第31話 初めましてマスター
「ふぅ……何とか運べたか」
感触無くても裸の美人と密着している状態というのは気疲れが凄まじい。例え股間に見慣れたモノがあろうともだ。
美術品を扱うようにゆっくり丁寧にダンジョンのアトリエに下ろす。鎖で繋がれてないとこの姿ってシュールだな……。
「テツって着替え持ってきてたよね?」
「一応持ってきているけど、下着だけだぞ?」
「じゅうぶん。わたしじゃサイズが合いそうにないから」
「……ってまさか。いや、まあ仕方ないか」
有無を言わさず俺の鞄から取り出されるのは俺のトランクスとTシャツ。
何に使われるかはすぐに理解した。確かにこのまま出歩くような真似になったら非常にマズイ。いくら美人でも歩く公然わいせつ物となってしまう。
ここにある布は殆どボロ布、服もあったが取り出した瞬間に形が崩れたのは少しトラウマになりそうだった。異論はない。
「これで準備はできた。そろそろ封印を完全に解くよ! 黒い霧を少なめで纏わせて! そうすればきっとこの膜も壊せる!」
「何というべきか……感慨深いな」
一つの区切り、達成感。目に見える成果。確かな満足感。
ランナーがゴールテープを切るような気持ちで斧を振るい霧を発生させる。
黒い霧が両性具有の全身を覆うと、目に見えて変化が訪れる。吊り上がっていた両腕が重力を思い出したかのようにダラリと下がって床と垂直になる。
すぐに霧を払うと遮る物が何もない健康的な肌が露わとなり。首が、頭が、腰が、震えるように動き始めて、閉じられていた両の目が開き、灰色の瞳が俺達に向けられる。
「………………」
静寂、顔は向き合えどゆったりとした呼吸の音だけが僅かに聞こえる。
「どうなってるんだ? まさか失敗した……のか?」
「そんなことないはずだって!」
ダンジョンの奥で眠っていた存在。あらゆる干渉を退ける程の膜につつまれて厳重に保管してあったんだ適当な存在じゃないはずだ。
錬金術で人工的に生み出された生命体。つまりはホムンクルスだと思うが。こうなってくると俺達側の問題か? 正規の手順を踏んでいなかったのか?
「初めまして新たなマスター達。封印を解いてくれる時を待っていたよ」
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
不意打ち気味に声をかけられちょっと飛び跳ねてしまった。ローディング中だったのか!?
ゆっくりと堂々と立ち上がり、挨拶をする姿。人形じゃないちゃんと人だ。けれども……裸だ、あまりに堂々としているから忘れそうになるけど、裸だ。
重力に従って胸の果実が目立つぐらい垂れ下がるのは正直言って目の毒だ。完全停止した状態とでは魅力がまるで違う。グラビアアイドルの写真とビデオ。むしろ写真とVRぐらい違いがある。
こんなん一人でいたらどうにかなるぞ!? こういう意味では隣にアンナがいてくれてよかった……いやいいのか!?
「マ、マスターだって。何だか照れるね」
それでいいのか主よ!? 照れくさそうに頭をかいてるけど、男と女性の特徴を惜しげもなく曝け出してる人だぞ?
そういえば「達」って言ってたな俺も!?
「ボクの名前は。ボクの……ボク? 名前何だっけ? まあいいや! 君達は何て名前なの?」
「わたしの名前はアンナ・クリスティナ。こっちが」
「……神野鉄雄だよろしく」
まるで見定めるようにじっくりと観察している瞳だ……
「男の人と女の子……」
「「?」」
徐々に瞳が輝き、表情も綻び始める。嫣然と俺達を見つめてくる。
「この時をずっと待ってたよ! 生まれてすぐに未来の為に封印されて、長かったような短かったような真っ暗な日々。とうとう役目を実行できるんだ! 人類滅亡の危機を救うためにボクは造られた! さっそく子作りで産めや増やせといこうか! 肉体的にそちらの男性から……」
「ひえっ……!?」
美人とはいえ全裸で両性の特徴を持った相手に迫られるのはご勘弁願いたい!
だが、その姿の理由は理解できた! 言うなれば種の保存を目的とした人工生命体ということか! 通りで両性の特徴を持っているわけだ。いやでも仮に致すことになったとしても男の象徴が嫌でも目につかないか?
そう考えている間に壁際に追い詰められていく、こんなシチュエーションではご勘弁願いたい! アンナがいる前は教育的にも良くないって!
「ちょっと待った! 急すぎるし人類滅亡の危機ってどういうこと?」
「アンナ──!」
間に入って止めてくれる。精神的にすごい助かった……!
