第17話 大事な家族
「一体あの水はなんだったんだろう……」
「鉄砲水の一種だとは思うけど原理はわからん。でも、どうやら何度も起きてるとみて間違いなさそうだ」
「何度も? どうして?」
「今俺達が進んでる場所、妙に空いてると思わないか? さっきの一回が初めてならもっと堆積物が見えてもおかしくない。綺麗すぎるんだ」
「そういえば! テツが道作ってるわけじゃないんだよね?」
何度も研磨されたようななだらかな道、低木の枝が抉れたように幾重にも門を作り森の奥へと誘うトンネルのようでもあった。
「そんな余裕は無いしここまで器用じゃない。ともかく、水の勢いが落ちた辺りまでアンナは流されたはずだ、このまま進めば……ん?」
喜ぶべき動きを感知し、足を止めて意識を集中させる。そう、アンナの位置が移動し始めた。
望む反応に心が滾ったがそれも一瞬。その方向を理解した瞬間に怖気に満たされる。
「急にどうしたの?」
「──やばい……! アンナが移動してる! それも──俺達とは違う方向に!」
「また流されてる!?」
「もしくは連れ去られてるかだ!」
アンナが目覚めたなら確実に鉄雄のいる方向へ歩き始める。けれど、まったく別の方向へと動き出せば話は変わる。
冷静に、落ち着いて、そんな余裕が一気に切り崩される。
「急ぐぞ──!」
「うん!」
最後に見たアンナの顔が流される直前の顔になるかもしれない。そんな「もしも」が頭を過る度に足の力は強くなる。
この世界では前の世界よりも「もしも」が起きやすい。
望んだ顔で望んだ言葉を交わして別れを終えることなど稀なのだ。
「ここが流れの果てだ……」
「見て、来た道と比べるとこの辺りは霧が薄くなってるみたい」
全身覆っていた霧は薄く足元辺りが多少濃く残っている。まるで霧の丘が森の中に作られているようだった。
三人を分断させた大量の水は四方八方に分散されたのか小さな池が出来上がっていることもなければ、別の鉄砲水の通り道に繋がっていることもなかった。
太い樹木が堰となり、折れた木々や気を失ったか命を落とした魔獣達が横たわっている。水流の終着点は命であったものが散らばる集積場のようでもあった。そんな場所にアンナはいた。
この惨状に寒気を覚え、ここから移動した先へ追いかけようとしたが思わず足を止めてしまう物が寂しげに残されていた。
「これはアンナの杖か……!?」
気付いてしまえばまるで自分も連れていけと言わんばかりの存在感を放ち始め。主の大事な文字通りの相棒。置いていくことはできなかった。
「ボクが持っていくよ、いざとなったら武器にも使えるし」
「任せた。よし……こっからまっすぐ追いかける! こっちだ!」
木々や枝に体がぶつかることを厭わずに後を追いかける。何度も転びそうになるのを堪えて走り続ける。
霧の濃い領域から抜け出しても緑の風景は変わらない。自分達が同じ所をグルグル回り続けていると錯覚してしまいそうになってもアンナとの主従契約がそれを否定する。
「近い……30mもない! 俺が先行して前を塞ぐ。セクリは後ろを塞いでくれ」
「わかった!」
小さく視界に映った最愛の主の姿。だが、喜びの前に待ち受けていたのは最悪一歩手前。アンナは魔獣の肩に乗せられ連れ去らわれようとしていた。
現実を直視し心臓が握りしめられたような圧迫感に倒れそうになるが、今一番危険なのはアンナであると理解する。
息を整え、自分のすべきことを改めて心に刻み込み、距離を詰め追い越し──進路を塞ぐように飛び出した。
「おっと待ちな!! その子を置いて行ってもらおうか?」
突如出現した人間に魔獣は驚き足を止める。そのまま振り返り進路を変えようとしたが退路をセクリが塞ぎ、挟み撃ちの形を作ることに成功。
「気を付けて! その魔獣、ゴルーアだよ!」
(……ゴリラみたいな見た目だと世界が変わっても似たような名前が付けられるんだな)
アンナを肩に抱えるのは全身が緑色の毛に覆われ丸太のような腕に岩のごとき筋肉を持つ魔獣、種族名を『ゴルーア』。通常種と比べこの森の環境に適応した特異な姿をしており、個体の大きさが控えめだが、筋肉密度が高くなっていることに加え木々を掴んで移動するのに適した頑丈で力強い手を有している。
「…………」
ゴルーアは焦りや怯えた様子も無く二人を交互に見やると狙いを定めたかのように鉄雄を見つめる。
その動きに好戦的な種ではないかと鉄雄は感じ取り──
「肩に抱えてるその子は俺の大事な仲間で家族だ……もし助けようとしてくれたなら後は俺達に任せてほしい」
対話を試みる。
鉄雄の世界では森の賢者と呼ばれることもあり、弱った生物を助けるために動いたという想像の元語りかける。野生の世界で甘い考えと言われようとも戦わないに越したことはないのだから。それは恐らく相手も一緒のはずという想像。
雨の音がいやに響くこの環境。互いの一挙手一投足が異様なほど注目される。
素直にアンナを降ろすか。
鉄雄達に襲い掛かるか。
それとも痺れを切らして逆にアンナを助けるために戦うか。
