第46話 木漏れ日と薫風と来訪者
7月15日 水の日 8時20分 世界樹前
「ほんっとぉ~にだいじょうぶなの?」
「俺としても違和感がないことが違和感なぐらい不安はあるけど……痛みはまったくないし普通に歩くことができる。心配はないはずだ」
昨日、世界樹の精霊に言われた通りの処置を行った結果が現れていた。
朝鉄雄が目が覚めた時に襲い掛かってきたのは痛みではなく部屋に満ちた濃厚な森の香り。右足はギプスのように固まっており足の指一本動かすことができなくなっていた。ただ、痛みは足首を意識しても何も感じず完全に消えていた。固定されていたからというよりも確かな実感があった。何ともないと、健康な足に何でこんな拘束具を付けているなんて疑問が浮かぶほどであった。
「病み上がりみたいなものなんだから無茶はダメだよ?」
「わかってる。不安なのは俺が一番なんだから危ないことはしない」
ケガの確認の為に緑のギプスを剥がすと続いて葉液が瘡蓋のように固まって層を作っておりそれを追加で剥がすと肌の色がようやく見えた。
怪我の部位をセクリとアンナが入念な観察を行ったが赤みも青みも腫れも切り傷すら何もなく怪我していたことさえ嘘だと思えるぐらい綺麗であった。左右の足を比べると肌の艶が違うと感じるぐらい若々しい卵肌でさえあった。
とはいえ、昨日の痛みが脳裏に焼け付いていたのも事実で最初は右足を庇うような歩き方をしていた。ただ、軽く踏み込んだり足首を回転させても普段と変わらないことを理解していくと普通に歩けるようになっていた。
「じゃあ枝の採取をするけど……術使える? 反動でまたポッキリいったりしない?」
「そこまで軟じゃない。それに最初に決めていた目標を達成できないなんて使い魔として失格だからな。ちゃんと動けるかどうかの指標になって丁度いい。ただまぁ──俺の意識が無い間にこんなでっかいのを切り落とせたのか……」
目の前には地に横たわる電車を超えた太さと大きさの世界樹の枝。落下の衝撃で粉砕していないか心配していたが、主枝に目立った傷は無い。上部に付いていた側枝も無事、ただ地に面した側枝は耐え切れず折れて吹き飛び木片が周囲に飛び散っていた。
これも素材に持ち帰ろうかとアンナは手に取ってはみたものの、内側に深く亀裂入っていたりと頑強さを感じらずしょうがないと言った面持ちで地面に返した。
「全部を持ち帰るのは不可能だから1番質のよさそうなところから採取するよ。う~んと……とりあえずこの辺りを切り分けて」
「任せろ……純黒の無月」
幹に近い位置を大雑把に指定され、そこを一度、二度と細く鋭い黒き一閃が枝を通り抜け2m近い縦幅の輪切りが完成する。
枝であってもまるで大樹の幹を輪切りしたかのような巨大さ。倉庫に入れるにはまだまだ細かくする必要がある。
「後はこれを引っ張って転がして」
「動かせるのか……?」
「丸いから多分いけるはずだよ……」
輪切りにした枝に付いていた側枝にロープを巻き付け、三人は息が切れそうなぐらい力を合わせて引っ張り何とか転がして断面を露にさせると、続きそれを引っ張る方向を変更し横倒しにして断面を天に向ける。
その際に起きた衝撃で土埃を上げたのは言うまでもない。
一つの達成感を噛み締めるようにアンナはまるでステージの上に立つかのように断面に足を乗せる。そしてノックをすると硬い音と感触が返ってくる。
「すっごい……! 木材なのにまるで金属みたいな硬さしてる……それに密度も凄い……今まで見た木材とはぜんぜん違う……!」
「道理でな……気を抜いた一撃をしたら逆にこっちが折られそうな気がしたもんな」
「ここから四角の角材へ切ってもらいたいんだけど」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 純黒の無月は一応必殺技みたいなもんでそうポンポンと打てるもんじゃない。ボトルの魔力もかなり減ってるから少し時間を置かせてくれ」
さくさくと世界樹の枝を切っているように見えて実のところは一杯一杯。
何せ純黒の無月でなければ枝を切ることは不可能。消滅の力を纏ってただ振るだけでは世界樹に対してただの木こりと変わらない。技として昇華させた一撃だからこそ素早く美麗に切断できるのだ。
「ならしかたないか。普通の採取道具じゃこの枝を切ることなんて到底できないもんね」