「ん? ……人が生まれなくなって人類が数える程しかいなくなったから、ボクが目覚めさせられたんだよね?」
「……なるほどな。そういう目的でつく──生まれたから、今は緊急事態だと思ったということか」
「残念だけどって言っていいのかな? 外には数えきれないぐらい人がいて。テツみたいな人間だけじゃなくてわたしみたいなオーガも、獣の特徴がある獣人もいるの。多分、あなたが考えているような滅亡の危機は無いと思う」
「え……それじゃあボクの存在理由って? 産んで産ませてで子供を増やすことが目的なのに……ようやく初めての役目が実行できるかと思ったのに……」
俺達の言葉が冗談では無いことを理解してしまったようだ。出まかせじゃなく本当に人は沢山いる。このアトリエの人が想定した未来にはならなかった。
この人は人類滅亡の危機を救う鍵となるはずだった。でも、必要としない状況。というよりこの人が必要となるほど逼迫していない。
その事実に目の輝きは消え失せて膝から崩れ落ちて、分かりやすく落ち込む姿を見せる。
「ねえ、だったらさわたしの所にこない? あなたの生まれた理由は大事だと思う。でも、この場所で想像する以上に未来はすごく変わった。だから、あなたの役目も大きく変わってもいいと思うの」
「それは助かるけど子作り以外にボクにできることなんてわからないよ……」
「え~と……! そうだ使用人! 使用人が欲しかったの! あなたは、セクリはわたし達の使用人になって色々と助けてほしいの!」
アンナは確かに欲しいと言っていた。
だが使用人と言うのはどういうことだ? 俺じゃ頼りないということか? いや確かに未熟で頼りないが役割が奪われてしまうということか? いや、落ち着け、使い魔と使用人が。似ているが違う。違うったら違う。俺が捨てられる訳じゃない。
真剣にスカウトしようとしているアンナの邪魔はよくない。確かにレアな存在だ。別の誰かの手に渡るのは避けたい。
「ボクが必要なの? それに『セクリ』って?」
「必要なの! それと『セクリ』はあなたの名前。封印されていた台座に名前みたいなのがあったけど壊れてて正しい名前はわからなかった。だから残された文字でわたしが付ける『セクリ』って。セクリはわたしのだから!」
呼吸が乱れる程、魂を込めるような熱烈なスカウト。
俺の時とは全然違くないか? もはやこれは告白レベルじゃないか? とても情熱的な?
「──ありがとぉ~! 役割をくれてぇ~! いつでも子作りも受け付けるからぁ~」
感極まったのか目から涙を流しながらアンナに抱き着く。俺には到底できないことをやってのける光景に頭が真っ白になりそうになる。新たな主従契約は喜ばしいことかもしれないが、俺は気が気じゃないぞ。
「それはいい。まずは服着てね」
「あっ、ぜんぜん気付かなかった……それじゃあこれを着させてもらうね」
ふぅ……これで視線をちゃんとセクリに向けられる。が、豊かな双丘によって滝のようにシャツの前面が垂れ下がって逆に目に付いてしまう。下は俺のトランクスを履いているだけあり問題は無いが、肉付きの良いお尻や健康的な太もものおかげで生地が悲鳴を上げそうだ。
「それじゃあこれからよろしくねマスター達!」
「待った、マスターって呼ぶのはアンナだけでいい。俺はアンナの使い魔で同じように仕える立場だから」
「そうなの? じゃあテツオのことは主人って呼んで、アンナは大主人って呼ぶことにするよ。名前で呼んでほしかったら名前でも呼ぶよ?」
「好きにしてくれ」
「大主人……! いい響き! でもまあ呼びやすいので呼んでいいから」
滅茶苦茶満足そうな顔してるなアンナ! 俺も確かに悪い気はしてないから強く言えない!
「そういえばセクリって子作りの為に作られたって話だけどどんなスキルを持ってるの」
えっ!? それを聞くのか!? 子作りと言ったらそりゃ……あんなことやこんなことをする助平な……ダメだダメだ! 邪な考えがいくらでも思い浮かんでしまう! セクリの身体つきはあらゆる性的な思考を結びつけるのに十分すぎてしまう。
「そうだねぇ、身体は結構丈夫みたいで過酷な環境でも生きられるよ。それとぉ──」
「ん?」
手をクイクイとアンナを寄せる動きをし、素直に従う彼女に両腕を広げて迎え入れ。
「こういう力かな?」
「むぐっ!? あっ──」
「なっ!? アンナに何を?」
優しくアンナを胸に抱きとめる……正直言ってズルイぞ! 俺がアンナにそんなことしたら殴られてもおかしくないのに! アンナもアンナで骨が抜けたように力入ってないし、顔も緩みきってる。そこまで幸せそうな顔見たこと無いぞ!?
