第39話 流れる時が重ねたもの
僅かな静寂、霧を揺らめかす踏み込みと共に黒と銀、互いの刃が交差する。
「ほう……! 消滅の力に抗えるかっ! 長生きするものじゃな!!」
消滅の力を纏う惨劇の斧と打ち合える武器など彼女の記憶には無い。
あるのはあらゆる武器や防具を熱したナイフでバターを切るような手応えの無い破壊。新たに記される手に響き伝わる感触、値踏みするように一合二合と剣戟を重ねていく。
「プラチナム製なら耐えられるということですか!?」
「あの鎧と剣は錬金術士と鍛冶士が協力して生み出した特注中の特注。防げない方が問題だ……けれど、そこまでの代物を用意しなければ剣を交える資格すら得られないとは」
「こんなことなら僕の矢もプラチナムで作っておけばよかったか……10発撃てば給料が消し飛びそうだ……」
ミラ・ガードナーが纏う白銀の鎧は特別製。ある種の実験結果、一つの到達点。
錬金術士が生み出した素材を最高の職人が錬成した鎧。妥協無し、予算青天井、職人の理想詰め合わせ。血と汗と情熱と執念と欲望と願いを込めて作られた最高峰の剣と鎧。
装着者には絶対的な守護を、敵対者には絶望的な壁として。
動く姿から見る者は思い思いの名を付ける。『自国防衛の要』『動く城壁』『一騎当千』。その背中が見えたら安全だと言わしめる防衛部隊に相応しい兵装である。
そして、この武具を纏うだけの膂力こそが彼女の強さとも言える。黒斧をあらゆる角度から打ち込もうとしても追いつける俊敏さ、刃の迫り合いになろうとも押し負けることの無い筋力。
装備に相応しい肉体と実力を彼女は備えている。
「そのでかい肩当ても地味にやっかいじゃな! 攻撃のラインが狭まってしょうがない!」
腕以上の長さはある両肩に備え付けられた白銀のショルダーシールド。剣を振る邪魔にもならず左右の不意打ちを防ぐ代物。加えて身体を揺らす程度でも周囲を牽制する武器ともなる。
鎧の時点で過剰防御とも言える堅牢さを誇り。狭い通路ではむしろ邪魔になるとミラから言及されていたが。作成者達のこだわりによって外されることが無かった。
「なら! これはどうかの?」
大きく距離を取り両腕を勇ましく広げ、周囲に黒霧を集束し昇華させ大量の黒い短剣を形成する。それを扇状に黒き尾羽の如く展開し、ゆるりと切っ先が全てミラに向けられ──
「耐えられるかの?」
一斉に放たれた。
視界を埋め尽くす黒刃。一本でも受ければ魔術防御なんて意味なく肉体を簡単に切り裂く消滅の刃。過剰防御に対しての過剰攻撃。幾重にも鳴り響く金属音と共に広がる黒霧。
サボテンの棘を想起させるほど白銀を埋め尽くす黒刃。それらが抜け落ち霧と消えると。
「──くははっ! 本当に面白い!!」
巨大な盾が門のように開き、傷一つ無い姿を現した。
攻撃が届く直前、両肩取り付けられていたショルダーシールドが合わさり巨大な盾となる。今日に至るまで使う機会に恵まれなかった変形機構。過剰防御と愚痴を垂れた過去が報われた。
盾にも鎧にも削られた跡すら残っていない。
「ああ……ずっと待っておった。わらわの撃侵をまともに阻める歯ごたえのある者を! 時代は変われど人は変わらず。期待するのは技術の進歩だけ! ようやく目の前に現れた。そしてその積み重ねを砕くことこそ最上の誉れ!」
目を大きく開き呼吸が荒くなる。
初めて構えと言える型をとり、黒斧が禍々しく黒いオーラを揺らめかせる。訓練場全体を覆っていた黒霧の密度が小さくなる程、力が集中していった。
((──あれは危険だ!))
