第6話 夜のレッスン・・・
4月19日 太陽の日 20時30分 マテリア寮 鉄雄の部屋
「はぁ~疲れた~」
「ボクもヘロヘロだよぉ~」
大人二名が隠れるように一つの部屋で語り合うこの瞬間。模範となる立派な大人の仮面を外して肩の力も抜け落ちてだらけた体勢で座り込む。
ローテーブルを挟んで向かい合い、主従関係も何もかも剥ぎ取ったただの人となれる時と空間。どちらかがそうしようと言った訳でもなく、この一室は自然と首の鎖が外れる安寧の場所となった。
「まさか……基礎訓練だけで死にかけるとは思わなかった……差があるだろうとは思ってたけど、鍛え方がぜんっぜん違う……魔力使い始めたらプロアスリートだよほんと……」
レクスの解明と改名した後は体力や筋力の確認を行った。その結果は散々なるもので魔力の有無が大きい原因とあっても、調査部隊では最低の体力と筋力。か弱いと言っていたキャミルにでさえランニングで追い付けなかった。
鉄雄のいた世界の最高峰のスポーツ選手、彼等の運動能力がレイン達の基本と言っても過言ではない。体力、筋力、反射、柔軟、どれをとっても住む世界が違う。
「……挙句の果てには頭洗うのも滅茶苦茶苦労するぐらい腕が貧弱になってた」
基本中の基本、斧を握っての打ち込みと素振りが最初の訓練。いい加減な型をすればすぐさま注意と矯正。何度も何度も何度も指導が入り体に正しい型が叩き込まれた。全身から噴き出す汗は真夏の運動と同等。肩より上まで腕が上がらない、これまで感じたことのない身体の状況にもはや笑うしかなかった。
だが、情けないことに鉄雄がこの日振った回数を合計しても千回には届かない。
「まあまあ、そんな時はこれを飲んで内側から身体を癒してこうよ」
二人のグラスに注がれているのは酒ではなく冷たいお茶、安価で疲労回復に効く『トーンティー』麦に似た風味が喉を通る、ツマミなんて無い素面での飲み会。ささやかながらも彼等にとっての贅沢。
「そっちはどうだったんだ? 別の寮生のお手伝いだったんだろ?」
「まさかボクがあそこまで無力だとは思わさせるとは思わなかったよ……」
あの後行われたのは私室の掃除、クリーナー達によって失敗作で埋もれた部屋は片付けられアトリエ部分の殆どは綺麗になっていたが、意図的に完璧に仕事をしていなかった。注意深く見なければ気付けないそんな汚れを残して。セクリを成長させる糧とする為に。
ただ彼女達が掃除をしたのはアトリエ部分。
本来セクリが行う清掃場所の私室も散乱としており、洗濯を出し忘れた服が山を作り、本の塔がベッドに埋まっている。食べ残しに釣られた虫も現れ、その処理にも追われる。
結局綺麗にできたのはルティの私室一部屋。汚部屋一つ片づけたのは評価に値するが、使用人長からは良い顔はされなかった。
極めつけにルティの入浴介助も行う羽目になり。右往左往と手際も悪く、お湯を彼女の顔にぶちまけたり全身泡だらけにして滑らせてしまいそうになったりと、信頼を全幅においたされるがままの相手に対し十全の活躍ができなかった。
「そんなことがあったのか……」
「甘えられると嬉しいけど、それに応えられるだけの実力をまだ持ってないのがよくわかったよ。もっとお世話力を高めてアンナちゃんとテツオも優雅に甘えさせられるようにしないと!」
「俺は今でも十分助かってる、特に料理は。帰って来た時に食事の準備ができてるのは安心感がある。俺じゃあ下手過ぎて気落ちの溜息しか与えられそうにないからな」
「生活の支えだけじゃなくて、心も支えられるようになりたいよ。今に満足してたら安心して甘えられないと思うもん。余裕がある人に皆甘えたくなると思うから」
追加でもう一杯注がれる。それを半分程飲むと壁越しにアンナの部屋へ視線を向ける。
「確かにな……余裕を持った姿って大事だ。些細なことでも頼れるかどうか判断できるからな……尚更アンナの前でこんな姿は見せられないな」
散々恥を晒し、命を救われた身。その上愚痴のような弱みを見せる程男を捨てていない。今更にして恵まれた環境を手にできた幸運。彼女の前でゆるがせにできる訳が無かった。