「はっ!? へ、平気……ちょっと赤ちゃんに戻りかけただけ」
「重症じゃないか!?」
命からがらな表情で脱出した様子だがそこまでなのか? 逆に気になってしまう。
決してあのおっぱいに埋もれたい訳じゃない。性的好奇心よりも知的好奇心を元に興味を抱いているだけだ。
「もう少し甘えても良かったのに……」
ほんの数秒の行為にしても、当のアンナはアゴに強烈な一撃を喰らったかのような震える足で距離をとっている。
こんな状況に追い込む力でありながら敵意の欠片は一切感じられない。純然たる好意によって行われたとみて間違いない。性質的になのか甘やかしたがりなのか離れたアンナを名残惜しそうにしている。
「一体何があったんだ? フラフラじゃないか?」
「すっごいいい匂いで頭がフワフワしたの……多分フェロモンってのだと思う。嫌いになるつもりないけど、近くにいるだけでセクリのことが好きになりそうなそんな香り。ナーシャとはぜんぜん違う、頭でいい匂いだなって感じるんじゃないの、心の奥底でいい匂いって思っちゃうの」
「相当やばそうだな……」
人と人の距離感を縮まらせる要素として、体形や声質もあるが、最も重要と呼ばれるのが匂い。悪臭であれば嫌悪感から人は離れる。どれだけ顔が良くても体が勝手に離れてしまう。
でも逆に心地よい香りを漂わせていたならば、同性でも気分よく共に過ごしたいと思える。
セクリは美麗な顔に、聞き心地の良い声、魅惑的な身体……考えれば考える程嫉妬しそうになるな……でも、嫌悪したいかと言えばまったくない。そこに匂いという武器が加えられたら無敵じゃないか……。
「そうそう、ボクにはそのフェロモンって言うのを操る力があるんだって。性フェロモンだけじゃなくて母性フェロモン、安寧フェロモンっていう相手を安心させたり一緒にいたいと思わせるためだって」
つまりは本能レベルでセクリを受け入れてしまうってことなのか!?
「アンナでそんなに効くなら、俺だったらどうなるんだよ……」
「ん? いつでもボクに飛び込んできていいんだよ? 遠慮なんかいらないよ?」
この表情……遠い遠い幼き日に向けられたような母性あふれる慈愛に満ちた全てを受け入れてくれるような向き合うだけで安心してしまう。
アンナが赤ちゃんに戻りそうになったというのがよく分かる。赤ちゃん返りして産声を上げてしまいそうな欲求が湧いてしまう。心のどこかに置き忘れた一つの欲が「いいんだよ」と囁いてくる。
「待った!! よくわかったから他には? 他にどんなことができるの!?」
「はっ! あぶないあぶない……!」
大人として大事な何かを失いそうになってしまっていた。
アンナが止めなければ尊厳が破壊され尽くしかねない痴態を晒してもおかしくない。
だがもう一つの要因で助かった、魅力的な言葉で誘惑しようともセクリの恰好が余りにも不格好なおかげで。俺のシャツにトランクス。もはや俺の匂いとかは上書きされてるだろうけど、流石に二の足を踏む。もしも着飾っていれば想像したくない光景が待っていた可能性がある。
「えっと……そうだなぁ。あっ! 大事なことがあったよ。いつでも赤ちゃんの世話ができるように母乳が出せるよ」
「「!?」」
想定外の情報に俺とアンナは互いに目が合った。いや、まあ確かに子作り優先に創られたのなら……そうなのか? 本当に出るのか?
興味が無いとは神に誓っても言えないだろう。成長すれば忘れてしまう幼き頃の母の愛情。事実確認はするべきだろうけど俺には無理だ、羞恥心や大人の威厳を保つために叶わない。故にアンナに託すしかない。目でそれを伝えるとどうやら応じてくれた。
「……ちなみにどんな感じなの?」
「もちろん教えるよ、少し準備するからちょっと待ってね」
この様子は見てはいけない、そんな気がして俺は部屋の角に移動する。好奇心と羞恥心の間というのはこういうことだろう。
俺は事の顛末が終わるのを黙って背を向けて待つ。
「ん、ふぅ……いつでも出せそうだけど、どう飲む?」
「え~と……わっ! 本当に出てきた、それに温かい」
背後でのやり取りを見ないように徹していても耳には届く。想像力が勝手に状況を構築してしまう。
(大人というのは辛いものじゃのぉ~)
(うるさい……)
大人として耐えねばならぬこと、譲らなければならぬことがある。それが今だと言い聞かさるように腕を組み仁王立ちで耐える。
「おまたせぇ」
「──どうだった?」
「ちゃんと母乳だった……それ以上は聞かないで……」
褐色の顔でも分かる赤い顔。何をしたのか分からないけど興奮しきって冷静さを取り戻したように見えた。
相当セクリの能力はとある方面に特化していることがここまでのやり取りで分かった。
「どうやらセクリは子供を作るだけじゃなくて、子供を育てるための能力や人と交流する能力も長けているんじゃないか? 種の存続に拘らなくてもやれることは沢山ありそうだ。保育士さんもそうだけど、アンナの言った使用人も向いてると思う」
「! 大主人の言う通りだったんだ!」
「やっぱりわたしの目にくるいはなかったのね!」
セクリの持つ能力を冷静に分析すると、コミュケーションが重要とされる人間相手では活躍できる場面は多岐にわたるはずだ。
使用人で最も適した役割は乳母となるだろう、母乳を与えていたという話も聞いたことがある。
ただ、一つ懸念すべきなのは俺とアンナが甘えてしまって赤ちゃんに落とされないことだろう。




