プロローグ1 策略
天界、人間界、魔界、暗黒界。
歴史上初めて全ての界域を支配し、四界の覇者としてその名を轟かせた男がいた。
グランデ・フォウ・グオルグ。
魔界の支配者にして、魔王の名を冠する魔族。
外見こそ人の姿と酷似しているものの、誰も彼を人間だとは思わない。彼の内側を占める底なしの魔力が、この男の異質さを否応にも際立たせている。
頬に刻まれた刺青のような模様を指でなぞり、そして彼は口を開いた。
「よく集まってくれた。宴の席だ。肩の力を抜いて楽に過ごすがよい」
円卓を挟んで着席しているのは三名の賓客。
今宵この魔王城に招かれた各界の代表者たちだ。
人間界代表 聖騎士 アレス・ヴァン・ハイト。
天界代表 聖天使 ウリエル・リ・アタランシア。
暗黒界代表 悪魔王 ベルゼブブ・ディスタフローグ。
並みの者ならグランデの迫力に極度の緊張と恐怖を強いられていたであろうが、この三者に限ってはその心配もいらない。
それぞれがかつて魔界との戦争で指揮をとり、グランデと死闘を繰り広げた者たちだ。
いくら敗者の立場でこの席に着こうとも、個人の力量で目の前の男に劣っているとは誰も思っていないのだ。
「フォフォフォ。こうして、各界を代表する者が一同に介するというのも珍しいことよの。いや、この『母なる大地』の歴史において初めてのことか。魔王グランデよ。なかなか粋なことをするではないか」
最初に口を開いたのは、悪魔王ベルゼブブ。見た目は年老いた白髪の老人だが、内包する魔力の総量はグランデに勝るとも劣らない。
琥珀色の瞳でこの城の主へと目を向けるも、
「各界を代表する者? それは昨日までの話だろう。統一宣言が為された今、四つの界域に境などない。今日からこのオレ、グランデ・フォウ・グオルグを頂点とした支配階層へとこの世界は移行する」
三方からの圧力にもまるで怯むことなく、平然とこの世界の進路を語って聞かせる。
ベルゼブブはナプキンで口元をぬぐうと、
「支配階層……か。それではこれまでとさほど変わらんのではないか?」
そのように問いただした。
長い歴史を紐解けば、人間界は天界に、魔界は暗黒界に支配されてきた過去があるからだ。
問題は、これからどの界層を頂点に、どの界層を下段に据えるのか。
あるいは、神、天使、人間、魔族、悪魔、どの種族にどのような格付けをするのか――
グランデの決定によっては、この世界の創造神たる【ゼフィール神】ですら、悪魔に踏みつけにされる世の中が来るかもしれないのだ。
神の使いであるウリエルとしては、そのような蛮行見過ごすわけにはいかない。
顔を上げ、濡れた宝石のような瞳に憎きグランデを映し出す。
部屋の主は気にする様子もなく、
「案ずるな。たった今、四つの界域に境などないと言ったばかりだろう。そう複雑な社会構図を描くつもりはない。支配階層といっても、在るのは二つの階層のみ」
その二つの階層とは――
「『オレ』と、『それ以外』だ」
絶句する三者。
それを無視してグランデは先を続けた。
「オレの言うこと、定めた決め事には絶対服従してもらう。破った者、逆らった者には即座に罰を与える。基本的にはそれだけだ。禁を犯さなければ何をしても自由だ。今よりもずいぶんと暮らしやすい世の中になるぞ?」
「ふざけるなッ! そんなふざけた社会認めるわけにはいかない!」
椅子をはねのけ、聖騎士アレスが勢いよく立ち上がる。秘めた力によって青い髪が金色に輝き始めるも、グランデは何も反応しない。
優雅な仕草でワイングラスの中の液体を回している。まるでアレスの存在など最初から目に入っていないかのような振るまいだ。
この仕打ちを受け、さらに激情に駆られるアレスであったが、
「罰とは一体どのようなものだ? 魔王グランデよ」
ここで二人の間にスッとベルゼブブが割って入ってきた。
争いになるのを止めようとしたわけではないだろう。ベルゼブブ自身、そこに興味を抱いているような眼差しだ。
