第56話 前王様診察
同日 22時00分 ライトニア病院前
日は落ち、月は高く。
王都で働く人々の殆どは帰路へ着き、道路を歩く人は殆どいない。誰かが意識して沈黙すれば存在を飲み込むような静寂へと移り変わる。
今二人が立っているライトニア病院は特に静かで最低限の灯りしか点いておらず、誰かが近づいて来ても闇に溶けて消えてしまいそうなぐらい曖昧な場所となっていた。
「夜中の病院怖すぎるだろ……」
「そう? 森に比べたらへーきじゃない?」
「病院ってのは、生と死の境界が曖昧な場所なんだ。なんというか変な想像だけが妙に先走ってしまうんだよ……」
「よくわかんない。それよりもどこから入ればいいんだろう? 正面玄関は閉じられてるし……」
真っ暗な受付玄関。『受付終了』の立札。もしかしてとドアハンドルを動かしても開くことはなく、サファイアスに言われた通りの場所にいても誰も来ない。この暗く静かな状況、森に比べれば安全でも不安は湧く。鉄雄が一緒でなければ怯えがもっと分かりやすく出ていただろう。落ち着かない様子で足踏みしながら周囲を見渡していると。
二人に向かって一筋の光が伸びてきた。
「お待ちしておりました」
「うぉっ!? なんだ先生か……」
懐中電灯片手に鉄雄達の前に現れたのは今日診察してくれた雄々しい風体の大男。
「驚かせて申し訳ない。話は全部伺っています、こちらからどうぞ」
「あっはい」
病院という場が精神に作用させているのか、些細なことでも罰当たりなのではと想像してしまいワイワイと会話を弾ませることもなく静かに付いて行く。
裏へと回り、関係者しか通れない扉を抜けて、歩く反響音がやけに響く暗く静寂な廊下を進み、階段を二階分上り、再び廊下を進んでいくと置物かと見間違えてしまうぐらい不動を貫いている見張りの騎士達が門番となる扉を通る。
「失礼します──」
眠っているとはいえ王の病室。礼儀と緊張感を持って踏み入れる。
薄明りで満たされ、白く清潔な壁。窓には外からの目を拒むような厚手のカーテンの掛けられた部屋。アルコール消毒が撤退され人の匂いが一切せず、ここは薬棚と空のベッドがあるだけで誰もいない蛻の殻。
「誰もいない……?」
「ここではありません。こちらです」
先生が壁際へと近づき、白い壁に手を触れる。すると、触れた個所から歪み波打ち、彼はそれを布のように掴んだ。
そう、彼が掴んだのは壁に見せかけたカーテン。その裏には引き戸が隠されていた。
「隠し扉……!?」
「その部屋って確か廊下側には扉とか無かったような……」
「侵入者を欺くためのフェイクです。このカーテン自体も錬金術製で特定の人間の魔力が無ければ強固な壁のままです」
ゆっくりと隠し扉が開かれ、部屋の仄かな灯りを理解した瞬間に空気が変わる。
喉元に刃を突き付けられる殺意。何も備えてなかった心に濁流の如き勢いで迫る意志に平衡感覚が狂いそうになりながらも鉄雄はアンナの盾となるように腕を伸ばした。
「──失礼、ケア先生でしたか」
「後は私で大丈夫です。済んだら呼びます」
「かしこまりました」
構えた刃から手を離すと張り詰めた空気が解け、二人は「ほっ」と息を吐いた。
見張りが部屋から退室し、交代するように三人は中に入る。しかし、見張りがいなくなっても殺気が消えただけ、ここはどこよりも緊張で満ちていて呼吸するのでさえ許可が要りそうであった。
「この人が先代の王、コメット様……」
「前の王様って聞いていたけど、しわしわのお爺ちゃんって感じだね……」
「アンナ……! 失礼だぞ……!」
夜の病院ということもあり小声で叱る。
だけれど、アンナがそう素直に言葉にしてもおかしくないぐらい視線に映る男性は弱々しく、点滴によって命を繋いでいた。
ビニールのカーテンに囲われ、現王クラウドの父、よりも祖父と言った方が通じる程老いていた。生きていると聞かされなければ亡くなっているのかと不安を覚えるほどベッドの上で穏やかに眠っている。
「よくよく考えればど素人の俺達によく診せてくれる気になりましたね……」
