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第19話 さあ、解呪を始めよう

 8月3日 水の日 9時50分 王城離れ庭園


 さて、全ての準備が整った。

 アンナが昨日一日かけて全てを用意してくれた。即日速攻に行うと深夜に食い込みそうだったので控えたが、俺も早い仕事に応えられるだけのイメトレはしてきた。

 体力気力共に万全! 今日で彼女の呪いは解ける!


「それじゃあ改めて、用意してきたのを紹介するね──」


防瘴(ぼうしょう)マスク』


 口と鼻をしっかり覆い、あらゆる粉末だけでなく瘴気や悪臭を防ぐこともできるよ。

 使い捨てで10枚作ってあるから危ないと思ったら新しいのと交換してね。



『改良型マナタンク』


 寮にある使わなくなったマナタンクを耐食性を高めて強化改良したものだよ。

 普段使ってるマナボトルの数倍は魔力が入っているからけっこう持つと思うよ。


『クリアゴーグル』


 自分で作っておきながら抱けどすっごく透明感で何も入ってないように見えるけどちゃんとレンズはあるよ。

 今回はこれに腐食を耐える技能(スキル)を追加したから集中して見続けられるはずだよ。


「後は念のためだけどこれも用意しといたから」


『アイリペア』


 特製目薬。以上!


「目薬ですか?」

「他なら今ある薬でどうにでもなるけど目は大事だから特製のを念のためにね。まあ、今回出番がなくてもそれはそれでいいし、将来使うかもしれないから渡しとくね。アンナちゃんに」


 まあ、あるに越したことはないか。瘴気漂う空間で目を酷使するわけだからな。一応ゴーグルがあるから平気だとはおもう。


「ワイもマナタンクにしっかりと魔力入れといたで! 使用人の皆にも手伝ってもらったし」

「あたしもだけどね! ここだと自然の魔力もあんまり入ってこないから人の分が無いと満タンにはならないんだよね。おかげで、ふわぁ~……疲れが抜けきってないんだ」

「ありがとうございます決して無駄にはしません」


 ガコンと重々しい音で地面に置かれる。

 見た目以上に大勢の人の気持ちも入っている。魔力一滴ぞんざいに扱えない。まあ、液体ではないのだけれど。


「それじゃあわたし達はこっちの先で見てるから何か大変だと思ったらすぐに教えてね」


 アンナが自分の頭に指先で触れるとリリアンさんがいない方の通路へ向かう。

 二人は隣の安全な部屋からマジックミラー的な壁でこちらの様子を確認してくれている。

 声なんて届かない厚く頑強な壁に阻まれているが念話(テレパシー)で会話ができるからいざという時のSOSは出せる。

 さて──


「それで、アーサーのその荷物は何だ?」


 頑丈そうスーツケース的な鞄を大事そうに抱え覚悟を決めたような顔をしている。


「ワイは今日、リリーの呪いが解けると決めて行動しとる。これはその時になったら必要になるもんや……だから──頼む」


 これから本番だと言うのに中々のプレッシャーをかけてくる。信じてもらえるのは嬉しいがもはや縋るレベルの強さで来ると怖さすら覚える。

 だけど十八年の監禁生活はこれでお終いにさせる。

 前と同じように消臭バズーカである程度匂いを処理してから黒霧で腐食瘴気を処理し、中へと突入する。


「リリアンさん。おはようございます」

「……今日はあの鎧じゃないんだ」

「訓練しましたからね」

「今の恰好も中々面白いことになってるけどね」


 最初から漂っていたであろう匂いも腐食瘴気も消えて視界も良好、場は完璧でも俺の見た目がちょいとかっこ良さに欠ける程度。ゴーグルがダイビングゴーグルみたいな見た目をしているから視野は良くても少しゴツい。

 もう少しスマートであれば良かったが贅沢な我儘だろう。


「大分時間がかかる上に大きく動かれると解呪できなくなるので楽な体勢をとってください」

「わかった」


 素直に硬い床にあぐらをかいて背中を向けてくれる。

 彼女の全裸を正面で受け止めるには流石の俺にはハードルが高いのでこの心遣いには感謝したい。

 ただやはり椅子とかクッションを用意しておきたかったが、彼女にとっては無意味な代物。プラチナムの椅子を作ることが理論上可能でも量の問題がある。

 なによりここはプラチナム製の壁や床だと言うが、彼女が長くいたであろう場所は少し窪んでいるのがうかがえる。使い方は違うが涓滴岩を穿つと言うことだ。つまり彼女の腐食に壁なんて存在しない。

 本気で壊そうと思えば何時でも壊せた可能性だってある。

 まあ、そんな想像は霧へと消える。今日ここで解呪して堂々と外に出られることになるのだから!


