第42話 二つの終末、一つの選択
俺達は今レインさんに先導されながら窓も無い魔光石の淡い光だけが照らす薄暗い道を歩いている。
「これから君達の処遇について王より直々に下される。逃げようなんて思わないように」
俺達三人は手枷を付けられることもなく、誰かに抑えつけられることもなく、自由の身で歩んでいる。
歩く音だけが目立つ一本道、逃げようとすれば嫌でも目立つ。この環境自体が檻みたいなものだ。逃げる気が無いとはいえ、仮に逃走したとしても出入口は封じられているだろうし無謀でしかないな。
それよりも問題は、俺達に向けられた嫌疑をどうにかしないと父親捜しができないこと。
一体何を求められているのかさっぱり分からない現状。出たとこ勝負のなるようになれだ。
「わっ、眩しい……! どこに出たの……?」
「さっきレインさんが王様がどうとか言ってたから……お城の中じゃないか? まさか牢屋近くの道から繋がっているなんて思いもしなかったけど」
何度も道を曲がったり階段や坂を上ったりして光が漏れる場所に出ると、そこは手入れの行き届いた広く綺麗な廊下。あまりにも俺達が通って来た道とは毛色が違う。この道は隠し通路か何かだったのか。
そして、少し歩いてレインさんが足を止めた場所には圧倒されそうな大きく格式高い扉が佇んでいた。紛れもない王の間だと理解させられた。
「失礼します。アンナ・クリスティナ。カミノテツオ。両名連れてきました。そして……」
「使用人のセクリです」
「──両名の使用人、セクリもお連れしました」
すると──ゆっくりと重厚な扉は開かれ、壮麗な謁見の間が開帳される。床も壁も一級品と思わせる高級さと静謐さを感じさせる彩りをしていた。
複数の騎士を整列させ、長い絨毯の先の玉座に腰を掛ける一人の姿。
その脇には意味深に大きな布で覆われた何かが置いてあった。
「膝を突き首を垂れよ」
その言葉の圧、状況。従わなければ騎士達の刃が向けられる未来が簡単に想像できた。俺とセクリは片膝を突きすぐに敬服の体勢を取るが、アンナは疑問を浮かべ止まってしまっていた。
「アンナ……俺達と同じように」
「……!」
小声で真似するように伝え、慌てた動きで片膝を突き俺達は同じ体勢を取る。
「まずは初めまして、私はクラウド・サンライズ・ライトニア。この国を統治する者です」
随分と若い……この世界の人ってみんな若々しいから何とも言えないが、多分二十代にも満たないんじゃないか? でも、この空気。未熟な王と侮れない格が威圧感が備わっている。生まれながらにして王になることを宿命付けられたような。無作法な行いは死への階段を昇ってしまうと本能的に悟ってしまう。
まるであの神様と出会った時のような感覚だ……圧のおぞましさは桁違いだけれど……。
「1人、話に無かった方がいるようですがまあいいでしょう。早速あなた達の処遇についてお話します」
前置きも無く自分達の運命が決められる言葉に緊張が走る。目の前にいる人物はそれを決められる人物。恐らくこの空間にそれに異を唱える者はいないだろう。
この空気の流れる音さえ聞こえない静寂。彼の言葉以外の音が一切聞こえないことが証拠となるだろう。
「まずはアンナ・クリスティナさん。惨劇の斧を所有した件について、不問にさせていただきます。これから錬金術に励み貢献することで私達の判断が間違い出なかったと証明してください」
その言葉に俺は安堵した。受験で合格したとか成績が良かったとかそんなレベルじゃない。この先何を言われても受け流してしまいそうな程、心の荷が下りた。
錬金術士は大事にされる存在だということだろうか? 何にせよ、子供の未来が暗い方向に進むことが防げて良かった……。
「えっ? どういうこと?」
「もう大丈夫ってことだ。牢屋に戻されることもない。明日から普通に学校に行って良いってことだ」
小声で簡単に説明すると。アンナも安堵の溜息を吐いた。
「続き、カミノテツオ。あなたには2つの選択肢が与えられます」
「選択肢。ですか?」
「ええ。用意を──」
想像してなかった言葉。問答無用で処刑されるか、良くても獄中暮らし。本当に運が良くて不問される。選択肢が与えられるということは選ぶ必要がでるということ。もしかしたらという期待が体を駆け巡っていた。生きてアンナの夢を叶える手助けができる未来。
用意と言われ在中する騎士達が動き始める。その歩む先は分かりやすく目立つように布で覆われた何か。
布が取り払われると、分解された何かがあり、それを組み立て始める。
