ルベニア対カンナ
ルベニア対カンナ。
互いに譲れない想いをかけた二人の勝負が始まった。
先に動いたのはルベニアだ。
一定の距離までつめ、ムチを走らせる。
ムチといっても、馬の尻を叩く乗馬用の短鞭ではない。
革を編み上げたひも状の一本鞭である。長さは五メートルほどはあるだろう。
この手の武器は拷問や調教に使われるのが一般的で、武器として運用することを目的に製造されたものではない。
相手に致命を負わせるほどの傷は与えられんが、今回の変則的なルールの上でなら有効的な手段であるといえる。
なにせ、ただ定量のダメージを与えるだけで、対魔服の結界は破壊されるのだ。
一定の距離を保ちながら、ルベニアはひたすらムチを走らせている。
その攻撃に、カンナも苦戦しているようだ。
ムチの軌道が縦横無尽に空間を裂くものだから、直剣一本ではうまく捉えられないようだ。
いや、それ以前に、カンナの動きが固すぎる。
左手で胸元を押さえ、足は内股で、ただ右手に持った直剣を左右に散らしながらムチの動きを追っているだけだ。
あれでは中距離からなぶられるだけだ。
「カンナさーん! 風魔法使ってください!」
ニカヤが焦れて声を張り上げるが、カンナは余裕のない返答を返すことしかできない。
「無理ぃ!」
「なんでですかぁ?」
「だって! 風が吹いたら、見えちゃうから!」
「何がですか?」
「そこ言わなくてもわかるでしょ!」
「でも、それじゃあ……」
ムチがしなるたびに、カンナの対魔服に裂け目が入っていく。
「どのみちこのままではジリ貧だぞ」
そのように告げると、カンナは意を決したように直剣を構えた。
「ええい! 女は度胸です!」
両手で直剣を握り、足を開いてムチの動きに対応し始める。
ルベニアの攻撃は単調だ。
ただムチを振っているだけで、使いこなせてはいない。
さすがにこの程度の攻撃なら、その気になれば打ち落とせるか。
この程度の攻撃で済めばな。
ルベニアは軽く腕の当たりをさすると、先ほどまでと同じように単調な攻撃を仕掛けた。
「甘い!」
それを払って前に出ようとしたのだが、ムチは剣をすり抜けカンナの腹部に命中した。
「えっ!?」
最初こそ困惑したものの、すぐに険しい顔つきに戻る。
大方、ルベニアが直前でムチをしならせて軌道を変えたとでも思ったのだろう。
さすがに一度目では気付かんか。
だが、あと二度も今の攻撃を食らえばカンナの対魔服の結界は破れるだろう。
再び襲いかかるムチのしなりに、カンナはまたも剣で受け損なって被弾した。
「なんで……!?」
対魔服は、もう結界の線が残り一本でどうにか繋がっているような状態だ。
今ここでその疑問を解消せぬ限り、この勝負、カンナは負ける。
「もう降参したほうがいいんじゃないかな。恐らくあと一度、今の攻撃を食らえば君の対魔服はバラバラになっちゃうよ」
ルベニアもオレと同様の見立てだ。というより、衣服があちこち破れているので、誰が見てもこれ以上は持ちそうにないというだけなのだが。
「黙りなさい。いいからさっさと攻撃してくればいいじゃないですか」
「そんなに強がるものじゃないよ。君じゃボクのムチはかわせないでしょ? ボクの家に嫁ごうとしている女の子を、公衆の面前で裸にひんむこうだなんてフリューゲル家の人間として居たたまれないのでね」
「この勝負のルールを決めたのはあなたでしょ!」
まさしくその通りだ。
「わかったよ。なら最後は綺麗に勝負を決めて、君の身も心もいただくとしよう」
ムチを振り上げるルベニア。
カンナは応戦の構えだが、それでは結果は見えている。
「カンナ、見えているものに惑わされるな」
一言忠告してやると、オレの言葉に疑問を覚えたのか、カンナはとっさに後ろに下がった。
その時、空を切ったはずのムチが、カンナが引いた剣に直撃した。
「え、今の……」
気付いたか。
仕組みは単純だ。
ルベニアは右腕に隠し持った魔道具を使い、ムチの幻影を見せているのだ。
本命は魔道具に組み込んだ光魔法で限りなく見えづらくして、幻影からわずかに軌道をそらしてカンナを狙い撃ちしていたというわけだ。
ルベニアの顔から余裕がなくなる。
魔道具の存在があらわになれば、その時点で奴の反則負けになる。
御大層なフリューゲル家の人間が卑怯者の烙印を押され、世間様から後ろ指を差されることになるのだ。