「──では始めます」


 俺の言葉でこの場の空気が引き絞られるかのように重く窮屈なものになる。

 ただ、本当に申し訳ないが手術みたいに皮膚を切ったりするわけではないから映えたりわかりやすい絵は無い。俺と同じ領域を理解できる目があればまた違うのだろうが傍目からは詐欺みたいな儀式をしているように見える可能性が高い。

 解呪もリリアンさんの周囲を黒霧で薄く覆いながらの作業。

 破魔斧の挿入口にはボトルが二本とタンクに繋がっているコードが一本。魔力の流入も順調だ。

 他者から見れば本当にわからない作業を俺はしている。詐欺と捉えられてもおかしくないぐらい絵に変化はない。

 十分、二十分、三十分と時間をかけながらしているのは心霊的に変化させた破力を彼女の中の呪術刻印に満たしていくこと。イメトレのおかげもあってか頭部、胴体は綺麗に満たせた。

 残るは四肢と魔核。

 ここからが問題だ両腕が鏡映しのように刻印が伸びているなら楽だったが、そんなわけはなかった。植物の根が一固体ずつ伸び方が違うようにバラバラ。丁寧に満たしていく必要がある。


「ここから腕の作業に入ります」

「わかった」


 ……リリアンさん本当に凄いな。我侭一つ言わず石像みたいに不動を貫いてくれる。やりやすいったらありゃしない。

 見た目と年齢は大きく離れているとしてもこの精神力は尊敬に値する。

 一番辛いのはリリアンさんだと言うのに、解呪を始めてからここまで癇癪起こさずにいられるなんて……。


「ねえ、いくつか質問してもいい?」

「……どうぞ?」


 何だろう?

 ここに来て急な質問に思わず構えそうになってしまう。


「魔力の無い生活ってどうなの? 辛い?」


 その言葉に不安は無く、単純に好奇心や疑問に浮かんだから聞く。それぐらい淡々とした口調だった。アーサーに自分がどうなるかは聞いているはず。文句や愚痴の十や二十を覚悟していたのにどういうことだろうか? 受け入れていると言うにはどこか他人事のようにも聞こえてくる。


「……俺は元々魔力も魔術も存在しない世界から来た人間です。だから無いのが当たり前で精々あったらいいなって妄想するだけで、辛いや幸せを論じることなんてできませんよ」

「異世界の人だったんだ……でも今は魔術が使えてるじゃない? もしも明日使えなくなったらどうするの?」


 それは常に頭の片隅にあった。

 この力は借り物。何時か理不尽なタイミングで失う可能性もある。その瞬間から今までみたいに役に立つことができなくなる。できることが増えた今でこそ恐怖は高まる。

 もしも、その時が来たら──


「……どんな手段を使ってでも足掻きますよ。最初に決めた目標を達成するまでは」


 アンナが父親(ロドニーさん)に会うまでは命を対価にしてでも力になる。

 力があるからアンナを支えるんじゃない。命ある限りアンナを支える。


「目標……?」

「ええ、夢と言い換えてもいいですよ」

「夢……か……私には何にも無い……何にも無くなる……王族の魔力なんて持て囃された時もあったけどそれも……」


 嫌な予感が湧いてくるな……このままじゃ成功しても心が折れて結局意味ない成功になりかねない。何か話題ないか? 希望を持たせられるような……あっ!


