第44話 世界樹の力その一端
「ただいま!」
焦りで満たされた帰宅の言葉。
世界樹の牢獄における唯一の安全地帯とも言えるキャリーハウスに雪崩れ込むように帰還する。
懐かしむ暇もなければ茶の一杯で心を休める余裕もない。
出発前にテーブルに広げていた地図や色々な雑多を押し流すようにどかし、その上に鉄雄を乗せるとしっかりと紐で結ばれていた靴を丁寧に解体し足首を動かさないように解放する。
靴下を引っ張り脱がそうと手をかけるが、その手はすぐに止まった。
「……靴下切っちゃうね──」
本能的に感じた嫌な予感「引っ張って脱がす負担でさえ危険なのではないか?」ズボンの裾を上げハサミを隙間に通し肌を露にすると、足首の辺りより赤みがかった腫れが目立ち始めた。
「っ!? まさか骨折!? どうしよう!? 骨折に効く薬なんて持ってないよ!? キュアクリームはあるけど効果あるかな!?」
大きく取り乱し何か言われる間も無く倉庫に保管していた薬瓶をこれでもかと取り出して並べていく。中にはここで採れた毒性のある液体も混じってすらいる。
「アンナ落ち着くんだ」
「落ち着いていられないよ!」
「ここにいる時点で安全なのは確かで悪化の心配はない。まずは深呼吸して心を落ち着かせるんだ。焦ったところで、いい案はでてこない」
一番大変な状況に陥っている人間が一番冷静に佇んでいる。ただ、思いやる言葉を口にする額には脂汗が滲んでいた。
アンナはその様子を前に今すべきことを正しく理解し──
「すぅ~~~~……はぁ~~……」
目を閉じ大きくゆっくりと深呼吸をして高鳴る心臓を落ち着かせる。二度三度と続けると狼狽えた様子は消え去り、調合に挑む時と変わらない集中した目と切り替わる。
「それでいい」
「──ふぅ……今は痛くはないの?」
「正直結構キツイ……動かしていなくてもジンジン来てる」
「固定すれば少しはマシになるとは思うけど……ここじゃあ充分な治療は期待できないよ。ボクの回復魔術じゃ骨をすぐに治せる程強くないし……あっ! そうだ! どこでも倉庫でテツオを先に送るのはどうかな? 生物を送れない訳じゃないしアンナちゃんも通れるんだよね?」
天啓の如き最適解をすぐに提案するセクリ。
「どこでも倉庫」は出入りする物に制限はなくマテリア寮の倉庫に繋がっている。通れば森の障害を全て無視して帰ることができる。
しかし、アンナの表情は迷いに満ちて芳しくない。
「テツを送る……ギリギリ厳しいかも。実は転送穴の大きさって限界があるの。細長くしたり形を変えることはできるけど面積は決まってる。世界樹の葉は大きいけど厚みはそこまでだったから行けた。でもテツの場合だと肩幅で詰まるかも」
「行ける可能性があるなら試せばいい。この森で足が使えないならほぼ役立たずも同義だ」
動けない者は的になる。
いや、中途半端に動ける者の方が恰好の的。アンナが気を失った際、二人は「動かない」という共通認識を持っていたこともあり迷いは無かった。極論で言えば荷物と同じ。
余計な気を使う必要が無く、大事に運ぶことを念頭にしておけばよかった。
しかし、今の鉄雄は気を失った訳でもない。絶対に動けない訳ではない。ただ凄まじい重りで足を引っ張る存在。
「不安はそれだけじゃなくて……ゲートが途中で閉じるとテツの身体が真っぷたつになるの。そもそも今は魔力が全然残ってないからテツが通れるまでに色々する余裕なんてないと思う」
思わず自分の胴体を撫でて「もしも」の未来を想像してしまう。
「だったらまずは治療を優先しないとね。今ある薬を試して固定すれば悪化はしなくなるし──」
(────、────)
「ん? 今何か言った?」
「薬を試すって──」
「セクリじゃなくて、念話みたいなのが……」
周囲を見渡すがキャリーハウスの中に侵入者はいない。
「もしかして……」
思いつく場所から離れたとはいえ領域内。
想像通りの相手ならと自身の魔力を消し虚へ至る。
(──どうやら繋がったみたい、世界樹の葉を使えばいいよ。潰して解し葉を包帯として、潰した際に出てきた葉液を塗るのを忘れないように)
「え──?」
(後はしっかりと固定すれば一晩もしないうちに治るはずだよ。でも、効能は強い故に違和感が大きいから、先に麻酔なりなんなりで眠らせておいたほうがいいよ)
穏やかな口調で伝えられる治療方法。
「何かあったの?」
「多分世界樹の妖精さんか精霊さんだと思うんだけど、テツを治療する方法を教えてくれた……そうしたらすぐに治るって」
半信半疑ながらも手持ちの薬と比べて世界樹の葉の可能性に賭ける方が理にかなっているのではと思案する。しかし、葉の効能については情報が少ない。
