第31話 呪いの真実と始まり
8月3日 水の日 15時20分 ガーディアス城 尋問室
「ここなら誰にも話は聞こえへん」
城の地下にある誰も来ない石造りの部屋。誰かが近づけば足音で気付き互いの息遣いさえ感じる静かな場所。
魔光石のランプで闇を明るく照らし、後ろ暗い感情が炙り出させる程互いの表情は良く見える。
「バイヤさん、このタイミングで来たってことは何かわかってるんやないか?」
「……君達が知りたいことは全部と言えるだろうな。ただ、ロジオ君。君から話した方がよさそうだ。ここに来た理由が明確にあるんじゃないか?」
図星を突かれたのか、一度顔を背けてしまう。しかし、短く深呼吸をするとアーサリオンに真剣な顔を向けて話し出す。
「アーサー……彼は嘘を吐いている。僕は見たんだ……勘違いで済ませたかった認めたくなかった。彼女が、セロスが黒いナニかに変化していったのを──」
彼が語るは呪獣が現れたほんの少し前のこと。
身重のセロスが心配になり休憩時間になると日課のように一度家に戻るロジオ。その時に異質な雰囲気が家の中から発せられていたことに気付く。
「はぁっ! はぁっ──! 」
「どうしたセロス!? 大丈夫か!? 陣痛? いや、こんなこと今まで無かった。それになんだこの匂い!?」
「っ、っ──」
呼吸ができていない。目が深く窪み、頬がやせこけ始める。
「魔術刻印!? 何がどうなってる」
さらにはセロスの全身にどす黒い魔術刻印が広がり、それだけに留まらず白い肌を黒く埋め尽くすように刻印が広がる。
「セロス!? セロスッ!?」
全身が黒になった瞬間、その身体は大きく膨れ上がり焼け爛れるように表面が崩れ黒い液体が溢れる。
その液体が物に触れた瞬間に溶け始める。
「う、うわああぁあぁあああああっ!?」
愛する妻が面影も何もない別のナニかに変貌した。人の血肉や骨も置き換わったかのように溢れる液体は生物のモノではあり得なかった。
触れる物全てを溶かし、あらゆる生物に嫌悪感を与える悪臭。ロジオは思考を放棄して逃げるしかなかった。
徐々にそれは大きく膨れ上がり部屋を満たして溶かし家を溶かし、中層に顕現した。
「認めたくは無かった……嘘であってほしかった。だが、冷静になってしまえば彼女が化け物になったと認めるしかなかった! 何が彼女に起こった? いったい彼女は何をしたんだ?」
現実を認められたくない彼でも断片的な情報を組み合わせていけば理解してしまう。
解呪によって呪獣は生まれた。これは真実──
セロスの近くで顕現した。これは嘘──
発する悪臭に腐食の力。リリアンの呪いと関係がある──
行き場を失った呪いが偶然セロスを狙った? 考え難い、むしろ必然──
しかし、答えを口にすると心を壊しかねない。何より息子に何と説明すればいいのかわからない。だからこそ鉄雄の勢い任せの演説に異を唱えることはできなかった。
「ほんまに呪い返しで……ワイはセロスを斬ったっちゅうことなんやな」
「そうだ……!! 君が! 妻と子供を──!」
「落ち着けロジオ君。そうか……あれはやはりセロスだったか」
「──っ!? やはり……? わかっとったんか!?」
誰かが変貌したのも半信半疑であったのに、バイヤは誰かまで当たりを着けていた。
「全てを話す為にここに来た。アーサー、君の為じゃない。ロジオの心の整理をするためにな」
「僕の……?」
「あんたは全部知っとるはずやな? セロスが……呪いの道具なり術を使用した理由を! それを商会が持ち込んだ理由を」
「……やはりセロスがリリアンに呪いをかけたのか──」
それが絶対的な真実。
「呪いを持ち込んだのは商会、その事実にはとっくの昔に気付いていただろうに。ただ、証拠も無ければ全てが私1人で行われたわけじゃない。仲間と共に商売していたからね」
「あんたらより前の世代の商人達が手に入れたもんの可能性もあったからな。どこからはわかっても誰に渡るかまでは検討は付かんかったわ」
外から入ってくる品々はガーディアス商会が必ず関わっている。
ガーディアスには呪具も無ければ呪術の魔術書も存在しない。外から入れなければ概念自体存在しないも同義。
だが、秘匿したまま持ち込むことに成功すれば誰にも警戒されず確実に呪いを当てることが可能になる。加えて商会と関わりの深いセロスだからこそ呪具と出会ってしまった。
選択肢が作られてしまった。
「でもどうしてセロスが呪いをかけたんだ? 僕達は幼馴染で仲も良かった、リリアンは野蛮でもなかったし誰かをイジメるような子でもなかった。恨む理由がわからない?」
