第40話 キミは誰のモノ?
「これ以上は必要無いから……これ以上は怖いから……もう、いいから」
筋骨隆々の男達は地に転がされ、白銀の鎧は地に伏し、最強の騎士は見せつけのように磔とされている。狩りとは違う、決闘とも違う。惨劇とも言える光景が広がっていた。
「……違うぞご主人。この結果は始まりにすぎん。こ奴らにわらわを捕えるように指示した人間を屈服させて初めて勝利と言える。ここで手を引いても逃げる場所など無い。今度は組織的に攻めてくるかもしらん。やるなら最後まで徹底的に。だ」
痛痒の欠片も無い撃たれた手をわざとらしくさすりながら冷静に淡々と安寧の進路を話す。鉄雄のアンナを守る願いをレクスが叶えるために。
「とにかくテツに戻って! わたしはこんなの望んでない!」
強まる感情から零れる声には、レクスを明確に拒否する強い想いがこもっていた。
「はぁ~……神野鉄雄に何ができる? この半端な状況からより良い未来が作れるほど奴は有能か? この力が無い神野鉄雄になんの価値がある?」
残酷なまでの事実。圧倒的な力で誰もを封じアンナを投獄することはできない。
この状況で鉄雄に戻れば何もかも元通り、訪れるのは確実に投獄される未来。
アンナが平和に暮らせるという願いは叶わない。
「ずっと思っておったのだろう? 情けなくて煩わしくて。守らねばならぬ弱き者だと」
「そんなこと──」
「あるだろう? 事実お主はダンジョンで命がけでこ奴を助けた。そうしないといけない程弱者だと理解しておったのだろう? それがどうだこの光景は? お主に仇なそうとした騎士共は全員このあり様。わらわこそ強くて自分の盾となってくれる理想とした望んでいた使い魔の姿ではなかったか?」
遮るように放たれる言葉はアンナが口を噤むのに十分な事実となる。言葉一つ一つが自身が僅かにでも思っていた不満と要望でもあったから。
「返す言葉も無いのなら、わらわは次に──」
それでも──
「待って……これ以上は許さない」
「わかっておら──」
「さっきからずっとわかんない言葉使ってるんじゃないの!!」
訓練場に収まりきらない怒声にレクスも思わず後ずさり、倒れ俯いていた者達も視線を向ける程。
彼女の感情は爆発した。
「わたしが関係していることでわたしをのけ者にしないでよっ!!」
朝起きたら外にいてよくわかんないことになってるし、テツはスヤスヤしてたし。レインさん達に声をかけても何にも答えてくれないし! すこし寒かったし!
「ここに来てからみんながみんなわかんない言葉で話進めて! わたしを置いてきぼりにして! レポートも破かれるし! テツはレクスになるし! くっぷくなんて言うし!」
わたし達ががんばって書いたものがビリビリにされるし、思い出しただけで心がズキズキする。いくらレインさんでも許せるわけない。
みんなして難しい言葉を使って会話するから何を言ってるのかまったくわからない!
それに、テツが頭を下げてくれたとき。本当につらかった。わたしのためなのはわかっていたけど、勝手に話が進んでいくし頭に入ってこなかった。
「簡単に言えば、これは必要なことなのじゃよ。1番偉い人間にわらわ達を自由にしてもらう。そのための交渉をしなければならん。こ奴らはいわば人質じゃ」
テツの声で、上から目線で、わたしのことを考えてるような言葉……!! テツの言葉とは違う。弱くても、本当にわたしのことを想ってくれてた。レクスからは嘘しか感じない!