アンナも鋸を用意していたが樹皮を削ることすら叶わない。普通の道具では採取すらままならない。いや、正確にいえば主枝についている側枝なら時間を掛ければ切れる可能性はある。側枝ならば普通の樹木とそう変わらない太さをしているのだから。
「じゃあ1本ボクに貸して、今日はそんなに魔力を使うことはなさそうだからボクの魔力をあげるよ」
「助かる。このペースじゃ一日がかりになりそうだ」
ボトルを一本外して放り投げ、それをセクリが軽々と受け取ると自身の魔力を注入し始める。
「だったらわたしも──」
「アンナはダメだ」
「え!? どうして?」
「セクリも俺と同じようにまだ完全に回復したかわかんないんだろ? 何かが起きた時アンナに頼ることになるだろうから、迂闊に魔力を消費しない方がいい」
「そうそう、今1番動けるのはアンナちゃんなんだから余計な消耗は危ないって」
体調、体力、魔力全てが十全なのはアンナただ一人。
従者二名にとってアンナは守るべき存在だが、現状では最善を尽くせるかが怪しく不安。いざとなれば己が身を壁として逃がすことも頭に入ってさえいる。
ただ、それも今は意味のない想像だとも二人は感じている。森の中とは違い世界樹の傘の下はあまりにも穏やかで何時あくびが出てもおかしくなかった。風に乗ってくる木々の香りに木漏れ日の暖かさ、仮に魔獣達が森から出てこようとも遮蔽物が切り落とされた枝しかない以上気付くのも簡単で迎撃も余裕で間に合う距離。
息を整え先のことを考えている最中──
「大変そうですね」
三人の他には風の音しか聞こえない広場に一つの凛とした声が響いた。
「わわっ!? いきなり何!?」
「何者だ!?」
声のする方に振り返ると、ほんの数mの距離の先にこの森に似つかわしくない修道服を身に纏い左目には眼帯を装着した女性が立っていた。
誰も気付けなかった、気配や姿を隠していたのか意識の隙間を突いたのか定かではないにしても確かに立っていた。
「驚かせてすみません。昨日、世界樹にて騒乱があったという報告があったので確認するために私はやってきました」
鉄雄はこの女性を訝し気に下から上へ確認する。
恰好もそうだが、女性というよりも少女。アンナより多少は背が高い程度。紫の髪、清楚な出で立ちでも出るところは出ている身体。靴は三人が履いているのと似ている荒野や湿地でも活躍できる頑丈なもの。
殺意も敵意も感じなくとも思わず身構える程、異物がこの場に紛れ込んできたとしか感じなかった。
「……あんたは何者だ? ライトニア騎士団の人にしちゃあ隊服ですらない。その身なりに相応しい人物がここに来られるはずがない」
「どうしたのテツ? そんなに怖い顔して?」
「騎士ではありませんが。後半は差別では? どのような職に就こうとも強さを磨くことはなんらおかしくありません。貞淑であれと決め付けるのは自分の世界以外は見ないタイプの人種でしょうか?」
「そもそも……昨日起きたはずの異変をなんで今日到達できた? 息も切れてない、服も汚れてない。俺達が三日ぐらいかけてここまで到達したのに? 疑問を抱かない方が愚かだ」
「あっ……!」
「そういう実力があるにしても……あんたは身軽すぎる。何かしらの怪しいカラクリがある。魔術にしろな」
場所、服装、状況、一つ一つは些細なことで無視できるかもしれない。だが、重なりすぎれば違和感となる。
鉄雄達も身軽ではあるが、別の場所に荷物をまとめているから。服も比較的綺麗なのは着替えの用意があったから、近場にキャリーハウスを展開していたから。理由が付く。
ただ、目の前の少女は急に現れた。
「この森は庭みたいなものですから。大荷物は必要ないんですの。それよりもそこのお嬢さん、少しお話よろしいですか?」
一歩近づいてくればアンナの前に立ち共に一歩下がる。
「……テツ?」
また一歩と踏み込む瞬間──
「それ以上は近づくな!」
女性の足元より、黒い槍を複数本顕現させ檻のように囲う。
警告──というには過剰すぎるが、本能的に危険を察しておりその表情に油断も慢心も無い。何時でも無力化できるように次の術の準備は終えていた。
「とんだご挨拶ですね……」
「間違っていたらごめんなさいすればいいだけだ。あんたの身分を証明できるような何かは無いのか?」
「こちらの十字架では証明になりませんでしょうか? 私程度の存在にここまで躍起になるなんて、英雄と呼ばれているような方がすることではありませんよ」