世界樹の実という対価があれど、鉄雄とアンナは医術に関しては全くの素人。何よりも、前王が納める時、二人はこの国にいない。敬意や忠誠心、愛国心を示す理由がない。
逆賊だと警戒されてもおかしくないと鉄雄は思い、疑問を口にする。
「確かにただの騎士や錬金術士なら入れようとは思いませんでした。しかし、貴方は私達を信じると言ってくれた。だから私も信じることに決めたのです」
「? 信じるって何のことですか?」
「アメノミカミ戦の時ですよ。貴方は自分達を差別しないと宣言し信じて戦い抜いた。その信頼に応えるのは当然のことです」
「あぁ~……そんな事言った気がする」
あの時の言葉は多くの国民の心に響いた。その上、平和へと導いた。
王城での自爆阻止も含め、誰もがカミノテツオと破魔斧レクスの力を理解した。大きな脅威となることもわかっていた。
何時自分達に向くかも知れない刃、アメノミカミと渡り合う圧倒的な力。排除や追放の動きが活発になってもおかしくなかった。
そうならなかったのは、鉄雄が信頼に足る行動をしていたから。
人は見ている、人は聞いている、本人が気付いていない、知らないだけで行動を把握されている。
極限状態で見せた行動はより他者の記憶にへばり付く。誰もが鉄雄に注目した。
アンナに対して頭が上がらず荷物持ちをしていたり、訓練で三、四回転しながら吹っ飛ばされたり、食事を残さず綺麗に食べていたり、タルトをご機嫌に購入していたり、姫達を傷つけず守ったり、悪人であっても命を救う甘ちゃんだったり、何より新聞の記事。ゆっくりと噂と評判が積み重なって危険な人物ではないと理解された。
こと細かく見られていたとは知らぬ本人は勢いで言った自分の言葉を思い出し少し照れていた。
「う~ん、顔色も悪く見えない……どこか欠損してる訳でもない……目が覚めない理由がわからない、ただ実をあげたら目が覚めるものなのかな? 何だかあげたところで意味無い気がする」
先生に布団を退かしてもらい腕や足を確認してみても、筋力が落ちたという印象はあっても怪我は無い。長年眠り続けた弊害が身体に現れているものしか見えない。
「当時の傷も胴体の切傷のみです。頭部を打ったという報告もありませんでした。覚醒薬の投与も行いましたが変化が見られず、現状打つ手が見当たらないのです」
「となると魔術系で目が覚めないのかもしれませんね」
「だったらテツの出番だね! そのために連れてきたんだから!」
「任せろ! え~と──どれどれ……」
連れてきた。とアンナは言うが、先生の希望もあって連れて行くように頼まれていた。ただ、そんな事情は鉄雄は知らず、夜出歩くのは危ないからと何の作為も気にせず付いて行った。
呼吸を一つ、心を落ち着かせ、意識を集中させ前王コメットの身体を調べると表情がみるみるうちに険しく変わる。
「これは一体どういうことだ……?」
「ん? テツ何かに気付いたの?」
「あの、先生……呪術刻印が刻まれているかどうかのチェックはされているんですよね?」
「勿論。ただ、私は魔術士としての才には恵まれなかったので協会の僧侶様に診てもらっています。治療の後すぐに調べてもらい何も無いことを確認しました」
「……その後は?」
「外部の者が動けぬ王を狙って呪いを飛ばす可能性も考慮して月に一度は定期的に確認してもらっています」
「…………」
険しく苦々しい顔で開いた口から言葉を絞り出そうとしている。しかし、言葉は発せられず空気が洩れる。
口にしていいのか迷い戸惑っているのが誰の目にも明らかだった。
「何かあったのですか?」
「はぁ……ふぅ……ここで口を紡ぐのは意味がありません。はっきり言います。王様の身体に呪術が施されています。それも大きな」
「何!?」
信じられない。
その気持ちで頭が支配される。信用すると言ったばかりであってもこの言葉をすぐに認めることは難しかった。治療を始めてから十年近く。力を尽くしてきた。
自分にできない分野は魔術の才の在る者に頼った。それが意味の無かったことだと言われている。無駄な時間を費やしたようなもの。
「テツ、適当じゃないよね?」
「勿論だ。王様の肩からお腹の辺りまで斜めに刺々しい結晶みたいな異質な魔力が固まってる」