グランデはしばし考える素振りをみせると、
「そうだな。罪の軽い者には打ち首。重い者には地獄の三十六間巡りでもしてもらおうか」
ニヤリと笑ってみせる。
冗談か本気か表情からは読み取れない。
地獄の三十六間巡りとは、三十六の拷問器具を用いて受刑者に苦痛を与える刑罰だ。
自害できないように全身を縛り、常に回復魔法で傷口を癒しながら、ただ苦痛のみを繰り返し与え続けるのだ。
決して殺さず、決して許さず、死ぬことが出来ない三十六種の苦痛を、死ぬまで巡り続けなければならない、まさに生き地獄。
愉快そうに嗤うベルゼブブを見て、アレスは嫌悪感をあらわにした。
「このキチガイどもめ。やはり魔の者同士、頭がイカレているとしか言いようがない」
これにグランデは嘲るように笑った。
「クク、イカレているのはこの刑罰を考えた奴だろう。なあ、ウリエル」
話を振られたウリエル。
その意味を問おうとするアレスであったが、ウリエルは目を閉じたまま何も話そうとしない。
グランデは椅子の上で足を組み替えると、
「話したくないならオレから話してやろうか。地獄の三十六間巡りとは、もともと天界で行われていた拷問の一種だ。そして、この悪魔のような所業を考えた人物こそ、お前たち人間が心から崇拝する――」
「黙りなさい」
堪らずといった様子でウリエルが口を挟む。
しかし、アレスとて勘の鈍い男ではない。そこまで言われてしまえば、行き着く答えは一つしかなかった。
「まさか、そんな……。あの御方がそのような……」
ショックを隠せないアレスを見て、グランデはわざとらしい口調でつぶやいた。
「『人』に聞かせる話ではなかったか? ウリエル」
「……………………」
何も答えないウリエルに、グランデは面白くなさそうに息を吐き出す。
「まあいい。それより、その件のゼフィールはどうした。オレが晩餐の席に招いたのはお前じゃないぞ」
そう、グランデが天界の代表者に選んだのはウリエルではない。
この世界の創造主にして唯一神――ゼフィール神だ。
「天帝は所用で出ています。そのため、私が代理でここに赴きました」
平然と答えるウリエルであったが、
「オレに顔見せする以上に大事な用事があるとでも? まあ、奴とて直接神の座を追放されるのは堪らんだろうからな。臆病風に吹かれて逃げ隠れしたとしても、別に責めはせんよ」
さすがに、これには不快感をあらわにするしかない。
「不服そうだな。殺されないだけ有り難く思え。オレはこう見えて寛大なんだ」
これに噛みついたのは、またもアレスであった。
「どの口が言うかァ! 貴様が行ってきた侵攻のせいで、一体どれほどの人間が犠牲になったと思っている!」
「聖騎士アレスよ。その言葉、そっくりそのまま返してやろう。お前たち人間のせいで、我が同胞たちにどれほどの血が流れたと思っている」
「先に侵攻を企てたのは貴様だ」
「それは論点がズレているぞ。侵攻の前からこの世界は争いに満ちていたではないか。殺さねば殺されるのはこちらだった。だから挙兵した。それだけのこと。まあ、この際どちらが先に弓引いたかなど些細な問題でしかない」
「そんなわけあるか! 少なくとも貴様が号令をかけなければあれほど大規模な戦にはならなかった。何十万という罪のない人々がその命を落としてしまったんだぞ! 貴様にその責任が取れるのか!」
「理想を体現するには必要な犠牲だ。大目に見ろ」
「貴っ様アアアアア……ッ!」
「座れ。それ以上駄々をこねるようなら、お前もろとも人間界を滅ぼしてやってもいいんだぞ」
「……ぅぐッ!」
血を流すほどに歯を食い縛るアレス。
ここで感情に任せて動けば、全人類数千万の命が無惨にも奪われてしまうかもしれない。
グランデの発言には、そう思わせるだけの重みがあった。
しかし、アレスがここで踏みとどまれたのは、それとはまた別の理由からだった。