「わたしはそんなこと望んでない!! テツといっしょに錬金術の勉強してお父さんを見つけるのがわたしの目標なの!」
そうだ。わたしがここにマテリアに来たのは、お父さんを見つける手がかりを探すためだった。
確かに使い魔を手に入れるとき、強いとか頼りになるとか、そんなことも願ってた。でも、召喚して出てくるのはあまりにも強そうで、従えることができなさそうで、なによりもいっしょに歩いてくれる姿が想像できなかった。
それから出会ったのがテツだった。最低の出会い方だったけど、今はあの出会い方じゃないとテツと会うことはできなかったと思う。
「この場をどうにかせねばいかんというのに……これだから子供は経験が浅くて困る」
その姿はきっとテツの願い。ずっと、ずっと……あの競売場の出来事が心に残ってるんだと思う。
わたしがちゃんと言ってないから戻ろうとしないんだ。だから言わないとダメなんだ。でも、それはレクスのときに言うべきじゃない。
「わかった……わたしがあなたより強ければいいんだ。惨劇の斧にみんな怯えているからダメなんだ」
わたしはテツが必要だって。そのままのテツが好きだって。
わたしとは違う見方ができて。いろいろなことに怯えて。ぜんぜん力もなくて。でも、わたしのことを必死で守ろうとしてくれて。
これかもいっしょにいてほしいって。
「はぁ?」
「テツは穏やかで甘いから……ぜったいに悪い使い方をしない。でもあなたはひどいことをする。あなたをわたしが抑えればみんな文句を言わない。だからあなたをくっぷくさせる」
そんな鎧は脱がせて、武器を手放させないと。
「何をバカなことを言うておる? 誰がわらわに負けたか理解しておらぬのか?」
「止めるんだ! 君じゃあ──」
「レインさんはだまってて!!」
「おお、怖い怖い。第一わらわがお主と戦って得する事などない。この会話もただの事前報告にすぎん」
ある。そもそもレクスが何でわたしに従おうとしてるのかわからない。テツのお願いが何か関係しているのは確かだと思う。だってこんなに強いならテツの身体を盗んだときに逃げることができるはず。
でもしない、ううんできないのは──
「わたしに勝ったらテツの使い魔契約を解除するわ」
「──何?」
驚くぐらいぴったりと目が合った。やっぱりそうなんだ……。
たぶんテツと契約した影響がレクスにもでてる。テツを完全に乗っ取っても首の鎖が解けるわけじゃないから。心は違っても身体がテツだから色々と制限があるんだと思う。この鎖についてはまだ詳しいことは知らないけど、わたしに危害を加えることはできなくなって、わたしが本気で命令したら逆らえなくなる。
「でもわたしに負けたらレクスもわたしの使い魔になってもらうわ」
「くくくくく! はーっはっはっは! とんだ阿呆がいたものよ!! この男の精神状況は理想的だったが戒めの鎖だけは邪魔だった! これさえ消えればわらわはこの世に再臨できるのじゃ! この地最強を倒したわらわに敵は無し。吐いた唾は飲み込めぬぞ?」
また難しいことを言ってる……。
「あの人に勝ったことがわたしに勝てる理由にならないでしょ? 今こそ本当に使い魔契約を行わせてもらうから! テツ!! ぜったいに邪魔しないでよ。したら! ……えっと、嫌いになるから!!」
ぜったいのぜったいに勝つ!
わたしにしかできないからわたしがする! ほしい未来はわたしがつくるしかないから!
「さて、勝敗はどう決める?」
「殺す気で来ていいから。そうじゃないとあなたも後で文句言ってきそうだし」
本来の使い魔契約は対象を武力なりカリスマ性なり貢物なりで鎖を繋ぐことにある。
『召喚符』は望んだ相手を呼び出す媒体にすぎず、望んだ対象に出会うのならば自分の足で見つけたり、競売で購入しても結果は同じ。
問題は従わせる条件。鉄雄に対して言うなれば金銭取引でアンナに買われたという意識も大きいが、何よりも「居場所」の提供が従者としての心を育んだ。
レクスを従わせることなど交渉の場を設けることなど本来は不可能。だが、自由というエサが交渉を可能にさせ。武力で叩きのめすことが契約条件となった。
「主の言葉には逆らえんからのぉ~! 遠慮なく行かせてもらおうか。後味悪くとも、結果は変わらん。この首の戒めから解放されるとしようか!」
千載一遇のチャンス。逃す訳がなかった。
契約の楔により主人であるアンナに危害を加えることは不可能。無理矢理乗っ取り攻撃しようとすれば主従契約の刻印が作用し鉄雄の命は消える。その時点でレクスは操作が不能になる。
鉄雄はレクスにとって理想的だと言った理由。単純明快に力に溺れなかったこと。過去の使い手はレクスが割り込む余地も無く、強欲に暴力的に力を利用しあらゆる物事を貪り嬲り尽くした。そして、過ぎた力は全てを敵にし、自身を蝕む毒となり潰えてしまった。
契約の鎖は使い魔が主人を攻撃しない心の檻、それは洗脳や催眠といった外部からの干渉を防ぐ防壁でもあった。故にレクスは完全に乗っ取ることができず行動に制限が掛けられる。
アンナとの契約が消えれば鉄雄は肉体と精神共に自由の身となる。
「わかんないこと言ってないで始めるよ!」
(勝ちは決まった!!)
