第24話 始まる惨禍
8月3日 水の日 13時35分 メイグのアトリエ
「しかし、リリアンさんの解呪が成功したとなると作っていたものの出番が無くなるなぁ」
「ん? なんや、リリーの為に何か作ってくれとったんか?」
「2人の為だよ。時間切れは近かった気がしたからね」
「時間切れ? あの呪いって制限時間とかあったの!?」
事実として制限時間のある呪いは存在する。何日経過すると死亡する、もしくは解呪されるといったパターンの呪術。
ただし、リリアンにかけられた呪術は異なる。条件さえ満たし続けていれば永続的に呪い続ける呪術である。
「そういう意味やない……国民の不満ってことやろ?」
「うん……ここにいると影響はまるでないけど城の近くに住んでいる人達は限界だろうからね」
「ああ、その気持ちわかるなぁ~でも気が長いよね。あたしだったら一年も経たずに大暴れしてるかもしれないし」
全てが済んだから言える言葉である。
「別の場所に引っ越す選択肢があったらからね。この辺りは建てたはいいけど人が住まない空き家ばかりだったみたい。城の近くに住む者が地位があると皆認識してたからからリリアンさんが呪われてすぐに引っ越す者はいなかったよ。まぁ、簡単に捨てられないし出戻りはできないからね」
「結果として十八年かかったからな。今じゃあこのあたりは満室や」
「とは言っても城の近くじゃなくて匂いをわずかに感じる人達が我先にと引っ越したかな?」
中層かつ王城から離れ中途半端な位置に住居を構えた者達は決断が早かった。近くのラーメン屋が濃厚なスープの香りを漂わせる程度の匂い的嫌悪感でもすぐに避難の意味を込めた引っ越し。
逆に王城近くの中層及び上層はすぐに消えるだろうと賭けて住み続けた。洗濯に匂いが付こうと換気すれば悪臭が入ってこようともここに住むことが勲章のように。
結果としてラブレシアンが植えられたのは呪いが始まって五年後。それまでは商人より香を買うなどして耐えるしかなかったが、ストレスや金銭的猶予もあり離れることを選ぶしかなくなったものも多い。
ただし、空いているのは引っ越した中途半端な位置の家屋だけであった。
「そういう意味で時間切れかぁ~勉強になる。ところで何を作ってたの?」
「もう出番はなさそうだけどね。隣の部屋にあるよ」
「じゃあおじゃましま~す」
「ワイらの為に作ってくれた代物を拝見させてもらおか」
三人はメイグが引きこもった部屋にある物を見る。
それは複数存在し、すぐに理解するにはあまりになんてことない見た目であったが、分かってしまえば稼動すれば悪臭問題を確かに解決できる物だと理解する。
「これって小さいけど……」
「うん間違いないよ」
「こんならもっと早く設置できたんやないのか?」
「この国じゃあそれは難しかったよ。確実に機能させるには数が必要だったしなによりメインが成長しなければ逆に毒をばら撒きかねないからね」
強さにはより強い力で対応したアーサリオンと異なり、メイグが選んだ手段はそのものを消し去ること。志は立派でも、間に合わなければ必要な時になければ意味が無い。
とはいえ、自然の少ないこの国でそれを作るのは酷だろうと擁護する心が湧くのも事実。
「──ん……? 何か変な音が聞こえない? 獣の声?」
変化の少ないこの国では国民の営みも穏やかなもの。
国のどこかで発せられた音は何物にも阻まれることなく広がり、ソレイユの耳に届いた。しかしそれは長年冒険してきた彼女にとっても聞いたことのない異音。
聞き流すには直感染みた怖気が無視することを許さなかった。
「この国の獣なんて……っ!? どういうことや!? 何でこの匂いがするんや!?」
アーサリオンの笑顔が一気に消え失せ青ざめ、焦った表情で家を出る。
その変化に残った三人は困惑し、去り際の『匂い』という言葉に集中して嗅いでみた。
「あれ? 変な匂いが……あっ──」
僅かに届く嗅ぎ覚えのある匂い。薄くても本能を刺激し記憶を呼び覚ます。
その瞬間、アーサリオンが駆け出した理由へ繋がった。
メイグのアトリエを飛び出した瞬間容赦なくソレが襲い掛かってきた。
「うっ……!? でもどうしてこの匂いが!?」
「それに何アレ!?」
指差す先に現れていたのは──
蜘蛛の足を脚部にしその上に蛸が乗っているような見た目に加えヘドロのような黒々しい粘液に全身が纏われ、魔獣──と称するにはあまりにも醜く汚らわしいナニか。
中層に君臨し家屋と同等の大きさをしている。動きはないが明らかにアレが匂いを発していると判断できた。それも、リリアンと同じ本能で嫌悪する匂いを。
出発前も到着直前にもアレはいなかった。この数十分の間に突如として現れたということ。
「間違いない! アレはリリーの呪いや……! 解呪には成功したはずやないのか!? まさかリリーの身に何か起きたんやないか!?」
「ちょっと待ってテツに聞いてみる! リリアンさんも近くにいるはずだし!」
最適解。
鉄雄に念話を送るのが最速かつ確実。
気が気でないのは全員が同じ。
(テツ! リリアンさんは近くにいる? お城方面の中層で黒い化け物が現れた!)