両脇にいる二名と事前に協議した、ある『企み』が脳裏をかすめたからである。
「ヒョッヒョッ。若いのぉ。血気盛んでうらやましいわい」
横からベルゼブブがからかってくる。しかしそれは口だけだ。本気で言っているわけではないことはアレスもわかっていた。
ベルゼブブにとっても『計画』に支障が出ては困るのだ。視線に圧を忍ばせ、「座れ」とアレスに命じる。
苛立たしげに椅子に手を伸ばすアレス。
「魔王グランデよ。我らの望みはただ一つ」
ここで幾分真剣な表情でベルゼブブが提案した。
「四界を統一などと馬鹿げた理想は取り止め、今すぐ魔界以外の三つの界域を解放せよ。貴様一人でその重責を担うには、四界は広すぎる。そう時を置かずして必ずや破綻を招く。そのとき各界にもたらす影響は先の大戦とは比にならぬであろう」
このままグランデが圧政を敷けば、各地で反乱の種が芽吹くことは避けられない。
そうなれば内乱によって生じる犠牲は今回の大戦を凌駕すると、そう言っているのだ。
これにグランデは、
「四界は広すぎると言ったな。安心しろ。直に天界と暗黒界への門は固く閉ざすつもりだ」
「なんじゃと……!?」
「全ての種族がここ、『母なる大地』にて日々の営みを共にする。人間や魔族、天使や悪魔といったくくりを取り払ってな。例外は誰一人として認めん。神であろうが悪魔王ベルゼブブ、お前であろうがな」
「正気か? そのようなことをすれば、この物質界そのものが消えて無くなりかねんのだぞ?」
人間と魔族が住まうこの星を物質界、天界と暗黒界のある領域を精神界として区別されている。
精神界の方が高次の存在であり、そこの住人である天使と悪魔を物質界に『堕とす』ということは、様々な面で歪みや軋轢を生み出しかねないのである。
ただでさえ天使と悪魔は対極に位置する者たちだ。共存を図ることなど土台無理な話なのだ。
それこそ一度争いが起これば、『母なる大地』そのものが崩壊してしまいかねないほどに。
ベルゼブブの懸念をさらに上塗りする形でこの世界の行く末を示したグランデ。
彼には『そうならない』ビジョンが既に見えていた。
「だから安心しろと言っている。お前の考えるようなことには絶対にならん。しばらく静観しておけ」
それで納得してもらえるなら何も苦労はない。
しかし、『本心』を明かしたところで、それもまた聞き入れてもらえるとは思えない。
だから行動で示すしかないのだ。
グランデの思い描く『理想郷』とはどのようなものなのかを。
余分な説明を省いたのはそのためだったのだが、もちろんこれでは色よい返事など聞けるわけもない。
というより、どのように話が転ぼうと、ベルゼブブたちにとって結論は変わらなかったのだ。
「やれやれ。話の通じん男じゃのう、おぬしは」
呆れたように息を吐き出すベルゼブブ。
もちろん本気で頭を悩ませているわけではない。
これも彼らからすれば『計画通り』に話が進んでいるということになるのだろう。
「グランデよ。先代の悪辣王然り、人間界の首切り王然り、暴虐の支配者は背を討たれるのが世の常だと歴史が証明しておるではないか。それでもおぬしは我らに対してその背を向け続けるつもりか?」
「無論だ」
「そうか。ならこちらとしても黙って指をくわえておくわけにもいかぬな」
ここで場の空気が一変した。
何か狙ってるな。
そのように感じたグランデだったが、ここは黙って事の成り行きを見守ることにした。
というのも、この城には十重二十重と結界が張り巡らせてある。奇跡も魔術もこの居城内では発動しないし、武器の携帯も認められていない。
備えは万全。
だからこそ、護衛も付けずに対話の席を設けることが出来たわけだ。
それなのに――
ベルゼブブだけではなく、ウリエルもアレスも何かを狙っている気配。
さあ、何をしてくる。
椅子の上にどっしりと座りながら、悠然と待ち構えるグランデ。
その彼の瞳が、
「終わりだ、魔王グランデ」
大きく見開かれた――