一つ一つ組み上がる毎に都合の良い考えは消えていく、自分で自分の表情が曇っていくのが分かってしまう。木製の台座や門のような柱。そして、取り付けられる巨大な刃。
その姿を見た指先から冷たくなっていくそんな感覚に襲われる。実際に目にするのは初めてでも、認知度が高い処刑台。
「それはまさか……」
断頭台。
首元に真冬の夜以上の寒気を感じ思わず摩り撫でる。そして分かりやすい未来が脳裏に映った。
「こちらで首を落とす。もしくは──」
騎士が壁に手を触れ、魔法陣を描くと白い壁が霧のように溶け、禍々しい漆黒の扉が姿を現し、錆び付いた金属の唸り声と共に開かれる。
扉の先は光もない転移の門を思わせる深淵の如き暗闇。中から時折漏れ出す金属が軋む音が獣の唸り声にも聞こえてしまう。何も見えない不明瞭な未来が襲い掛かってくる。
自分の最悪が最善の死に方かもしれない。
「こちらの中で別の処罰を受ける。どちらかです」
「えっ!? そんな──!」
驚愕の声を上げたのはアンナ。予想に一番裏切られたと感じるのは無理も無い。これでは結局殺すということ。治療をした意味が無い、訓練場で倒れた時に処刑すれば終わった話。
可能性の一つとして目の前で死体を確認しなければ安心しない人間だという考えは彼女には無い。
「……理由は話しておきましょう。惨劇の斧の力を解放した強さ、これまでの使い手と比べても圧倒的、加えてあなたを依り代に顕現するのが目的とあるのなら。再びがありえるでしょう。レインであっても抑えきれない危険性。我が国最高峰の戦力であってもあの有様。次が起きたらどんな被害に見舞われるかわかりません」
(……なるほど。ダメだったか。でもここで諦めたら――)
あの場で出来る事はやり尽くしたと自負している。それでも認められなかった。暗い未来から抜け出したと思えば、最低価格の不用品の烙印。その場から救い上げられ居場所を感じられたかと思えば、命がけのダンジョン。新たな力を手に入れ、これからだと思えば死の選択。
受け入れることはできない。
「あの──!」
「質問は許可しません。これがあなたに与えられる心ばかりの温情です」
「そんな──ぐっ!?」
抗議の為に立ち上がろうと片膝を上げた瞬間、レインさんの手が肩を押さえつけてきて立ち上がる事を拒まれる。まるで万力に挟まれたかの如く微動だにできない。
「わざわざ与えられた選択肢を潰すような真似はしない方がいい」
「まさか本当にテツを……!? じゃあなんで?」
この状況じゃもう逃げられない……隙なんてどこにも無い。
どうにかなるだろう……そんな甘い考えは心のどこかに確かにあった。事実アンナは投獄されることなく一人のマテリアの生徒に戻った。そのついでに俺もお目こぼししてくれるかもしれないと。
惨劇の斧を使ってレインさん達を地に転がした事実。俺がレクスと交代して作った光景。俺が望んだ。つまりは国に甚大な被害を及ぼしかねない爆弾ってことだろう。
元々の価値が違う。錬金術が重宝されるライトニアにとって錬金術士は貴重な人材。
俺の価値はあの場所から変わってない「100キラ」。
むしろ、選択肢が与えられるだけ王の言葉通り「温情」だろう。
二つに一つ。
鏡のように磨かれた、肉も骨も豆腐のように切ってしまいそうな幅広の剛刃によって自らの首と別れるか。
通ってしまえば二度と外に出られない、どんな死に方をするか想像がつかない最悪を想像するしか出来ず。自らの意志で死に踏み入れるか。
異世界の終末にしては贅沢にも死を選択する権利を与えられた。
「さあ、選択を」
レインの抑えも消え、自由の身となる。
誰も邪魔しない、最後の自由を。
どうすればいいのか?
ただ立っているだけなのに視界がグルグルする。よろめいても周囲を見渡しても誰も何も言わない。死を望む声も罵倒も何もない。ただ視線だけが俺に向けられている。本当に俺だけの心で選ばせようとしている、誰かに何かを言われたから、命令されたからという逃げ道を無くすかのような。残酷なまでの無音。自分の呼吸音だけが音を出している。
戻れない人生の分岐路を間違えた、将来へ進む電車に乗り遅れた時のような脳のてっぺんから一気に冷えて思考が停止していく感覚。
落ち着け……冷静になれ。何となくで動いたら最悪に転げ落ちる! 決めたじゃないか、アンナの為に死ぬのも悪くないって。たった一つの命、アンナに二度助けてもらった。ここで平穏な幕引きを行うための代金。
安いものだ。そうだ101キラの俺が今できることはこれしかないんだから。
そうだ、よく見ろ! 覚悟さえ決めれば恐怖なんてないんだから。ほら、ギロチンだって黒い門だってどんどんと小さくなっていく。俺の心の強さが──!