「うおっ!? とんだ目覚ましだな!?」
伝えようとする意志が強ければ頭に響く声も大きい。
頭に直接響かせる大音量の目覚ましに抗う術など存在しない。起きても真っ暗闇なのは変わらないが、主の声は太陽の光よりも目覚まし効果が強いだろう。
(──すまん寝てた! もう一度頼む!)
(中層で黒い化け物! リリアンさんと同じ悪臭が広がってる! もしかしてリリアンさんの身に何か起きたんじゃないか調べて!)
(何だって!? ちょっと待ってろ……! 今探す!)
アンナが危惧する状況を読み取り、頭に氷柱が突き刺さったかのように冷えていった。
解呪成功した時間が経っても再発は無かった、安心しきったタイミングでの最悪の報せ。
ベッドから飛び跳ねるように起きて、包帯を外す。
(おい、ソレを外してよいのか!? 悪化しても知らんぞ!?)
(目薬注すタイミングにすればいい! 数秒ぐらい平気だ!)
それでも恐る恐ると言った様子で目を開く。まだ目が見えていなかったらどうしよう。そんな気持ちで瞼を開けば──。
「いた!」
特製目薬がもたらす効能は凄まじく、以前より鮮明に見えるぐらいであった。
開けっ放しの扉の先に見える煌く金髪。鉄雄にとっては見間違うことは無い後姿。
しかし、その輝きはすぐにかすみ目薬の魔法はすぐに消えてしまう。まだ完治していない証拠。
目薬を注しながら返しの念話を送った。
(──リリアンさんは無事だ! その化け物はリリアンさんじゃない!)
「(わかった!)リリアンさんは無事です!」
「ほんまか!? だとしたらあれは一体何や……?」
「『何』というより『誰』かもしれないよ」
ソレイユの言葉に緊張が走る。
何ではなく誰。あの化け物は誰かが変化した姿だと言っている。
そんな予想に呼応するようにこの場にいない鉄雄も似たようなことを言葉にする。
(あの呪いと同じ効果を発している化け物か……もしかしたらと思っていた予想が当たってしまったかもしれない……)
(どういうこと?)
(前の世界にはこんな言葉もある。人を呪わば穴二つ、因果応報、リリアンさんの呪いが解けたことでその呪いが術者本人に返った。いわば呪い返しが起きた可能性だ)
「呪い返し……?」
「なんやて……?」
(都合の良い呪術なんて存在しない……その化け物、呪術の魔獣。呪獣になった誰かがリリアンさんに呪いをかけた人物だ!)