カンナを追い込むために観客を入れたのに、それが自分を追い詰めるはめになるとはな。
まさに自業自得。
今のルベニアに出来ることは、魔道具を見咎められる前に勝負を決めることだけだ。
「カンナ、今のお前が手加減して勝てる状況ではないぞ。恥も外聞も捨てろ」
「わかってます!」
魔道具の存在に気付かなくても、今の現象を理解すれば対処は容易いはずだ。
カンナは風魔法を発動させた。
すると、裾や破れた部分が風で持ち上がり、ケツや乳房が見え隠れし始める。
前のめりになって色めき立つ野獣ども。
また騒がれたら面倒だからな。少し補佐してやるか。
オレは【流動】の魔法を唱えた。
これは風や水の流れを操る魔法だ。
これで観客席全体に突風を起こし、目眩ましをしてやる。
闘技場の周囲は土で固められている。
その上に積もった砂が舞い上がり、誰も目を開けていられないほどの砂塵が観客席を覆った。
カンナはそんな周りの様子に気付くこともなく、ルベニアに向けて風魔法を叩きつける。
上半身がのけ反るほどの風圧を浴び、振り上げたはずのムチも後方へ流れた。
「はあッ!」
カンナはここぞとばかりに距離を詰めると、ルベニアの胴体に向けて直剣による連撃を打ちつけた。
対魔服など、もともと実戦で使えんくらいの極薄の結界だからな。
あっという間に対魔服の防護性能をゼロに持っていき、ルベニアに土をつけた。
「そ、そんな……!?」
服が細かい破片になって、地面へと散っていく。
ここでハッと何かに気付くと、とっさに右腕を押さえながらその場でうずくまった。
「ルベニア様!」
取り巻きが駆け寄ってきて、ルベニアに上着をかける。
ルベニアが隠し持っていたそれに、ニカヤも審判も、対戦したはずのカンナも気付いていないようであった。
「勝者、カンナ・ブリジット」
審判役の教師が片手を挙げる。
勝敗は決したか。
「よかったな」
一言告げてやると、カンナはモジモジした様子で上目遣いにオレを見上げてきた。
「あ、ありがとうございます。セントくん。あなたのおかげで最後吹っ切れることができました」
「そうか。それはいいのだが……」
話しかけてきた最中に、カンナの対魔服の結界の線が切れてしまった。
ルベニアのときと同様、カンナの対魔服がひらひらと宙を舞っていく。
「きゃあああああああああああああああああ……」
体を押さえてうずくまる。
こちらもすぐにニカヤが上着をかけてやるが、
「み、見ましたか?」
涙目で見上げてくる。
「何をだ」
「言わなくてもわかるでしょう!」
何を恥ずかしがる必要がある。
付いているものなど、皆どれも一緒だろうに。
……いや、そういう問題でもないか。
と、ここで、
「ちょっと待て。今の勝負は無効だ!」
取り巻きの一人が異を唱えてきた。
だが、
「やめないか」
ルベニア本人が止める。
「しかし」
「これ以上ボクに恥をかかせる気か!」
両目には涙が浮かんでいる。
負けたことが本当に悔しかったのだろう。
思えば、カンナに不利なルールを強いて、自分は魔道具を使ってまでこの勝負に臨んでいた。
やっていることは卑怯以外の何物でもないが、こいつの本心としてはカンナを辱めたかったわけではないだろう。
ただ勝ちたかったのだ。
どんな手段を選ぼうとも。
人によっては「そんな汚い真似して勝って何になる」と綺麗事をほざく奴もいるだろうが、オレからすればむしろ逆の印象のほうが大きかった。
何がなんでも勝とうとする、その執念だけは見上げたものだとな。
取り巻きに連れられ、ルべニアが去っていく。
「あの、私たちも早く着替えたいのですけど」
恥ずかしがるカンナに、ニカヤが寄り添ってこの場を離れていく。
勝負はカンナの勝ちで一通りの決着と相成った。
しかし、一つだけ問題があるとすれば、
「おい、もう終わりかよ!」
「最後何がおきたかわかんなかったぞ」
「もっとやれよ!」
【流動】の魔法を解いたのが二人の決着がついた後のことだったため、連中からすれば風が止んだときにはいつの間にか試合が終わっていたという有り様だ。
わざわざ足を運んでまで見せられたのがこの結果ということで、消化不良もいいとこなのだろう。
再び野次や怒号が起き始めるが、ここで連中の溜飲を下げる出来事が起きた。
「ちょっと待った! 今の勝負は無効だ!」
取り巻きの二人が戻ってくるなり、またも今の勝負の結果に文句を付けてきた。