「どこに行くんだ? そっちは進む道じゃないだろう?」
「……え?」
背中に当たる冷たく硬い感触。振り向けばレインさんの突き出された手の平。その背後には救いともとれる重厚な門がより大きく見えていた。前に進んでいるかと思えば後ろに下がっていた。誰にも何にも言われなければ無意識に逃げを選択する。それが俺。
最後に出会うのは最後に自分を動かすのは自分の一番嫌いな部分なんだろう。
……これが、本当の俺の気持ち。死にたくない。逃げたい。選びたくない。生きていたい!
「あ、あの……俺──!」
死にたくない。
「────」
そう言えたら、土下座でもなんでも媚びを売れたら楽だったんだろう。
でも、不安で押しつぶされそうなアンナの顔を見たらそうも言えなくなった。この状況だって針に糸を通すぐらいのほんの僅かな奇跡で成り立っているのかも知れない。最後の最後くらいは覚悟を決めた大人としての姿を見せないと、せめて死に方ぐらいは自分で決めないと。
「あの門に入ります」
首を落とす瞬間なんて見せたくない。きっとその姿は彼女にとって呪いになる。亡骸は枷になる。
それにギロチンなんて前の世界にもあったんだ。結末が同じなら異世界ならではの死に方を体験しよう。
後は願うだけだ。
「アンナ! 最高の錬金術士になれよ! セクリ! 俺の代わりにアンナを頼んだ!」
「テ──!」
「ダメだよ」
本当、最後まで良い子の姿を見られて良かった。駆け出そうとするアンナをレインさんが止めてくれている。それでいい、これでいいんだ……迷わず進める。
後悔が無い? そんなことはありえない。今だって後ろ髪引かれてる。アンナと父親が出会う絵を見ることも無く、何も成すことなく終わる。
この真っ黒な門。世界に転移した時を思い出す。あの時は本当に希望に満ちていた。どんな未来が待っているのかどんな景色が見られるのか。何もかもが楽しみだった。
でも、目の前のこれはただ行く先が決められた黄泉の国。
嫌だなぁ、結局は寿命がほんの少し伸びただけなんだなぁ。これから先もっと楽しくなると思っていたのに……。
逃げてえ……でも、これが俺が選べる綺麗な終わり方なのかもしれない。
大きく息を吸って、吐く。これが最後の呼吸か……。
「──さよならだ」
一歩踏み込んだ瞬間に大量の何かに全身という全身を掴まれ、声を上げる暇も無く引きずり込まれる。光の無い闇の中、寒気を誘発させる金属音だけが耳に届く。
叫ばない、痛みも恐怖も全部飲み込む。万が一でもアンナに届かせてはいけない。
身体の自由は奪われ、丁重に寝かせられたのが料理の盛り付けのように生死が決定付けられたかのようだった。
浮遊感と同時に重力の向きが変わる。
身体の自由が戻っても足掻く気は起きなかった。
ああ、これは落下刑というやつなのだろう。身体を撫で続ける空気の感触、何も見えず何時激突するか分からない恐怖。到達地点には何があるのか。
短い振り返りの時間だろう、けど、俺の思い出は本当に些細なものしかなかった。こっちに来てからの記憶ばっかりが繰り返される。アンナの笑顔ももっと沢山見たかったなぁ。
こんな暗闇で最後に待っているのは足から砕けるような激痛だろうか? その痛みを理解しきる前に意識は飛ぶの──
(あっ──)
足に何かの感触が訪れた。
身体が滑るように横に倒れていく。
全身に何も感じない。感じなくなった。これが俺の最後。
こんな真っ暗な中誰にも見届けられることも無く、黄泉の国に旅立っていく。
異世界に来る前から頑張ってれば良かったのだろうか? でも、そうだったらここには決して来てないだろう。最低価格ながら頑張ったと納得するしか──
………………何かおかしくないか?
激痛が待っている。と思っていた。痛みの認識を脳が拒否するレベルのものだと思ったけど。何か変だ。
確かに何か触れた。今俺は倒れている。紛れも無い事実だが、これが死の感覚なのか?