「テツが言うにはあの呪獣がリリアンさんに呪いをかけた人だって!」
「なるほどね。リリアンさんにかかっていた呪いが何倍もの強さになって自分に返ってきた。等価交換、呪いをかけたことで得た利益全てを失わせる呪いが身に降りかかってあんな姿になったってことかな? (呪獣っていうんだ……)」
「リリーが呪いで呪獣に変化することは無かったからその考察は大きく外れてへんやろな……認めたくは無かったが……(呪獣でええんか?)」
鉄雄の言葉通り都合の良い魔術は存在しない。それが他者を一方的に貶める呪術であるなら尚更。
ほとんどの呪いには弱点──というより仕様。解呪されてしまった場合の反動が通常の魔術と比べ物にならなく重い。
解呪によって起こるは等価交換。
呪いをかけられたことで生じた不幸、不利益、絶望を術者に返すのに加え──術者がかけたことで生じた幸福、利益、希望が反転し加えられ、範囲や年月を圧縮して発生する。これを回避する術は存在しない。呪いによってできた繋がりは深く濃い。どこへいようとも取り立てる。
安全な場所で他者の幸福を踏みつけにした代償はあまりにも大きく、単純な死では清算されない。
ガーディアスに出現した黒い化け物は十八年の呪いが返って来た証明であり、自国の民が王女であるリリアンに呪いをかけたという事実を物語る。
「認めたくは無かった……? 今だから聞くけどさ、リリアンさんに呪いをかけた人がガーディアスの人しかありえないのは理解してたってことだよね?」
「え?」
「…………ああ、そうやな。呪いの仕組みについて勉強したらそれしか答えが無いと思っとった。リリアンもそれに気付いとった」
「ええ!?」
「解呪手段を見つけるよりも術者をどうにかできなかったの? そっちの方がもっと早く確実にリリアンさんを助けられたはずだってわかっていたよね?」
驚くアンナと問い詰めるような口調のソレイユ。
解呪手段の中には「術者の名前を答える」というのもある。なにより、呪いそのものをどうにかするより術者を叩くのが確実。極論、術者が亡くなれば呪いが消えることも多い。
当然呪いについて徹底的に勉強したアーサリオンは理解している。
その問いに対して──
「ワイは国民を疑い続けることはできんかった。綺麗に消せば綺麗に終えられると信じとった……その甘さが今こうして現れとるんや。この不始末はワイが片付ける」
王子としての精神性か生来の優しさか。その道を進むことは酷であったのは確かだろう。
しかし、結果として国が滅びかねない瀬戸際に立たされている。
滅する覚悟を示すように背中に携えた大剣の封を解きその姿を露にする。
黄色い両刃の刀身がペン先のように中心に切割があり柄近くに丸い穴が開いている。これまで見た武器とはまるで違う。脆さを感じそうな見た目でありながら重厚な存在感を発していた。
「ちょ、ちょっと待って!? あんなになっちゃったけど人なんだよね!? その言葉に動き、殺すつもりなの!?」
「そもそも本当に人が変貌したか決めつけるのは早計や。召喚獣みたいに別の場所から連れてこられた可能性も捨てきれん。変化を見ていた人がいるなら話は早いんやが……」
「どっちでも斬るつもりなんでしょ! テツの力を使えば──」
「残念だけど無理だよ……仮に可能だとしてもテツさんが絶対に持たない。アレが理性ある存在かわからない、今は不動でもただ暴れるだけの存在だったら不可能だよ」
殺すのはダメだと進言するアンナに対しソレイユは諭すように現実を告げる。
言葉も人間に対して使うものではなくなっている。危険な魔獣と認識されている。
そして言葉にしなくても「鉄雄を犠牲にするのか?」と目で語っているようでもあった。
「……本当に、無理なの……?」
「気に病む必要はあらへん。戦うのはワイや、アレを消す役目があるのはワイしかおらん」
「あたしも手伝うよ。こっちに来てから全然役に立ってないしね力は有り余ってる。アンナちゃんは何時でもどこでも倉庫使ってライトニアに逃げてね。アレが想像通りで以上なら守る余裕ないかもしれないから」
「逃げるって……」
呪い返しによって起きた存在を滅すると決めた二人。
アーサリオンにとっては復讐という意味合いも強く退くことは感じられなかった。
「アンナちゃんはやるべきことちゃんとあるでしょ? 次に行くべき場所も決まってる。無茶する必要は無い。テツさんと一緒にあのエレベーターを使って逃げてもいい」