この戦いは主人が望んだもの。
鉄雄のストッパーも起きえないほんの一時の条件付き限定解除。アンナが負ければ鉄雄の意識の行先は分からない。最悪の形で負けてしまえば、その現実に耐えきれる男ではない。
さすれば中身の無くなった肉体を埋めるようにレクスが現界へと再臨する。
「勝負の世界に待ったは無しじゃ!」
腕をアンナに向けると黒霧が収束し纏わりつく。即ち主従の支配から解き放たれた証明。
錬金術士は道具を持ってこそ。魔術を扱えてこそ。寝間着一つの杖も無い、己の価値を示す錬金道具を持たぬ錬金術士はただの人。
逆にレクスが纏う黒鎧は物理攻撃も魔力攻撃も防ぐ代物。振るう黒斧は最高峰の盾を喰らう。
多くの人間や獣達を屠ってきた絶対的な力。万が一にも負けは無いと自負していた。
「これで自由じゃ!! 純黒の無月!」
目の前に極上の肉の垂れ下がっているのを見て飛び掛かる飢えた獣の勢い。
魔術による反撃はありえない。目立つ筋肉も無い少女。勝利を確信しない方が難しい。レストランの個室で料理を食べるぐらいの安心感。
(これで外の世界を堪能できる! こ奴の身体が男なのは気にくわないが、こんなチャンスなど、もう二度と訪れることも無い! この算段が見透かされないように信頼を得るのは大変だった。身体に力を馴染ませ自由に扱えるようにするのにも時間がかかった。膨大な記憶を読み取り力を振るう鍵を探すのも骨が折れた。その苦労も今果たされる! まずはこの国を出て適当な旅に出るのも良いな。非統治国家を支配しわらわが王となるのも悪くない)
レクスには悪癖があった。自分でも気付いていない、気付くことの無い癖。
慢心に加え死に対する恐怖が無い。成り代わった相手が死んだとしてもレクスが死ぬことがない故に危機感もまるで薄い。
「──は?」
ただ、それでもレクスが知るべきだったのはただ一つ。アンナは純粋な人間でなければ獣でもない。
描かれるはずの三日月の軌跡は砕かれ、目の前で起きた事が理解できていない素っ頓狂な顔を晒していた。
魔術は使えない、防ぐ手立ては無いと絶対的な自信を確信を持っていた。
だが事は単純に解決した。特別なことは何一つ無い。アンナの左手は消滅の力が纏われていない惨劇の斧の柄、籠手に包まれた手を包むように掴んでいた。黒刃が首元に届く前に。
物理的に解決した。
「──捕まえた」
「ばかな……あんな方法で……!?」
アンナは惨劇の斧を身近に見ていた、消滅の力も吸収の力も。そして、便利な道具としても利用していた。故にどれだけ派手な技を使おうとも道具としての機能をはっきりと理解していた。
誰もが危険性を知るが故にできなかった。悪い想像だけが先行しこの手段を選べなかった。
空中に縫い付けられたかのように前後左右手を振ろうとしてもピクリともしない。
「そんなことをしたところで──ぐっ!?」
宙に黒刃を生み出そうとした瞬間、強く腕を捻られ不発に終わる。
苦痛に歪み、集中が乱されれば発動できないのは悲しくも誰も変わらない。
(……なんだその目は!? 片目の色が変わっておるだと!?)
レクスの知識に無い異様な変化が目の前で起きていた。アンナの左目の白目が黒く、銀灰色の瞳は金色へと彩られた。
「ものすごく痛いのをするけど、テツならだいじょうぶだよね?」
オーガは魔力よりも身体能力に長けた戦闘種族。時代が流れるにつれ争いは減り粗暴さは薄れてきたが強靭な身体は変わらない。使い道も戦闘以外にも増えていった。
その力と人間の知力と魔力が合わさった半鬼がアンナ・クリスティナという少女。人間という物差しで測ってはいけない。
作られる右手の拳骨は魔力なんて微塵もない、無強化、身長差、そんなことは些細な問題。子供が親の作る拳骨を見たら身を縮めるのと同じように当たれば無条件で痛いと遺伝子レベルで理解させられた。
「っ!? いいのか? こ奴の身体がどうなってもいいのか!?」
強化した身体であってもアンナを振りほどくことができない。もはや言葉で揺さぶることでしか活路を見出すしか──
「歯を食いしばっておとなしく負けを認めなさいっ!!」
「ぐぼぁっ──!?」
揺さぶりなど意に介さず、大砲の如き褐色の一閃がレクスの、いや鉄雄の腹に激突し鎧を容赦なく砕き大きく吹き飛ばし地を滑り、電車道の跡を痛々しく残した。
「ぐほっ! げほ! ぐぅ……うう……ああ……! ば、ばかな……!? これが、痛みなのかっ!? とんだ弱点もあった……もの……」
膝をつき全身の黒鎧も霧散し、呻きながら拳を叩き込まれた腹を抑えるしかできなくなり。弱々しい笛の音のような息が漏れ出していた。
もしも鉄雄とアンナが手を合わせることがあればこんな結果にはならなかっただろう。最もアンナの強さを認め、尊敬している相手なのだから。
油断することは絶対にありえない。
「ねえテツ……レクスを使いこなすんでしょ? そろそろ目を覚ましてよ」
勝者と敗者は誰の目にも明らかだった。