「君はリリアンの美貌について疑問を持ったことはないか?」
「その話は関係ないやろ?」
「繋がっているさ。それこそが全ての始まりだからだ」
はぐらかす言葉ではないと真剣な表情が物語っていた。
つまり、リリアンの美貌が呪いを受けた原因だと口にしている。
「私も外に出て商人として多くの人と交流し老若男女の顔を見てきた。リリアンが放つ私は愛らしい、私は美しい、そんなオーラに敵うような人は見なかった。幼いながらも彼女以上の美少女とは出会ったことすらない。恐らくは傾国の流砂姫でないと張り合うことはできないだろう」
「彼女については噂で聞いとる……あらゆる国、町、村の男を虜にしとるヴェステツォントの美女。確かにリリーは美人やけどそこまでとは」
己が美人だと理解しており、妖艶な色気に男を惑わす言葉と知力。男と生まれた時点で彼女に敵うことは不可能だろう。一時間もあれば鉄雄は簡単に堕とされていただろう。
「そこまでなんだよ──ガーディアスの殆どの男の心にはリリアン・ガーディアスの姿があった。ロジオ君も例外じゃない」
「僕が? そんなわけ──」
見透かすような表情を向けられ言葉が詰まる。
幼い日々の初恋だったと思い出される。当時のままの姿を少し見ただけで子供の頃共に遊んだ日々が蘇った程。
「男の誰もが彼女を自分の物にしたいと願っていただろう。既婚して娘もいる私でさえ、彼女が娘であったなら良かったと思った程だ」
「何を……言うとんのや……」
「君こそわかっているのか? 私は君以上にこの国の事を知っている。答えを口にした、想像できないのか? 美醜を評価する審美眼は男女共にそう変わらないということ。女性達は鏡を見る度に理解するんだ、リリアンとは違うとどう頑張ったって届かないと。幼子の時点で美女になるのがわかっていた。既にその片鱗は出ていたがな」
黄金を想起させる滑らかな金髪。純白の陶器を思わせる肌。宝石の輝きを放つ金色の瞳。笑顔を見せるだけで満開の花園に匹敵する。澄んだ美しい声はどんな言葉でも名詩となる。
何よりあの父と母の良いとこ取りに加えて神の加護が与えられた美貌。
数百人の女性の集団がいてもリリアンだけに視線が注がれるであろうオーラも携わっていた。
だからこそ、メイグはアーサリオンは妻を殺した仇だと頭で理解してもリリアンが近くにいたおかげで愛が憎しみに変わっても、セロスに対する愛自体が薄れてしまった故に冷静になった。
「それがセロスがリリアンに呪いをかけた理由って訳なんか!?」
「それ以外に理由なんて無い。何よりも娘の恋した相手がロジオ君だったがロジオ君はリリアンに恋をしていた。好きな相手だから余計にわかったのだろうな……」
「まだ十歳やないか……」
「その年でわかってしまったのだろう。どんなに自分を磨いたって敵わないと残酷なまでの真実を」
「でもリリアンは王女や、それはセロスもわかっとったはずや。然るべき相手と結ばれることになる、ロジオと共に歩くことには滅多なことでは起きん! ──まさか、その僅かな可能性も恐れてか!?」
ゆっくりと首を振る。
ロジオとリリアンが結婚する可能性があるから呪いを使ったという訳ではない。
だが、語られる言葉は残酷だった。
「違う……妥協で選ばれる女になりたくなった──リリアンが手に入らないからその代わり。叶わないから仕方なく。そして、健康に生きているだけで目の端に映るだけで心の中心にはリリアンが居続ける。そんな未来が見えてしまったらしい」
「聞いたんか……?」
「ああ」
「何時や?」
「十年近く前だったよ。ロジオ君との婚約が決まった辺り、偶然娘が呪物を持っているのを見てしまってね」
「だったら! 何でその時解呪するよう説得せんかったんや!? 都合の良いもんやないことはあんたもわかってたはずやったろ!?」
淡々と素直に事実だけを伝える口調に怒りを覚え声を上げてしまう。
それでもバイヤの心は揺れ動かない。
発覚当時、彼はセロスを説得する言葉を持ち得なかった。彼女の決断は間違っていなかったのだから。
愛する人間の心の内には常に別の誰かがいる。婚約は理想の相手を諦めた妥協となる。恋愛を清算していればまだしも、何もせずに自己評価だけが高い「もしも」を妄想し続ける滑稽な大人であったのならまともな夫婦生活は送れないだろう。
だからこそ呪い。呪いのおかげで強制的に縁が切られた。ロジオの心にはリリアンは消えた。
