきてって言ってるわよ。パパ、紙とペン持ってきて」
ふぅ。とりあえず伝えたいことは伝わったか。
◇
ペンを握り締め、うつぶせになって書きなぐる。
「ん」
書いた紙を手渡す。
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しばらくねる もやすな
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よし、これでいい。
「すっごぉーい! この歳でもう字が書けるなんて、天才よ! この子天才だわ!」
「さすが僕たちの子だね。きっとママの賢さを引き継いで生まれてきてくれたんだよ」
「違うわよ。きっとパパが毎日お腹に向かって話しかけてくれたおかげよ。それで言葉を覚えたのよ」
「そっかぁ。だから生後一日にして字が書けるんだね?」
いや、その理屈はおかしいだろ。
それで納得するのもどうかと思うが、もはやこの二人には何も言うまい。
仰向けになって目を閉じる。
じゃあな、父と母よ。十六年後にまた会おう。
魔法術式【仮死】を発動させ、オレは深い眠りについた。