「前から気になっていたんですけどその算盤ってどうしたんですか?」

「お兄様が用意してくれたの遊び道具としてね、腐食しない素材でできた計算道具」

「へぇ……良い物じゃないですか」


 珠もフレームも全部プラチナム製。錬金術士や彫金師の力を借りて用意したに違いない。これだけでも相当な価格がするはずだ。


「逆に言えばそれぐらいしか用意できなかったってこと。仕方ないからここにいる間はずっと数字を計算して暇を潰していた、算術の四則なら玉を使い尽くせるだけ使えるぐらいまでできるようになったし、三角関数も使えるようになった。同じような定規も貰ったらここにあるもの全てを測れるようになった」

「……全てを?」

「ここの高さは3m、縦10m、横5m、牢の扉は2m、格子の太さは5cm、あなたの身長は172cm」

「ええ!?」


 ちょっと待て!? しばらく測ってないないにしても最後に測った時と似たような数字……当てずっぽうか? いや、ここにいるリリアンさんに指標となる身長の情報は得られない! 172という数字は目測で理解しなきゃでてこない数字だ。

 落ち着け……あんまり心を乱すと解呪に失敗する。


「結局これも暇潰し──」

「いやいやいや!? 見ただけで俺の身長わかるなら外に出れば使い所どこにでもありますよ! 建築にその力は活かせるでしょうし、数字に強いなら会計士という道もあります。計算技術は一生の付き合いですよ」


 まさかアーサーはここまで見込んで彼女に算盤や算術を与えたのか?

 ふと振り返ってアーサーを見てみると──

「ワイはそんなん知らんで……」

 みたいな顔で呆けていた。多分暇潰しで渡したのは事実だろうけどここまでモノにするとは想像だにしていなかったのだと思う。

 ──何かワクワクしてきた!

 この人助けたら想像以上の何かが解き放たれそうな気がする。こんなところで閉じこもっていい人じゃない!


「ん……?」


 折角気分が乗って来たのに急に見え難くなった? 刻印が歪んでいる? 魔力の量は──問題ない。体調も……うん、問題ない。

 じゃあ何が──?


「テツオ!? ゴーグルが溶けとる!」

「何!?」

(うっそどういうこと!?)


 アンナもこれは予想外と言った感情で念話(テレパシー)してくれる。

 外して確認してみると確かに表面がただれたように溶けて透明感が失われてる。

 もしやと思いマスクの方も確認してみるがこちらは無事。どうしてだ? 丈夫さ的に逆なら考えられるが──


(破衣で纏い切れておらんかったのだろうな。ゴーグルのデカさが逆に仇となったか……)


 レクスの助言にハッとする。確かに長時間運用を考えて薄く硬くを意識して破衣を作った。その結果ゴーグルのレンズを覆うことができず、ゆっくりとだが僅かに漏れ出した腐食瘴気に溶かされたってことだ。

 ついてない……けれど話しながらでも右腕は終わった。


「無理の必要はないわできないならできないで──」

「甘く見ないでください、全てに余裕があるのに退いてしまったら癖が付いちゃいますよ。仕方ないからって言い訳して逃げる癖が」

「え……?」


 不安はある。目は眼球には破衣や衣類、肌や毛、腐食瘴気の影響を守る盾の枚数が余りにも少ない。 何かしらのダメージを受ける可能性がある。

 ──とはいえここでリトライする気は無い。この呪いは異常に強い、こっちの手の内を把握して対策してくるなんて芸当をやってもおかしくない。

 これまでアーサーが用意してきた浄化の品々が最悪を裏付ける。

 最初で最後の解呪チャンスだろう。


「続けます──」


 不安は杞憂に済む可能性もあった。しかし、一本、また一本と満たしていくと瞬きをしてもドライアイが抜けきらないような目の違和感を覚えるようになっていく。

 悪い予感程よく当たると苦笑しそうになる頃には全身の呪術刻印に破力を満たすことに成功した。

 そして、残すは核のみとなる。

 最後の最後まで手を付けなかったのは学習される恐れがあったから。俺がやろうとしていることに危機感を覚え刻印の形を変えられたり核が移動されるのが怖かった。

 最後は一気に破力を核に注入ししっかり形を満たして全てを消滅させる。

 その為には──


「……あなたは本当に凄い人です、悪臭や瘴気をバラ蒔くことだってできたのにずっとここにいることを決めた」

「閉じ込めらているのを忘れてたの?」

「あんな柵、本気でやれば溶かせたんじゃないですか? アーサーがここに来た時に無理矢理でも外に出ることができたんじゃないですか?」

「そうかしら……」


 落ちつけ、呼吸を整えろ。まだ見える内に決めろ。


「あなたは強い人です、他者を思いやれる人です。だから……敬意には敬意を──」


 これができなきゃ解呪は終えられない。

 アンナにソレイユさん、二人の努力を無駄にはできない。

 やらなきゃいけない理由を口にして鼓舞しろ!