「アンナちゃんは今も必死に調べてるんだろうなぁ……錬金術で生まれた身だけど、理論とかはさっぱりだから手伝えることは殆どないのが悔しいなぁ」
「いつでも手伝いに応えられるようにするしか今はないな。必要に思う時がきっとくるはずだ……多分……!」
試験が開始され、アンナの日々は授業の後は図書室に籠り、多くの技法書やレシピ集。そして図鑑を時間が許す限り読み漁るようになる。
部屋では選び抜いた数冊を片手に『マナ・ボトル』のレシピを作成するために奮闘している。この部屋の語らいもアンナの部屋の知恵を絞り出す唸りも防音性が高い壁によって届くことは無い。
「だよね……さてと、こっちもこっちで夜のお稽古といこうか!」
「誇れるもんじゃないが、こっちも負けてらんないからな!」
棚からペンと使われなくなった広告やお知らせの紙を取り出し、白い裏紙を広げる。
始まるのは夜の稽古という名の言語の勉強である。鉄雄はこの世界の文字が読めない、会話だけが成り立つ半端な男。
勉強しようにも言葉と同じ文字が分からない。他人に聞くのも気恥ずかしい。故に信頼できるセクリに教師となってもらった。結果としてこの選択は大正解となる。同じ寮に住んでいるから時間を気にする必要が無く、世話好きのセクリとしてはこの状況はむしろ望んでいた。
「今日は新聞の内容を話すから、文字に起こしていってね」
「難易度爆上がりじゃないか?」
この世界で使用されている文字。通称世界共通文字。この言語を覚えれば全ての国で通用する。鉄雄のいた世界と違い異国語なんてものは存在しない。
「それにしてもよく気付いたよね。喋る言葉を文字にして覚えればいいって」
「会話が問題ないのが幸いした。それに文字のパターンが分かりやすいのが助かった」
あいうえお表の各文字に対応する世界共通文字をはめ込んだ所、奇跡か偶然か噛み合ってしまった。ただ46音だけではなく濁音、半濁音、小文字の組み合わせと覚える文字は多い。
部首となる子音の特定形、母音の特定形。基本はこの二つの組み合わせによって文字は作られている。
「テツオが書いてるひらがなだっけ? ボクも覚えていいかな?」
「別に覚えるのは構わないけど、読めるのは俺だけだぞ? 使い所がみえないぞ?」
唯一与えた恩寵のおかげで鉄雄は日本語を発する感覚で世界共通文字を発している。もはや日本語を意識的に話す事はできない。文字だけでしか存在できない。
「ボクとテツオだけの秘密の暗号ってことだね」
「ロマン溢れること言ってるんじゃない」
照れた顔を隠すように姿勢を正し、勉強の意志を示す。
「気を取り直して。オホン! まずは『迫る美術祭! 透明の輝きを表現せよ!』だよ」
「そんな行事もあるんだな……というか濁音と小文字はキツイな」
机に向かって言われた言葉をゆっくりと書いていく。時折対応表と見比べながらこの世界の文字を身に刻むように。
その記事が表す事をまとめると。
『7月1日より、王都クラウディアの中央広場にてガラス細工の展覧会を開催します。
提出期限は6月20日まで。参加申請は王城1階の役所まで。』
となる。
「これでどうだ?」
「うん、ちゃんと読めるよ。じゃあ次はこの見出しを読んでみようか」
「え~と……ま、ど、う、か、ぐ、の……じゅ? よう、た、か、ま、る。魔道家具の需要高まる?」
「正解! 読める文字も増えてきてるね」
「表がないと分からないのも多いけどな。しかしながら大学卒業してから真面目に言語を勉強するなんてなぁ」
言葉とは裏腹に表情は穏やかなものだった。学生時代は異国語など嫌々習っていた男がするものとは思えないほどのものである。覚えなければ生活がしにくいのもあるだろうが、学ぶことが誰かの助けに繋がるとハッキリと理解しているのが学習意欲を昂らせているのだろう。
「なら沢山経験して体で覚えよう」
「よし来い!」
こうして大人の隠れた努力は人知れず進んでいく。
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