「その時はリリーも頼むわ。これまで蝕まれた呪いにこれ以上関わらせる訳にもあかん」
「他の人達は!?」
「……残念やけど、ここにおる連中は外の世界では生きていけへん。籠の中で生まれて危険とは無縁で想像すらできひん」
その答え合わせが始まる。異変を察知した近隣住民は家を出て距離を取るように動き混乱の波が広がり巻き込み、より大きく爆ぜて数分もしないうちに国民全員がこの異常を理解し逃げ惑う。
とにかく距離を取り外側へと離れるが、その誰もが外へと繋がるエレベーターへ向かおうとしない。エレベーターから最も離れているメイグのアトリエ近辺に近づいているようでもあった。
最も安全な外の世界へと行くという逃走手段が誰の頭の中にも入っていない。
「こんなことってありえるの……?」
アンナは自分の価値観がぶん殴られるような衝撃を受けた。生への最適解、最善手、全てを放棄し確実な死への時間稼ぎを選んでいた。
「お城の騎士さん達って戦力に加算していいの?」
「無理やな。リリーの時でさえ何もせんかったからな。匂いや腐食を防げる魔力の纏い方すらできひんやろな」
「アンナちゃん、昨日作ったマスク出してもらえる?」
「うん……」
どこでも倉庫より取り出しソレイユに渡し、万が一の事も考え自分の分も装着する。
「本気で行くのかアーサー!? だとしたら僕も──」
「メイグは最後の砦や、なんやったら逃げてもかまへん。あんたは死ぬには惜しいこの国に骨を埋めるのは間違っとる」
何度も相談に乗ってもらい頼りにして、何時からか兄ように慕っていた。
妹に対し何もしてこなかった両親よりも知恵や知識を授けてくれたメイグを信頼していた。
「しかし! 戦力が足りないだろう?」
「せやな、このまま放っておけば確実に国は滅びる。腐食で建物が壊されるんのもやけどこの悪臭が全体に広まって定着でもしたら人は死ぬ。仮にすぐ倒せたとしてもその問題は必ず出るはずや。メイグがもし戦う気が譲れへんのならそっちをどうにかする戦いをしてほしい」
今は不動の呪獣。
気体の換気が薄いこの国で、暴れられたら今とは比べ物のにならない勢いと濃さで悪臭が広がるだろう。何より腐食の影響で建物や道が溶かされる。リリアンが閉じ込められた大部分の理由は後者の方が大きい。
「今の内に準備は整えておいた方がいいね。戦闘が起きない可能性もあるけど、やってきそうなことは想像はつく。リリアンさんの呪いで起きていた現象が攻撃に利用されるはず」
「効果も跳ね上がっとるはずや、接近戦はできん。やるとしても膨大な魔力に超硬度の武器が必要になる」
「(わたしは先にテツと合流した方が)あっ──」
アンナの鷹の如き視力に映る一人の子供。
逃げ遅れたのか、呪獣の近くで母を乞い泣く少年の姿。
それを見た瞬間──
「呪獣がどう動くかわからへんにしても、被害が出にくい位置で戦わんと──」
「アンナちゃん──!?」
アンナは駆け出した。
それと同時に呪獣の身体が震え、八つ足を地に突き立て周囲を確認するような動きをすると、正面が見据える先には逃げ遅れた少年。
二本の黒き触腕が挟み込むように少年に伸びていき──
「危ないっ!!」
包まれる直前にアンナは少年を抱っこして回避する。
肉体強化と持ち前の脚力により爆発的な加速を生み出し、最速最短一直線に駆け抜けて助けた。
(さっきいたところが溶けてくぼんでる!?)
「う、うあ──ああ──」
「すぐに離れるから!」
少年の顔が引きつり意識を飛ばしかねない顔をしており脅威の分析をしている暇は無い。
あまりの悪臭に抗う術を持たない少年は泣き喚く余裕も無い。
素早くここを逃げ出そうと試みても。
正面に捉えられ、六本の触腕がアンナに狙いを定めている。
(おちついて……あれがどこまでどれぐらいの速さで伸びるかわからないけど。後ろに下がって距離さえ取れれば…………今──)
向き合い、徐々に距離を取り。魔力を脚部に集中し駆け出す瞬間。
「ア”──エッ!! エ!!」
「うあっ!?」
異音。
リズム感皆無の演奏、ただ声がでかい音痴、音程が狂っている、振り切った高音。
耳を塞ぎたくなる本能で嫌悪する声が身体を強張らせる。
「思わず来ちゃったけど……ここからどうしようか?」
助けに来たと言うのに救助者も巻き込まれる。今まさにその状況に陥ろうとしているのであった。
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