本能的に察した危険性、ミラは再び盾を結合させると同時にありったけの魔力を込める。レインが駆け出すのとレクスが動き出すのが無情にも同時。
魔術の制限、強化術の有無、間に合う理屈はどこにも無く。黒斧が捉えるのが圧倒的に速い。もはやミラも防具を信頼する他無かった。
「純黒の無月」
黒斧が描く三日月の軌跡。
白銀の盾に向かって薙ぎ払う一閃。傷一つ無い白銀の壁に容赦無く牙を食い込ませ、歪な金属音を刃が奏でて猛進する。黒刃を止めること叶わず、深い亀裂も刻み付け両断した。
黒き余波は盾を貫き鎧にまで牙を届かせ抉り取った。
「…………くはっ! ははははは!! これよ、これがわらわがここにいる実感っ! この機会をずっと待っておった甲斐があったと言うもの!!」
二度と元の姿には戻らない程無残な姿に成り果てた大盾。鎧の胸元が抉れ天を見上げて倒れるミラ。上機嫌に悦に浸り興奮に委ねた高笑いするレクス。
勝者と敗者は明らか。
それに水を差す一閃。
「──おっと! もう少し浸らせてくれても良いでは無いか? 最強の騎士とやらは待てもできないのか?」
「その褒美だと思ってくれて結構!」
笑みは消えない。上等な料理が連続で並べられたかのような高揚感に包まれていた。元より全てを平らげるつもりであった。
唯一の不満点は残された二人がレインと比べても弱者であり喰い応えが無いこと。
(やられた腹いせか? いや、わざわざ3人捨て駒にして手札を暴こうとしただけある。攻めに迷いが無い)
魔力を奪われる環境下。魔力に頼った人間にとって血を吸われ続けるようなもの。絶対的不利は変わらない。本来の半分以下の実力で戦うことを押し付けられるハンディキャップ。
なのに──
(速くて鋭い! 過去を遡ってもここまでのはおらんかったの)
彼女のレイピアもまたプラチナムの特別製。軽装な防具は速度を重視した造りとなっている。
未来を読まれているかのように黒鎧を掠る剣先。迂闊な大振りをすれば確実に体勢を崩される。彼女の実力なら悠々と実行できる。そんな敵としての信頼感。
(しかし……負ける気はせんな。力の入れやすさが段違いじゃ。こ奴にとってこの女は特別というわけか)
誰かを守るために使いたい。その心に嘘は無くとも。あの日の出来事は心に刻みつけられたトラウマそのもの。
忘れることが一生できないであろう屈辱的な数値の差。自身の価値を決めた要因の大きなピース。覆したい、男としての意地が支配下に置かれていてもその身を滾らせていた。
(このまま攻めて武器を弾き飛ばせば勝機はある! ミラで抑えられないなら受けで止められる者は世界中で存在しない!)
冷静な仮面を身に付けてもその下には焦りがある。
防御不可の絶対破壊。稚気とした遊び心を宿した時でなければ剣戟を交わすことも叶わない。
出力を上げる暇を与えない連撃。斬り、突き、払い。ただ人として重ねた技量が一歩一歩確実に追い込んでいく。
しかし、一手違えば全てひっくり返されない盤面。相手の手札も全て判明していない。その一枚一枚が必殺級だと。レクスは単純な年季で言えばこの場にいる誰よりも長く重ねている。加えて戦闘密度も国を相手の大立ち回りが当たり前。
個としての強者も軍としての強者もどちらも味わっている。
「喰らうがいいっ!」
黒斧に纏う力が一層高まり、飛び掛かるように上方向から放たれる大振りの縦振り。
視線が一瞬、黒斧を追いかける。その隙を突く様に同時に放たれる足元より迫りくる黒い牙。
上下から噛み潰すように二方向から襲い掛かる。
「見えているよ──」
脅威を囮にしたフェイント。レインはそれを直感的に理解し余裕を持って大きく宙返りをしながら回避する。
「見せておったのじゃ──」
だが、着地した先に沼のようにたまった黒い霧。嫌な感覚が足に広がり踝まで埋まってしまう。
脱出する間も無く鉱物のように固まり、動きを封じた。
「こんな搦め手まで!?」
「安心するがいい、それに消滅の力は込められておらん。ただ、魔力を吸収する力は込められておるがの」
そのままゆっくりと侵食するように脛、膝、太ももへとタールのような粘り気を持った黒沼が伸びていく。
「レイン!?」
「レインさん!?」
この状況は残された二人も読めていなかった。
たった一手で状況が絶望的に変わった。本来ならば覆す手はいくらでもある。しかし、その全ては魔術による手段。魔力が奪われるこの空間では十全と発揮できない。
「お主らもじゃ」
興味の欠片も無く雑にバケツをぶちまけるかのように黒い沼を全身にまとわりつかせる。
「……不思議なものでのう。この技はわらわに無かった。こ奴の知能から生まれた。拘束と吸収を両立させた実に平和的で効率的に勝者と敗者が分かる良い技じゃ」
「くっ!」
レイピアの刃で沼を切り付けても溝ができるだけ、その傷もすぐに埋められる。
抵抗できていた腕にも巻き付き固まり、もはや何もできない。
最強の名を冠した女騎士がもがき足掻く姿に一笑し、気の抜けた緩い足取りで傍に寄る。
「本当に綺麗な顔をしておるのぉ~。剣技の才能にも溢れ実に羨ましい。望んだものなど全て手に入っただろう? ここにいる五人を従え、正義の使者気取りでわらわに刃を向ける。実に心が躍ったのではないか?」
顎を撫で、眼や鼻を舐めるように視線を流す。
「競売所で貴様はどれほどの価値があるのだろうな? こ奴と同じように魔力の核が無くても価値を保てるのか?」
背後にまわり五指を背中の中心に当てる。有言実行。この世界の生物にとって当たり前にある身体の一部を消滅させる。その一連の流れを行おうとする。
黒いオーラが肌の中に流れ込もうとする瞬間。
その手に触れるシャボン玉のような脆弱な魔力の塊。
怪訝な顔で放たれた方向へ視線を向ける。
「おや? わらわは一体誰の為に戦っておったのだろうな……?」
唯一、影響を受けていない者。
「ねえレクス……それ以上は必要ない。みんな戦えない、勝ったんだよ? だから……もうテツに戻っていいよ?」
アンナ・クリスティナが水を差した。