鉄雄は自分の体を指先で左鎖骨から右わき腹近くまで撫でるように呪術のあった場所を示す。
「それは、王の切り傷と同じ……!」
傷跡は病衣で隠されている。適当に言っても長年向き合っていた医師には通用しない。しかし向きや長さも一致していることから嘘ではないと理解してしまう。
「アンナの目にも見えていないのか?」
「うん。こうして見てても王様の魔力はわかるんだけど、別の何かまではぜんぜんわかんない」
「虚を使うとどうだ? 感覚が鋭くなって見やすくなるんじゃないか? その状態のまま遠くを見るような感覚で王様の身体の内側を覗き込むようにしてみてくれ」
「ちょっと待って……え~と、このまま遠くで、内側で──あれ?」
「見えたか?」
「ぼやけてるというか、全く違う魔力が煙みたいに漂ってる……? まさかこれが呪いの刻印!?」
「なるほど、アンナの目にはそう映っている訳か」
アンナには靄のように見えていても、鉄雄には体の内側から黒い刺々しい鉱物が食い破るように生えているのが見えていた。
経験と錬度、魔力や魂を見る目は過酷な本番によって鍛えられ、他者にとっての異物はより鮮明に目に映るようになっていた。
「ちょっと待って欲しい! 彼女が少し言われた程度で把握できて、そこまで広範囲に広がっているのに何故協会の僧侶は気付かなかったんだ!?」
「……欺瞞性が高かったのが大きいでしょう。最初は小さく、徐々に馴染みながらここまで大きくなった可能性もあります」
呪いの状況からして一日二日で急に強大化したのはありえない、数ヶ月以上はこの大きさ。
教科書に載りそうなぐらいわかりやすい代物であるのに僧侶の名を有していながらここまで大きな他者に刻まれた呪いに気付けなかった。
明らかに実力不足、面子を考え口を開いて「無能だった」とは言えなかった。極論その一言で済んでしまう。
問題なのは解術できないではなく見つけられない。最初の一歩にすら到達していないのだから頭を抱えてしまう。見つけてさえいればやりようはあったのだから。
「わかりやすく命にかかわらないから検査も必死にならない。慢心がここまで広げたということか……!」
悔しがり、苦々しい顔を浮かべる。
医師として彼は優秀すぎた。身体の治療は完璧、故に苦悶の王を見せることはなく、余裕と猶予を与えてしまった。
自分が気付くことができたならもっと早く王を目覚めさせられたかもしれない。他の僧侶や感知に優れた魔術士に頼むべきであったと後悔が募る。
しかし、悪戯に王の入院場所を教えるわけにはいかなかった。
「恐らくですが、王様の目が覚めないのはこの刻印が邪魔しているからだと思います。これを消滅させれば回復に向かうはずです。解呪もいつでもいけます」
「──おお!」
「ですが、万全を期しましょう。長い時間眠り肉体は衰えているはずです。解呪と同時に実の力を与えれば回復に向かうはずです」
「ほんの1欠片を素材にして点滴を調合すればいけると思うよ」
自信と確信に満ちた言葉に沈む表情は晴れやかになる。
「貴方達の提案に賛成します。私は術後に備えて用意を整えます。しかし、今回は勉強させていただきました。医術を学び極め、魔術を他者に頼る……私もどこか甘えていたかもしれません」
「あなたは甘えじゃなくて信頼していた。だからブレる必要なんてないです。王様の身体が万全だからこそ安心して解呪に挑めるんです」
「そうですよ! 呪い以外に不調なんてないんですから、ただ今までちょうどいいメガネとか薬が無かっただけ。見つかるまで持たせることだって、どれだけ大変なことか……」
「アンナ?」
「う、ううん。何でもない。とにかく、点滴薬ならすぐに調合できるから。明日の夕方までには終わらると思う。テツも準備しといてね」
「ああ、わかった」
アンナの表情が一瞬暗く沈んだのを鉄雄は見逃さなかった。
そして、思い出す。アンナの母は病気で亡くなったことを。
この姿が重なってしまったのではないかと想像した。
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