「そんなアンナが片手間で作れそうなのが証明になるか。おまけに俺のことを知っているのか……けど、そんなの関係ない。匂いというべきか……直感だ、あんたから妙な気配がする。修道服なんて着込んじゃいるが魔獣の如きおぞましい何かがその中から感じられる」
「いきなり失礼じゃない!?」
「こういう時の勘は外れないのが俺だ」
生と死の狭間を何度も行ったり来たりした影響か通常では見えぬモノが見えるようになってきていた。それは相手の放つ隠すことの出来ない気配か意識か、もっと本質の『魂』を見るような視野を会得しようとしていた。
その目によって穏やかな魔力に覆われているが、こうして会話を重ねていくだけで彼女の中から鋭く磨かれていく殺意のようなを感じ取っていた。
「……はぁ~……これ以上言葉交わすのもめんど、一つ言うからそれに従うならさっさと帰るわ──」
清貧、貞潔で塗り固められていた印象に大きな亀裂が入り、内より抑え込まれていた野獣の如き熱情が溢れ始める。
「世界樹の実、渡しなさい。返答は一度だけ許すわ」
「世界樹の実……?」
「ああ、隠す必要なんてないから。昨晩、偶然とはいえ世界樹の周りが妙な雰囲気に包まれていたのを見かけたのよ。そこでアンタは何かを受け取っていた純粋な力の結晶のような何かを。すぐにピンと来たわ、あれが世界樹の実だって」
「眠っていた間にそんなことがあったのか……」
「話そうとは思ってたんだけど、色々あったから言い忘れてた」
朝はやることが多かった。朝食の準備に周囲の見回り、二人のケガが回復しているかの確認。そして、枝の回収。優先すべき事柄が多く、鉄雄に話すことがどんどんと隅に追いやられ零れ落ちてしまった。
尚、セクリは一応知っていた。
少しの落ち込みを見せるが、すぐに頭を切り替え意識を集中する。
「さて、返答は──?」
「いや。これはわたし達ががんばって手に入れたもの。あなたに渡す理由なんてない!」
その気持ちの良い啖呵の切り方に従者二名は小さく笑みを浮かべる。
言われた本人は小さく息を吐いた後、口元に二人に負けない笑みを浮かべた。
「ふぅ、じゃあ……本格的にお仕事と行きましょうかっ!」
「──なっ!?」
鉄雄が槍から黒霧へ変換し彼女の全身を覆う僅かな隙間に、彼女はその場から消えた。大きく後方に回転しながら飛び上がり距離を取る。
続き、彼女の背後に鉄雄達が何度も見た異空間の穴が形成され、三日月状の刃の切っ先が最初に姿を現し、地に向かって落ちると同時に全容が明らかになる。
それは想像の死神が持つような巨大な鎌。柄の全体にナックルガードのように波打った刃が施されているのが特徴的で、人の身程ある長い刃が地に突き刺さると豆腐に刺したのかと錯覚するほど深々と沈み込み柄が地面に当たってようやく止まった。
「何も知らずに殺されるのも味気ないでしょう? だから教えてあげる! アタシはカリオストロの『殲滅屋』イース・フラウルージュ! こっから先は言葉を変えたって結末は変わらないわ!」
待ってましたといわんばかりの輝く瞳でご機嫌な笑顔を見せ付ける。
身の丈と同等の大鎌を片手で引き抜き、石突を地に着けて三人を視界に収めた。
「カリオストロ!? また横取りに来たってのか!?」
思い出すはゴーレムの素材採取に起きた一悶着。今回と同じように全てが済んだ後に素材だけを横取りされそうになり、結局は一部を盗ませ撤退させた。
あれからアンナ達のカリオストロとの縁が出来たと言っても過言ではないだろう。
「横取りなんて失礼な物言いは止めてほしいわね。そもそもなんだけど、横入りしたのはアタシじゃなくてアンタ達なのよ。ここはカリトストロの監視区域、異常が起きれば見に来るのは当たり前。希少素材が奪われそうになれば回収するのが当たり前。アンタ達を中心に動いてるとでも思った? ここはアタシ達の領域、出す物出してこの地の肥料へなりなさい」
「……ねえ、だったら世界樹の異変についても知ってたんだよね? どうして何もしなかったの?」
「ああ、あのでかい虫ね。アタシはねぇ虫が嫌いなの、おまけに世界樹を傷つけないように排除でしょ? 面倒くさいったらありゃしない。まぁ、状況的にアンタ達が消してくれたみたいね、おまけに枝も沢山用意してくれて。実を渡すって頷けば見逃してあげようと思ったのに。でも、こっちの方がアタシ好みだから覆す気はさらさらないんだけど」
そう、全部知っていた。世界樹の状況についても。
率先的に女王を退治しなかったのは単純に言えば労力の問題。恐らく倒すだけの武力や錬金道具は備えていただろう。しかし、メリットが無い。