そう迷っていると目の前を覆っていた真っ黒な闇がカーテンを捲るように消えて、ついさっき見たことのある王室が視界に広がる。
もちろんアンナとセクリの後ろ姿もはっきりと見える門に視線が向けられている。黄泉の国の幻術? いや、見間違えるはずはない。堂々と座するクラウド王もいらっしゃる。
騎士の人達の視線が俺に向けられる。王の視線もこちらに向けられ誰も何も口にしない。ただ、空気が変わった。異質な雰囲気を感じ取ったのか、二人は振り向き、表情が固まった。
「え──?」
「あれ──?」
聴き慣れた声が耳に届く。変な着地体制をしている俺の視線とアンナとセクリの視線が向き合い目が合った。
俺はゆっくりと立ち上がって、ふらつく足で石のように固まったアンナに近づいて頭を撫でると確かに感触がある。幽体離脱してる訳じゃない。
時間が止まったかと思うぐらいに誰も動かなかった。いや、俺も何が何だか……。
「ちょっと失礼しますね」
そう言ってセクリは俺が入り込んだ闇の扉に足を踏み入れる。
すると、さっき俺がいた場所の上に黒い渦型の何かが形成され、そこからセクリが落下してきて。綺麗に着地する。無論傷一つ無い姿で。
「どういうことですかぁ!!?」
「これにて刑は終了ですね。では、これより今後の事をお話しましょう」
腹の底からひねり出す程の俺の叫びも何事も無かったように。いや、済んだことを蒸し返さないようなあっさりとした口調で俺の決死の覚悟が流される。
「ちょっと待って! もしテツがあっちを選んでいたらどうなってたの!?」
「それは選んでみないとわかりません。選ばれなかったのですから。目に映るのも意識が削がれるでしょうから片付けておいてください」
もしもを否定する答え合わせと言わんばかりに上がっていた刃は落とされ、首を入れる穴は銀色に埋め尽くされた。あの穴に首を入れてしまっていたら……。
その後、ギロチンは瞬く間に解体され王の間から持ち出されていく。
「まずはこちらをお返しいたしましょう」
綺麗な台座に飾られ俺の前に持ち運ばれた剥きたて卵みたいな白い刃の斧。見たこと無い何かかと思えば竜の装飾に見覚えがある。まさかこれは──
「レクス? こんなに白かったか? ……えっ、今お返しって?」
「ええ、あなたを正式な使い手と認めました」
???
「いやいやいや、何故ですか!? そもそもの発端は危険だからと。国に被害をもたらすからって。力に溺れるからってアンナを投獄するって。俺を処刑するって話は嘘だったんですか!?」
あそこまでやっといて全部無かったことにします。なんて納得できるわけない。
あれが全部演技だったのか? いや、レクスの動きは本物だ脚本ありきじゃ悲惨なことになっている。どこからだ? どこまでが演技だったんだ?
「あの言葉に嘘はありません。アンナさんを投獄することも、鉄雄さんも処刑することも。ただそれは国にとって害のある存在だと判明したらです。良くも悪くも使い手に影響されることは事前に判明していました。ここで問題となるのは、斧を持ち何を成したいのか? 何のために振るうのか? ということです」
「つまり、俺の心構えを知りたかった? そのために? ということは訓練場に連れて来られた時点で演技は始まっていた!?」
その言葉に肯定としての頷きを見せてくれる。
「最も知るべきだったのは暴走の力を引き出すトリガーが何なのか。利己的な心の持ち主なのかどうか。ですが、あなたは違った。自身が助かる為でも他者の理想を叶えるためでは無かった。言葉にするなら他者の尊厳が踏みつけにされた時、つまりは愛ですね」
この王様真面目な顔で何を言っているんだ?
「正直『これ』で暴走を引き起こさなかったら私としても辛い所があったからね。アンナちゃんに手をあげずに済んで良かったと思う」
物騒なことを言いながらアンナに手渡される紙束。
「これって! わたしが、わたし達が書いたレポート!?」
「何っ!? 破かれたんじゃなかったのか!?」
一枚一枚捲ればはっきり覚えている文字や挿絵。見間違うはずの無い共に書いたレポート。
じゃああの時のは何だった? 確かにバラバラに破かれた。見間違いじゃなかったはずだ。そうじゃなかったらレクスに力を手を伸ばしたりはしなかったぞ!?
「ちょっとした遊び心だよ。あの時破いたのは表紙だけは精巧に後は適当な文字を書き記したまったく違う紙束。本物は破く前に別の場所に移動させたよ」
「はぁ~~……よかったぁ~~」
色々と安堵したのかアンナは腰が抜け床にお尻からついてしまう。その胸にレポートを抱きしめて。
掌で転がされたようで複雑な気持ちだが強者ってのは変な遊び心ばっかり身に付けるものなのか?