 恐れるな! 怖がるな!

 破力を一気に注入するには彼女の肌に直接触れる必要がある。どんな痛みに襲われようともそれしか方法はないだろ!

 強い感情のまま手を伸ばそうとしても彼女の綺麗な金髪と白い肌に見惚れると同時に恐怖も湧く。痛いだろうな……腐食する感覚なんて今まで味わったことがない。強力すぎて骨にまで届かなきゃいいんだけど……怖い。痛みを想像するだけで手が引っ込みそうになる。

 でも、それでも。リリアンさんは幸せになる権利がある。

 

「テツオ……?」

「テツ……?」


 覚悟を決めて彼女の背中にしっかりと押すように触れる。その瞬間熱した鉄板に手を押し付けたかのような痛みが走り出す。根性で痛みに耐えてる間に身体に貯めた破力をポンプのように押し出し腕を伝わせ彼女の核へと注入する。

 渦を巻かせ核へと収束し──!


「え……!?」

「っ──!! 刻印破壊(カースエリミネイト)ッ!!!」


 激痛の痛みを誤魔化す叫びで起動させる。

 時間にして3秒程度。多少は破力で手を覆っていても直接触れるとなると意味は無い。

 その証明に彼女の背には痛々しい赤い手跡をつけることになってしまった。彼女に怪我は無いにしても本当に申し訳ない。

 だけど──


「これで完了だ!」


 手応えありの完璧に上手くいった!

 彼女の身体には呪術刻印の残滓なんて微塵もない。再生している様子もない!

 だが、匂いの発生や腐食瘴気については部屋に滞留しているのがあるからまだ完全に消えたかどうかはわからない。

 最後に安心させるのは──


「テツ!? 何やってるの!? 直接触れるなんて!」


 牢の扉が壊れるんじゃないかと思える勢いでアンナが入ってくる。呪いが消えたとは言え迂闊すぎないか? ちゃんとマスク着けてるか?

 いや、ヤバイ──アンナの顔がまともに見れない視力が一気に落ちたみたいに目の前がぼやけてくる。


「ああしないと発動できなかったからな。でも安心しろ利き腕じゃあないんだぜ!」

「おばか! 利き腕とか関係ないでしょ! それに目も変なことなってるよ!?」

「とりあえず薬で絶対安静だね。医務室かどこか借りるよ!」


 夢中だったとはいえ、リスクの大きすぎる賭けだったと思う。頭の片隅に目薬の情報が無かったら踏み切れなかった。

 入口近くまで引っ張られてそんなぼやけた目に液体がビシャっと入り、包帯か何かでグルグル巻きにされて闇に閉ざされる。

 左手にも何かが塗られて包帯が巻かれていく。


「この目薬は再生薬に近い効果を持ってから無理さえしなきゃ綺麗に治るよ」

「もぉ~……心配かけすぎないでよね!」

「面目ない」


 さらに破魔斧がひったくられて腰の鞘に納められる。右手首を──この手の大きさは……アンナに捕まれて引っ張られる。

 我ながら無茶しすぎた。言われた通り絶対安静を心掛けるとしよう。

 やるべきことはやった。

 最後の答え合わせの役目は俺じゃない。


「本当に……消えたの……?」

「大丈夫か──?」


 互いに不安と警戒が入り混じった声、完全に消えたかどうかなんて試さなきゃわからない。

 しんとした空気からしてアンナ達も二人の様子を緊張した様子で見守っている気がする。


「……っ!? 何も感じひん……! いや、ちゃう! ちゃんと、リリー触れられるっ! ぐっ、うう──!」


 耳を澄まさなくても聞こえてくる嗚咽に鼻声。

 きっと今の今までこらえてきた感情が溢れるように目から大量の涙が零れはじめているのが想像に容易い。

 ただ、あのイケメンがどんな顔して号泣しているのか想像するしかないのが残念だ。

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