葉を使うということは手負いの使い魔を実験台にするようなもの。取り出そうとする手が思わず止まるのも無理はない。
「ならそれに従って見るのも手だな」
「そんな自分を実験台みたいに。本当に信用できるかわかんないよ?」
「これ以上行き詰まることはないなら試す価値しかない。さっ、アンナ。俺はどうしたらいい?」
ただ、当の本人はまるで他人事のように淡々と許可を出す。
自分本位ではなくアンナ本位に物事を考え、ここでの迷いは邪魔でしかないと理解している。何が起きようとも全てを受け入れる。そんな達観した表情でアンナの言葉を待っていた。
「……わかった。世界樹の葉を使うことに決めたから! だけど効果が強いから眠らせた方が良いって」
「なるほど……ただ、痛みのせいですぐには寝られないな。何か睡眠薬とかでもあれば──」
「しょ~がないか……ちょっと失礼──」
「うむっ──!?」
そういう空気は一切微塵も無い不意の抱擁。
セクリは優しく鉄雄の顔を豊かな双丘の中に抱き止め、そっと頭を撫でる。
「よ~しよし……怖くないよぉ~。テツオはよくがんばったからねぇ、今はゆっくりと休んでいいんだよぉ……」
そのまま背中をポンポンと優しく触れる。
急な甘やかしに驚きや気恥ずかしさを感じるよりも脳を直接撫でられるような聖母の如き安心感を与える声と柔らかい温もりに思考が溶けていく。
強がり踏みとどまる必要性が無いと本能が悟ってしまう程の寵愛によって全身の力が抜けて目が閉じられていった。
「あっ……あぁ…………」
「…………うん、眠ったよ」
「そういえばそういうことできたね……」
「こっちの方が得意なんだけどね。さて世界樹の葉をどうしたらいい?」
穏やかな寝息を立て始める鉄雄を胸に抱きながら次の指示を求める。
「先にセクリはテツをベッドに運んでズボン脱がせて他にもケガがないか調べておいて。準備はわたしがやっておくから」
「了解したよ!」
鉄雄が穏やかな眠りについたことで何しても口にされないという状況が遠慮なき治療を始めた。
ベッドに寝かされ、足が完全に露になり汗や汚れを落とされ怪我がないか念入りにチェックされる。
アンナは外に出て「どこでも倉庫」より肉厚な世界樹の葉を引っ張り出すと力ずくで潰しながら桶へと入れていく。その際に緑の液体が服や顔に着くのも気にせず瑞々しい音を奏でながら元の形が想像できないぐらいミンチな状態へと変貌させた。
「ふぅ~……こんな感じでいいかな?」
「うわっ! すごい匂い! 世界樹の匂いを凝縮した感じだよ!?」
「でもこれなら確かに効果がありそうな気がしない? あの木の生命力を塗りたくるんだよ?」
ここ一帯がもはや森、というより木そのものになってしまったのかと錯覚するほど強烈な緑の香りに包まれていた。ただ、悪臭ではない故に不快感は薄いのが救いだろう。
「とりあえず落ち着いて、治療はボクがやっておくからアンナちゃんは手や顔を洗って洗って! すっごい緑だよ」
「わかったぁ……けどこのままにしておいたら何か起きたりするのかな?」
「ケガしてないのにそんなことしたら逆に危ないって! 今実験するのはナシだからね! アンナちゃんに何かあったら今1番危ないんだから!」
「は~い、わかってるって……」
渋々と水場に向かって体に着いた葉液を洗い流していく。ただ、少し頑固な着色なのかすぐに落ちる気配はなかった。
桶の中では葉が浸る程絞り出された液体が揺れ動き、深緑の香りを芳醇に漂わせていた。数分でも部屋に置いていれば満たされるのが簡単に予想できた。
匂いで起きてしまわないか心配しながらも、先程よりも赤みが目立ち始めた足首に千切り絵のように薄くバラバラになった葉をピンセットを使って肌に沿って隙間なく重ねて繋げていく。緑の包帯というよりギプスのように厚く巻き、滴り落ちる葉液を肌から染み込ませていく。
そして最後に丁寧に添え木で固定して治療を終えた。
「ふぅ……結構余ったけどどうしよう。念の為膝の近くまで巻いちゃったけどこれ以上はなぁ……」
「なかなか汚れが落ちなくてあせったあせった。あっ、テツの治療終わったんだ」
「後は結果が出るのを待つだけ……あっそうだ! アンナちゃんはケガとかしてない? 背中とか見えないところとか? 沢山余ってるから使わないともったいないよ」
「ううん、どこも痛くない。わたしよりもセクリは両腕痛めてるでしょ? 巻いてあげる!」
「これぐらいなら放って置けばいいって」
「ダメダメ! セクリがもったいないって言ったんだから遠慮なんてしないでいいから!」