理想の女性は消えてしまったのだ。
「君が妹の為に何でもするように──私も娘の為に何でもする。と言っても口を噤み続けただけだがね」
「自分が巻き込まれることを嫌ったんやろ?」
「自分が娘を殺さずにすんだとでも言いたいか? だがな、そうしなければ娘は幸せになれないと信じ切っていたからだ。事実、娘は恋敵を退け好きな男と結婚し子供にも恵まれた。ロジオ君も呪われたリリアンを本気で助けたいと動いていた訳ではなさそうだったしね。それにも安心してたよ。女の美貌に何時までも囚われ続ける男にならなくて良かったよ」
「僕のせいだったのか……? リリアンが呪われたのも、この国が過ごしにくくなったのも、何よりセロスが子供が亡くなったのも……」
「…………」
返す言葉が出てこない。
呪いの始まりは子供心の嫉妬。
気付いた時には引き返せない位置まで沈んでしまっていた。呪いで得た幸福を失くすことは呪いで得た不幸を受け取るには──
積み重なり過ぎていた。
「……もっと早く誰かが気付くことはできんかったんか? ワイが外に出とる間に異常とか調べんかったんか? そもそも何で本気で動いとるのがワイぐらいやったんや?」
「やはり国民が解呪に協力しなかったのが不思議に思っていたか……」
「それにも理由があったんか!?」
アーサリオンが受けた協力と言えばグリフォンによる送迎程度。国に戻ったからといって解呪の進展を一切聞くことがなかった。つまり現状維持。加えて臭い物から離れるだけ。
強烈な香りを放つラブレシアンを植えるのもアーサリオンの案。メイグを除いて誰も過ごしやすくしたり解決に力を貸すことはなかった。
そう、不思議な位に力を貸してくれなかったのだ。
「簡単だ、国民の約半数の女が全て協力する気が無かったんだ。男共もそんな女の情報は分かってるからな。協力すれば結婚相手の選択肢に上がらなくなる。狙える相手がリリアンのみになるがそもそも解呪できなければ意味が無い。協力するメリットが無い。まっ、余所者錬金術士と兄妹には関係ないがな」
「嘘やろ……」
国の女性全員の嫉妬が深刻化させてしまった事実に頭を抱えてしまう。
リリアンは国内全女性の敵、その敵を救おうとするなら誰だって敵となる。仮に解呪されて表舞台に立つようになれば全員の理想像へ君臨する。
狭い国内、その美貌から逃れることはできないのだから。
「本当さ、18年大きな反乱が起きなかったのが不思議に思わなかったのか? 国王に本気になって術者を探させたくなかった。理由を与えたくなかった。我々が何もしていないのに国民を疑い始めれば逆にそれを理由に玉座を下す口実だってできる」
「……ロジオはそれを知っとったんか?」
「いや、僕も初耳だ……不思議とは思ってはいたけど……」
最初の内はロジオも解呪に協力しようと考えていたが将来門の守衛として必要な知識や技術を得るために訓練の日々が始まった。その日々をセロスは利用し射止めることに成功した。
「そうか……でも、もう何も言えへんわ……」
「ユーサリイン王は無能な事なかれ主義だからな。奴が率先して娘を救おうと動いていればこんな被害は出なかっただろう。早い段階でセロスが術者だと見つかっていた。しかし、真っ先に娘を切り落としたのだから私達も呆れたよ」
事の発端から解決に至るまでの真実が明らかとなった。
セロスの嫉妬が呪いを放ち。
嫉妬が生み出す連帯感が進行を止め、怠惰が追求を拒んだ。
ただ一人の愛情だけが小さな一歩を積み重ね続け、解決へと導けた。
「……ロジオはここからどうするつもりや? ワイに復讐でもするか? その権利はあるで」
全身から倦怠感が醸し出しているアーサリオン。張っていた気が何もかも抜けていった。自分が味方だと思っていた守るべき民は全て敵だったようなもの。
ここで復讐されて全てを終えても良いとさえ思ってしまっていた。
「いや……しない……この話を聞いて君を罰したいとは思えない。僕にも罪があった。それに残された息子を独りぼっちにさせる訳にはいかないからね……」
落ち着き、一時の感情に支配されなくなったか。
もしくは、幼き日の初恋を思い出し妻の奇行が国を危機に陥れたことでセロスへの愛情が心から消え去ってしまったか。
はたまた、アーサリオンへ同情し刃を振るう気も起きなくなったか。
とにかく、ロジオの心の整理は付いたようだった。
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