先に動いたのは──
「──ウオオオオオオォォォォオオオ!!!!」
ゴルーアだった。森を揺らす轟音の咆哮と共に全身を震わせ毛を逆立たせる。そして、全身から爆発するように魔力が迸り完全に臨戦態勢へと移行した。
「──何!?」
「オアァッ──!!」
急な変貌に思わず身を竦めてしまう二人。
その隙を突いて肩に抱えたアンナを片腕で掴むと。慈しみの欠片も無い勢いで放り投げた。
「あぶなっ──!?」
風を切る勢いのアンナを間一髪セクリが地に激突する直前に体を滑り込ませて、全身をクッションにするように受け止める。衝撃を受け止め受け流し、アンナにダメージがいかないように注意を払っても身体に触れている少女が力なく項垂れる様子に焦りを覚え。首に手を当て脈を確認する。
改めて生きていると実感しどんな形であれアンナが戻ってきたことに安堵した。──いや、してしまった。
「ケガは無さ──」
「逃げろっ!!」
「──え」
ゴルーアは跳び上がり指を組んで両腕を大きく振りかぶり腕を巨大なハンマーに見立て狙いをセクリ達に定めて振り下ろそうとしていた。
ほんの一瞬の油断と安心。アンナと合流できた、気を失っているが大きな傷もない、優しさの隙を突かれた。
視界に映るのは人間では作ることのできない太き高密度の剛腕、同じ魔力を纏った拳なら、人間では到達できない威力を誇る。まさに一撃粉砕。
しかし、両者の隙間へ割り込む黒き壁。鉄雄が発動させた防御壁が間に合い阻む。
空気を砕くかの如く轟音を鳴らすゴルーアの拳が壁に直撃すると同時に破砕音が響き貫通──秒も止めるに至らなかった。が──
「た、助かったよ!」
軌道がズレて拳は完全に空を切りぬかるんだ地にめり込み、泥や土塊が間欠泉の如く噴き出て周囲を汚す。
壁は真正面で受け止める形で形成されておらず斜めに受け流す形で作られた。加えて真っ黒な壁に視界が遮られたことにより望んだ軌跡からは大きく外れることになった。
「話し合いが通じる相手じゃないしアンナを喰うつもりだったなこいつ……!」
「アンナちゃんの脈はあるし呼吸もしてるけど、キャリーハウスでちゃんと休ませないと危ないよ」
「とはいえ、そう簡単に逃がしてくれそうにないぞこいつ」
鉄雄も集合し、ようやく三人が手を繋げる距離にまで戻ることができた。胸に宿っていた拭い様の無い不安や恐怖は消えたが新たな脅威に思考を余儀なくされる。気を抜くには早すぎる。
求められるはまだ目が覚めないアンナを守りながら森を自分の庭のように慣れた存在を退ける。
ただ、ゴルーアは最初の一撃からその場を動いていない。鉄雄達を視界に収めてはいるが攻めようとしなければ逃げる様子もない。
何故? と考えているとその答えが届き始める。
「……何の音だ?」
風や雨とも違う乱雑に木々を揺らす音、枝が折れる音、草が踏みつぶされる音、大量の音が周囲から三人に向かって近づいてくる。
音がピークに達した瞬間、音は一斉に止み。
大量の視線が三人を囲うことになった。
「囲まれた!?」
「さっきの咆哮は威嚇だけじゃなくて仲間を呼ぶためでもあったんだ!」
十数頭のゴルーア達が枝の上や、枝にぶら下がったりと逃げ場を360度潰すように配置されていた。
誰かに攻めれば誰かがその隙を突く。数と地形を十全に利用した必勝の陣形。
子供一匹だけではなく大人二匹も追加された。ゴルーアにとって逃がせないご馳走がやってきた。
「セクリ、お前はアンナを守ることだけに集中してくれ」
「どうするつもり……?」
「この森はこいつらにとっては庭だ、逃げることは不可能。ならここでどうにかするしかない。ここから先に見せる光景をアンナには絶対に話さないでくれ」
「戦うんだね……」
「この状態で刃を抜けないほどバカじゃない」
破魔斧を抜きボトルを三本はめ込み。意識を集中する。
(変わってやろうかの? わらわが力を貸してやったほうが良いのではないか?)
(これは俺がやらなきゃいけないことだ。あの時みたいに未熟でどうしようない俺とは違う。今替わればレクスに汚れを押し付けることになる。俺はそれを望まない……それに、あの術の真価を確認するには今しかない。俺が抱いた期待は妄想か現実か。いや、現実にしなくちゃいけない)
鍛える度に責任感が芽生え。
技術を得る度に余裕が増え。
信頼されて信用を覚え。
温もりを貰って愛を知る。
神野鉄雄はこの世界に来た当初とは完全に別人。ここまでの変化を想像できたのは前の世界にもいないだろう。
「我が心に勇ありけり──」
落ち着いた口調で、胸に確かな覚悟を決めて呟いた。
この言葉が引き金となりセクリとアンナの足元が黒い沼が広がる。
現時点で鉄雄が扱える最善手。多数を相手にするのに適した攻防一体の陣地形成魔術。
(キャミルさんに教わって正解だった……こんなに早く本気で使う日が来るなんて思ってなかった)
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