桶の中身は半分以上余り、葉の大きさを物語っている。無論使用した世界樹の葉はたった1枚のみ。
「お世話するのがボクの役目なのに、お世話されることになるなんてぇ……」
「いいからいいから。テツも今は寝てるし上脱いでちゃんと傷見せて」
「え、そ、そんなこと言われても」
「これは命令だから!」
「うぅ……」
自身のプライドが折られそうになりながらしぶしぶと上着を脱いで肌を露にすると、アンナは目を見開いて驚く。
知ってはいても実際のところは不明だった。露出を極力抑えた服装、手袋も装着していた。コレを知れというのは難しいが、怪我の状況を見た瞬間にアンナは無力感に苛まれていた。
「っ──! やっぱりっ! 肌に亀裂みたいなのがはしってるのは予想外だったけど! 痛いのに痛くないふりするのはやめた方がいいって!」
思わず目を背けたくなる両腕の惨状。
腕の内側から破裂したかのように指先から肘まで肌がひび割れたような痕が広がっている。出血している箇所も多かったのか赤黒く固まった血の跡が沢山付いていた。
身の丈以上の高威力魔術の反動が痛々しく物語っていた。
「いやでも……今両腕使えなくなると不便が大きそうだから……」
反論に聞く耳を持たず手際良く指先から緑で浸食させ、傷を覆い隠す。
「言い訳しない! セクリはもっとテツみたいにわたしを頼ることを覚えた方がいいから。テツの治療もわたしがやればよかった! それにわたしだって料理できるんだからね!」
両腕が緑の包帯で包まれ、葉液はヒビを埋めるように染み渡り溢れた液が滴り落ちる。
「他に隠してるケガはないよね? そういえばあの女王が口を伸ばしてきた時ってケガなかったの?」
「アレは驚いたけど問題ないよ、服にもかすってないしね。それにこんな格好だとケガの隠しようなんてないと……」
「確かに腕以外はケガなさそう……うん、背中も変なキズがなくてキレイ」
上半身は下着だけ。
文字通り隠しようがない。じっくりと背中を見られたり腕を上げられ脇の下も確認され、流石のセクリも顔を赤らめてしまう。
「テツのケガもここだけ……ううん、すぐにわかんないような小さなキズはたくさんあるよね……今回だってわたし達の負担を全部背負ってくれたんだよね。本当に使い魔ながら頼りになりすぎるって」
そっと手に触れる。
意識的か無意識か慈しむように大事な存在だと改めて理解しているかのようだった。
「これで良くなってくれるといいんだけどね。その精霊さんの言葉とテツオの回復力を信じるしかないか」
「テツは普通の人間だし魔力もないから回復力には期待できないかも……焦らずに数日は──」
「ううん、そういう心配はしなくていいと思うよ」
「えっどうして?」
気休めのような曖昧な期待ではなく、確信めいた言葉に思わず前のめりに反応した。
「だって……ボクの腕さっきからすごい反応してるもん。痛いとか痒いとかはないんだけど今まで感じたことないようなのが腕に出てる! きっとコレって回復の鼓動とかそういうのじゃないかな?」
未知の反応に落ち着かない表情を見せている。
緑の包帯を取って中を見てみたくなる欲求も湧いてくるぐらい奇妙な感覚に襲われ、眠らせておいた方がいいという意味を身を持って理解していた。
「だいじょうぶなの?」
「……気を紛らわすのが大変かも。それに今思ったんだけどこの状態じゃ服もきれないし、何もできないような──ってなんだか指が固まってきた!?」
「えっ!?」
「というより液体が固まってるのかな? 粘り気はそんなに感じない……乾燥? それも違うような……」
「もしかしてテツも!?」
表面を撫でると湿り気よりも滑らか感覚が返ってきて、少し力を入れると薄い砂糖菓子のような砕ける音が響く。
剥がすべきかと思案するが、当の本人が穏やかに寝息を立てたままだったのでその手は引っ込められた。
「葉っぱの包帯もあってかかなり丈夫に完成しそう。それに全然重くないよ」
「痛みとかは?」
「うん大丈夫。ただ固定されただけみたい絞めつけられてる感覚もないよ」
「ふぅ、よかったぁ~」
「これが精霊さんの言っていた治療効果なのかな? でも、これをあのイモムシ達は食べていたんだよね? 魔力補充だったりで、こんなにわかりやすく反応するんだからお腹の中で固まったりしなかったのかな?」
「それだけ考える余裕があるなら本当に心配なさそう」
後は都合の良い未来に到達できるように祈るのみ。
ただ、アンナはまだ気付いていない。自分の置かれている状況に。今、まともに動ける者は己だけだという事実に。
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