アンナのように実を授かるかどうかも不明。葉も枝だけ採取して帰る方法をカリオストロは有している。わざわざ倒す理由もない。
だが、実際のところはあの虫がずっと蔓延っていたおかげで実は生ることはなく、倒すことができていたなら新たな実を手にしていた可能性は高く、争奪戦となっても潤沢な武力で勝ち取っていただろう。
「なんだかわたし達を倒したら実が手に入ると思ってるみたいだけど、残念! 世界樹の実なら既に倉庫に送ったから! あなたじゃもう手に入らない!」
「あ~あ……一足遅かったかぁ……流石にライトニアを探すのは大変だし、とんだ無駄足だったかぁ~……なぁ~んて言うと思った? どこでも倉庫の仕組みをアタシが理解していないと思って?」
「え!?」
「だってアタシも持ってるもの同じのを、作成者は勿論メルファ総統。アタシのはアタシの魔力でしか開錠できない。でも、アンタのはどうかな? 誰の魔力でも鍵が開くんじゃないの?」
「あ──」
これは貰い物。自分で作った訳ではないので自分好みの複雑な設定はなされていない。誰の魔力でも寮の倉庫に繋ぐことができる。
仲間同士で使うことも考えれば便利だが、敵に奪われてしまえば集めていた物が全て奪われてしまう。
そんな未来が想像できてしまったのか、アンナは思わず指輪をしている右手の中指を左手で覆い隠してしまい。それをイースは見逃さず
「それかぁ~……!」
粘ついた笑みを浮かべ、標的を定める。
漏れ出す殺意の濃さに空間が黒々しくなる錯覚を覚える程。
「──セクリ!」
「っ! うん──」
言わずともわかっていた。
満タンに近いマナ・ボトルを鉄雄に投げ返し、それはすぐさま破魔斧レクスに装着される。
(タイミングは最悪じゃないにしても悪すぎる──! ボトルの残量は三本の合計で二本分程度、純黒の無月で相当消費した後の襲撃……この娘の実力がどれほどかわからないけど、嫌な予感がビンビンに届く! 女の子相手とはいえ容赦とか撤退させるなんて甘い考えは通じないかもしれない!)
魔力吸収の黒霧を周囲に漂わせ攻防一体の備えを見せる。
セクリは二人とイースから距離を取り、三角形を作る位置取りで足を止める。
アンナも急いで杖を取り出し構え、戦いに備える。ただ、手の震えが強いことに自分で気付いてしまう。明確に命を狙われるという状況がここまで心を揺さぶるなんて知らなかった。従者二人の盾があってもイースの喜々とした隻眼から放たれる殺意に怖気が隠せなかった。
「本気で戦うつもりなの? 3対1だよ? 今ならまだ怪我せず逃げられるよ?」
「お前達には転移系の道具があることは知っている。この形となった以上勝ち目はないぞ」
「冗談。こういう状況が楽しいんじゃない? そ・れ・に、総統から甘ちゃん認定されてるアンタのその瞳。想像と違って心が躍ってくるのよ!」
必勝の形というのは嘘ではない。この形で戦いが始まれば敵は異常に戦い難くなるのだから。
鉄雄とアンナが同じ位置、セクリが両者の斜線上に位置し三角形を作る。これによりセクリは魔力吸収の影響を受けず魔術攻撃が可能。加えて敵には黒霧によって一方的に魔術を制限する。
仮にセクリに攻撃が向かえば迎撃するようにセクリの周囲から硬化と吸収を組み合わせた黒い触手を生やし捕縛する。
アンナに向かって攻めても同様、加えてフリーとなったセクリによる援護射撃による挟撃の餌食となるだろう。
さらに魔力吸収を付与するかしないかは鉄雄次第、同じ黒霧でもただの霧か吸収されるか傍目からはわからない。だが、セクリとアンナは念話で分かる。
(テツオ、本気でいっていいんだよね?)
(そうじゃないとアンナがどんな目に会うかわからん。見た目とは裏腹に強さの質とか重みが誰よりも濃い!)
(レインさんよりも!?)
(単純な実力だけなら同等の圧を感じる……)
一触即発。
穏やかな風が吹き、暖かな日差しが差し込む中。世界樹の傘の下では緊張で満ちていた。
己の隊長であるレイン・ローズ。大陸最強の名を冠する彼女。それに近い匂いを感じ取ったのか
油断の文字は一切なかった。
本作を読んでいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「興味を惹かれた」と思われたら
ブックマークの追加や【★★★★★】の評価
感想等をお送り頂けると非常に喜びます!




